■
東野圭吾の決断と海賊版問題■前回の「東野圭吾、中国の海賊版に激怒。版権許可取り下げ」のニュースですが、ネットの反応を見るにどうやら本当らしいです。26日には中国でこの件に関するニュースが報道されました。
(前回記事:「中国ならiPhoneで海賊版小説を読みホーダイ=あの著名日本人作家がキレた?!―北京文芸日記」KINBRICKS NOW、2011年8月23日)(参照:「東野圭吾が『出て行った』背景」解放日報、2011年8月26日)
*昨年度、中国で高収益を得た外国人作家トップ10にも入る東野圭吾氏。写真は星島環球網より。マイクロブログにありがちな流言飛語の類だと思い、ガセネタであることを見越してブログに取り上げたのですが、まさか本当に東野先生が憤慨してらっしゃるとは。せっかくマイクロブログの続報や出版社側から噂を否定する公式発表が出たときのために、
「釣られたクマー」のAAまで用意していたのに、とても残念です。
*当記事はブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」の許可を得て転載したものです。
肝心の東野圭吾本人や出版社側からの公式発表はまだないので確定したとまでは言えないかもしれません。ただ、ガセネタだとしたら、出版社側はベストセラー作家・東野圭吾が中国から撤退するという大ニュースに対応しなければいけないはずです。噂を否定するコメントがどこからも出ないということこそが、このニュースの真実味を高めています。
なんかUFO肯定派みたいな論調になってしまいましたが、ここは最も早く速報を流した推理小説家と出版関係者(どうやら版権バイヤーのよう)を信じて先に進みましょう。下記は8月18日にマイクロブログに流れた第一報と続報。
信頼できる筋からの情報によると、東野圭吾はもう中国に新作を出版する版権を与えない。既に契約済みの作品は別として。
App Storeに電子書籍版の東野圭吾全集(簡体字版と繁体字版)が売りに出されているのを見た東野が中国語の版権を与えないと宣言した。
■発端 そもそも何故東野圭吾が正規版の版権を中国側に売らなくなったのか。しかも簡体字版(大陸版)と繁体字版(台湾・香港版)両方という念の入れようです。版権取り止め騒動はアップルのapp storeに電子書籍版の東野圭吾全集
(まだ現役なのに)が売りに出されていたのが原因と言われていますが、根本的な問題は海賊版の存在にあります。
路上や書店で安価で売られている粗悪な作りの書籍や、無料で読める電子書籍を禁止することは現時点では現実的ではありません。ならば海賊版の原型である正規版自体を取り上げるという選択はおそらく苦渋の決断だったのでしょうが仕方のない判断かと思えます。何せオリジナルがなければコピーが生まれようはずがありませんから。
さて、今回の騒動は8月18日にとある推理小説家が新浪微博につぶやいたことが発端ですが、その知らせを受けた中国のマイクロブログや掲示板では多種多様な反応が見られました。
■百年の孤独の奇跡例えば、上記のニュースでも触れられていますが、東野圭吾の中国市場撤退を
『百年の孤独』出版の例に置き換えて、未だ希望を捨てないネットユーザーの姿が散見しています。 何故ここでガルシア・マルケスが出てくるのでしょうか。
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
売り上げランキング: 9189
実は今年の6月頃から書店で平積みになっている『百年の孤独』を見る機会が増えました。今更こんな名作をアピールする必要性があるのだろうか、と訝しく思っていたのですが、その原因がようやくわかりました。 百度百科の情報で恐縮なのですがここにガルシア・マルケスと海賊版の闘争の歴史が記されています。
(
百度百科:百年の孤独)
マルケスの代表作『百年の孤独』はこれまで少なくとも4度中国でその翻訳版が刊行されました。しかしその全てが実はマルケス側の許可を取っていない海賊版だったのです。その海賊版の多さは1990年に中国の書店を訪れたマルケスに
「オレが死んで150年経ってからじゃないと中国に版権は渡さねぇ、『百年の孤独』だったら尚更だ」と言わしめたほどです。
だから2011年5月30日に中国語の正規版が出版されたことは奇跡のような出来事だったわけです。マルケスの前例を目の当たりにした東野圭吾の読者が奇跡の再臨を待つ気持ちはわからなくはないです。しかしマルケスは中国で正規版出版を認めるに当たり1つの条件を出しました。それが『百年の孤独』を含むマルケスの著作の海賊版の排斥です。つまり東野を中国に引き戻すためには結局のところ海賊版問題を解決しなければならないのです。
■東野圭吾の快進撃
マルケスの『百年の孤独』の版権には100万ドル(約7670万円)の価格が付いたそうです。では、果たして一度中国から手を引いた東野圭吾にはいくらの値段が付くのでしょう。2010年のasahi.comには東野の『白夜行』が21万部、『容疑者Xの献身』が20万部、『放課後』が13万部もの売れ行きを見せたという記事が載っています。
(ソース:「
中国 東野圭吾ブーム 」asahi.com、2011年9月2日)
出す本全てがベストセラーとなった東野は、2010年には「中国で最も稼いだ外国人作家ランキング・トップ10」入りを果たします。
(
百度百科・中国で最も稼いだ外国人作家ランキング)
ちなみにこの記事に出ている新経典文化とは、東野圭吾のほかに村上春樹や宮部みゆきらの作品を手がけ、そしてガルシア・マルケスを口説き落として『百年の孤独』の版権を手に入れた名うての版権管理会社(出版社ではなさそう)です。
またこれは中国語のニュースサイトですが、2011年7月の第一財経週刊に「狂ってる推理小説」と題した東野圭吾バブルを報じる記事が掲載されています。
08年中国で『容疑者Xの献身』が大ヒットをしてから東野の著作の版権は急騰した。推理小説としては一般的な値段だった30万円という版権料は50万~100万に跳ね上がり、300万~400万の値段がつけられた作品も少なくない。そして、「去年東野圭吾が書いた、とある小説の版権料は600万円まで高騰した」
そう語るのは出版社・
北京鳳凰雪漫文化有限公司の総経理である
鐘擎炬。彼はマイクロブログで東野圭吾版権停止問題の第二報を書き込んだ人物です。記事によるとこの版権料は小説家自身に支払われるとのこと。また、講談社で出版した東野圭吾作品の講談社が管理し、その他出版社の版権は東野圭吾の個人事務所が管理しているようです。
どの出版社にとっても、ベストセラー作家は喉から手が出るほど欲しい存在です。しかも東野圭吾は並の人気作家ではありません。本来ならニッチだった中国推理小説市場を一気に開拓したパイオニアなのです。2万部でベストセラーと言われた中国の推理小説業界ですが、東野氏が牽引して市場自体を拡大させたと言えるでしょう。
■「巨大な中国市場を捨てることなんかできやしない」は本当か?
東野圭吾撤退宣言を受け、マイクロブログやネット掲示板には
「中国市場は大きいんだから版権取り止めなんかあるわけがない」というコメントも登場しました。版権料急騰という上記第一財経週刊記事はこうしたコメントを補強する材料ともなっているわけですが、実際のところ、外国人作家にとって中国市場はどのような存在なのでしょうか?
「推理の神」こと島田荘司は、今年2月、中国での翻訳小説出版時に発生する印税について、ツイッターでつぶやいています。
島田荘司 @S_S_Kingdom
最近はからずも、北京、新星出版等の依頼で、日本人作家の中国出版窓口みたいになっている。でも人民元切り上げがなくては、5万部売れても1万部の感覚。さらにこれからエイジェント2%、出版社3%の搾取で、印税5%、5千部の感覚になるから、これでは作家に勧められないよね。
2011年2月8日
まず中国の書籍は単価が安く、日本の5分の1程度の値段でしかないこと。さらに印税のうち半分はエージェントと出版社に「搾取」されるので、最終的に作家の手に入る印税は本来の売り上げの1/10程度にしかならない計算――と説明しています。
それでも「2010年最も稼いだ外国人作家ランキング」によると東野圭吾は530万元(約6,400万円)もの印税収入を手にしているのですが。この収入がたった5%の印税から来ているのだとしたら、東野圭吾の作品は一体何百万部売れたんでしょう。1冊25元(約300円)の小説が100万部売れた場合、印税は単純計算で125万元(約1,500万円)。530万元の印税といえば、424万冊が売れた計算となります。
膨大な数が売れた計算となりますが、その影で把握されていないのが海賊版による売り上げです。残念ながら現状では中国版書籍を出版すれば、その海賊版が流通することを止められないでしょう。海外の作家に残された選択肢は2つ。正規版を購入する読者のために海賊版に目をつぶって版権を売り続けるか、不当な利益を掠め取る海賊版を撲滅するために正規版の出版を取り止めるか、です。
東野圭吾は多額の版権料を支払う出版社や安くはない本代を捻出する読者のために敢えて版権委託の禁止に踏み込んだのではないでしょうか。
■ネットユーザーの本音東野圭吾の本が中国で読めなくなる事態に一番素直な驚きを見せたのは中国人の読者です。ネット上には作品が二度と読めないんじゃないかと危惧する声、東野圭吾を恨む声、海賊版に反対する声など様々な反応が見られました。その中には
「正規版がなくたって誰かが翻訳するさ」と開き直りの声もあり、海賊版問題は依然として根深いことを思い知らされます。
これは知人から聞いた話ですが、大陸には推理小説の電子書籍版を専門的に作るサイトがあるそうです。大陸よりも出版が早く値段も高い台湾の繁体字版を購入。わずか数日で簡体字版の電子書籍を作成して、ネットで無料公開します。
8月16日に台湾で正規版が出たばかりの東川篤哉の長編推理小説『
謎解きはディナーのあとで
』を簡体字に訳してネットにアップロードしたのもこのサイトの仕業だそうです。台湾の掲示板には悔しさがにじむコメントが書き込まれていました。
「なんでいつもいつも大陸のネットユーザーがやった失態に俺たちが巻き込まれなきゃいけないんだ」
Cbox
■今後何をすべきか
今回、東野側が下した処置は以降の新作の版権を譲らないというもの。版権契約済みの既存作品が絶版になるわけではありません。中国市場完全撤退という最悪の結末ではなく、東野圭吾作品は今後も店頭に並びます。 注目すべきは新作出版後の中国人読者の反応です。そのとき彼らは悔しげな眼差しで日本を見つめるのでしょうか。それとも懐を痛めない最新の電子書籍版を読んで優越感に浸るのでしょうか。
上述のガルシア・マルケスは中国の書店に並ぶ自著の海賊版に憤慨し、
自分の目の黒いうちは中国に版権を渡さない、と宣言しました。数年後再びネットを見た東野圭吾が、存在しないはずの中国語海賊版を目にした時になんと思うでしょうか。読者がいまするべきこと。それは東野圭吾の決断を重く受け止めて、海賊版と正しく向き合うことなんじゃないでしょうか。
■中国人作家、御手洗熊猫のコメント 最後に、中国の推理小説家であり自身も電子書籍の被害に遭っている御手洗熊猫のコメントを抄訳してここに転載します。
『みんな電子書籍にやられた』 文:御手洗熊猫
東野圭吾が中国に版権を渡さないというニュースを聞き、初めは驚いたが理由を知って納得した。東野が下した決定についてなんら話し合うことはないと思う。だが東野に反対する声もある。そうした声の一つは、「版権をくれないなら、今後は自分たちで翻訳してみんなに読ませれば良い」と言ったものだ。
海賊版作りは今後も続けられるだろうが、東野は自分の作品が無断でコピーされているのを見て行動に出ただけだ。彼の行動に中国はどう応えればいいのだろうか。東野は中国の海賊版排斥運動の手助けをする必要はなく、この決定は単に海賊版に対する自分の立場を表明しただけに過ぎない。海賊版が横行し版権意識のない中国に自作を提供したくなかったのだ。
もう一つ、「東野はツンデレだ。海賊版を作らなかったら中国にいるお前の読者はどうなる?」という声もある。彼らの言葉に隠れている真意は、「版権をくれないんなら俺たちも読まない」、あるいは「だったらいつも通り海賊版を見るぜ!」である。
版権が取り上げられても中国の読者はこれっぽっちも反省しておらず、むしろ作者の我侭な行動と考えており、ある種の宣伝とすら思っている。一個人が自分の権利を守るためにとった公正で正当な行動を、ツンデレだとか宣伝と思うのか?これには私もこの国の道徳を疑わざるを得ない。
そして3つ目の声は、「東野は結局のところ日本人だから中国の情勢を考えていない。海賊版が横行し電子書籍がアップロードされるなんて中国じゃ大したことじゃない」というものだ。
確かに中国の社会状況はそうである。中国人には物質主義が蔓延しており文化や知識といったものを軽視している。今回の東野の判断は中国人にとって衝撃的だったのではないだろうか。
しかし中国は間違いを認めない国である。東野の荒っぽい決定でも何も変えられない。電子書籍版の製作組織が増長し、日に日に広大になるこのインターネット時代、作家と作品に対するダメージは目に見えて大きくなっていく。
「(金のために海賊版を作るのではない。)作家と作品が好きだから電子書籍を作る」という人間は知っているのだろうか。海賊版を作ることで、好きな作家と作品に強烈な一撃を与えているということを。
フリーランチを食べたい。この考えは他人の労働価値を軽視し、厚かましくも他人の成功を横取りし、ついには労働でえた収入を奪い取ることにほかならない。
■補足 島田荘司氏の発言
島田荘司氏がちょうど本日、この件についてTwitterで言及していましたので、ご紹介します。
*当記事はブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」の許可を得て転載したものです。