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2011年08月22日
廃止後も政治局常務委員は北戴河で政策協議を行っているようですが、北戴河での活動の重要性は年々薄れてきました。また北戴河での労働模範との会見、外国要人との会見など、常務委員クラスの動静も少ないとはいえ報じられてきていました。「中国共産党も開放されつつあるのかもしれない」と感じさせる動きの一つでした。
■秘密会議が復活か?
しかし今年は例年とは違ったものとなりました。政治局常務委員クラスで絞ってみてみると、「ナンバー8の賀国強中央紀律検査委書記が7月29日に規律検査監察系統の先進模範代表と北戴河で会見した」とのニュースだけだったのです(新華網)。いくら高速鉄道事故直後だからといえ、政治局常務委員クラスの高官の北戴河での動静がほとんど報じられないのは奇妙ですし、違和感を覚えました。
おそらく北戴河での秘密会議が今年復活したのだと推測できます。温家宝総理を除いた政治局常務委員が姿をくらましていた時期と、張徳江副総理が姿をくらましていた時期とが一致することから考えて、会議の内容は高速鉄道事故を発端とする不手際をめぐる張徳江副総理の処分や高速鉄道事故の善後処理、世論対策などであったことと考えられます。
■車両埋設指示は周永康書記によるものとする大紀元報道
そのような中、私はニュースサイト「大紀元」で興味深い記事を発見しました。7月29日付の「大紀元」は「高速鉄道事故で車両を埋める指示を出した張本人は政治局のナンバー9である周永康中央政法委書記であり、後になって胡錦濤、温家宝の両首脳がこの命令を退けた」と報じました。
周永康書記といえば、中国における暴動などの治安維持や事故処理の総責任者であり、江沢民系の政治家とも言われています。中共中央政治局や政府の指示なしに、現場判断で車両を埋めるなどの軽率な行為をとることは考えにくい。そう思えば、張徳江副総理の背後に周永康書記がいるという大紀元の指摘はあながちウソではないともいえます。
また周永康書記が8月に入って初めて動静が確認された日(ネパールなどアジア5カ国の歴訪開始)が、張徳江副総理の動静が確認された日と全く同じというのも、大紀元の指摘に信憑性を与えています。ここからもおそらくは、周永康書記もその北戴河会議に参加していたと考えるのが自然でしょう(新華網)。
どちらにせよ、政治局常務委員会の対立構造が高速鉄道事故をきっかけに明らかになりました。そしてこの対立が人命優先の事故処理を行う上で、大きな障害となってしまったことになります。
*当記事はブログ「中国語翻訳者のつぶやき」の許可を得て転載したものです。