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「善人ほど損をする中国社会」天津の交通事故裁判が新たな事例に―中国

2011年08月20日

2011年8月、天津で起きた交通事故をめぐる裁判が注目を集めている。被告の運転手は「ぶつかっていない」と主張しているが、裁判所は「例えぶつかっていなかったとしても慰謝料を払うべき」と判断。「んな、アフォな!」とネット民の反響を呼んでいる。19日付華声在線を参照した。


■事故の経緯

2009年10月21日、天津市紅橋区紅旗路で事件は起きた。片道4車線の幹線道路を高齢の女性が横切ろうとしていた。もちろん横断歩道はない。それどころか中央には柵が設置されわたれないようになっているが、それも乗り越えるというチャレンジングな動きを見せた。その柵を乗り越えたところで事件は起きた。


天津 Tianjin_PB100452 / parachute_1



車を運転していた許雲鶴さん。柵を乗り越えようとしたおばあさんを見てびっくり。あわててブレーキをかけた。許さんは「ぶつかる前に停車しましたが、おばあさんは柵から落ちて転びました。慌てて運転席から下りて絆創膏を持ってかけよりました」と話している。一方、王さんの主張は「車が衝突して怪我をした」というもの。両者の主張は真っ向から対立、裁判沙汰となった。

今年6月16日、紅橋区人民法院は判決を言い渡した。曰く、「例え許雲鶴の供述通り衝突はなく、原告の王さんが自分で転んだのだとしても、許雲鶴の車が接近してきてパニックになったと言える」として、許雲鶴さんに賠償金10万元(約120万円)の支払いを言い渡した。許さんはこれを不服として上告。8月22日より天津市中級法院で第二審が開廷する。


■ネット民が注目する理由

8月16日、この裁判に関するネット掲示板の書き込みが登場。たちまち話題となった。「例え衝突していなくても運転手が悪い」という判決だけではなく、以前から繰り返されてきた「善人が損をする中国社会」に新たな事例が加わったというのが反響を呼んだポイントだ。

「善人が損をする中国社会」とはなにか?網易が「『人助けを喜びとする』ことになぜリスクがあるのか?」という特集を組んでいるので、こちらを参照して説明したい。

・彭宇事件
「人助けは危険だ」という風潮。その発端となったのは2006年12月に南京市で起きた彭宇事件だ。バス停で転んだお婆さんを助け起こし、病院まで連れて行ってあげた好青年・彭宇くん。ところがお婆さんは彭宇くんが突き飛ばしたと主張。裁判の末、「優しく助けてあげたのはやましいところがあったからじゃね?」と彭宇くんに約4万6000元(約55万円)を支払うよう命じる一審判決が下った。「人助けしたら賠償金かよ!」と世論は強く反発。その後押しを受けて二審が始まったが、和解で幕を閉じた。その条件については明らかにされていない。

・李凱強事件
2008年8月、鄭州市で電動自転車に乗っていた大学生の李凱強くんは、おばちゃんが乗っている自転車にぶつけられた。転んだおばちゃんを助け起こした李くんに、「ぶつかってきたのはあんたでしょ!」と主張し、裁判ざたに。一審判決ではおばちゃんが勝訴。李くんには約7万9000元(約95万円)の賠償金が科された。李くんは上告し、いまだに決着していない。


・落とし物を届けたら犯人にされた事件
2009年11月、淮安市で起きた事件。1700元(約2万400円)の現金をひろった59歳の周翠蘭。豆餅(大豆しめかす)を売り歩く貧しい生活をしているが、お金をネコババしようともせず、落とし主を捜し出して返却。ところが落とし主は全部で8200元(約9万8400円)あったはずだと主張。裁判になった。裁判官の調停により、原告の告訴撤回で決着している。


■問題はどこにあるのか?

上記3つの事件と天津の交通事故では、いずれも証拠がそろわなかったことが問題の発端となっている。「犯人でもなきゃ助けおこさないだろ」的ないい加減な推論で判決が決まり、「善人が損」をしている。これが中国ネット民が不服に思うポイントとなっている。

少なくとも、自動車事故では塗料の剥がれ具合、ブレーキ痕などで事故状況の再現はある程度、可能なはず。社会の仕組み云々の前に、もっときちんと現場検証しろよというお話のような気もします。

とはいえ、どれだけ頑張っても証拠がそろわないことはあるもの。そんな時にどれだけ人々を納得できる裁きができるかというあたりに「司法への信頼」が問われるわけですが、まーこれが壊滅しているというのも厳しいポイントではあります。


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