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「どうかチベットを守ってください」乱開発で失われる誇りと資源―チベットNOW

2011年09月08日

■何清涟「どうかチベットを守ってください」■

7月20日付けのブログにウーセルさんは、在米ジャーナリスト/経済学者である何清涟さんが7月19日に発表された、チベットの環境問題に関するコラムを転載されている。ウーセルさんはブログに資料となる写真や図を補足されている。

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『どうかチベットを守ってください』
原文/ウーセル・ブログ
文/何清涟
翻訳/雲南太郎(@yuntaitai

7月9、10日にワシントンで漢蔵討論会に参加した時、チベット族の女性作家ウーセルの文章「聖山と聖湖を金儲けに使う『開発』の中止を」を読んだ。北京に本部を置く国風集団傘下の西蔵旅遊有限会社が「阿里(ンガリ)地区聖山聖湖旅遊区開発プロジェクト」として、チベットの聖山カン・リンポチェ(カイラス山)と聖湖マパム・ユムツォ(マナサロワール湖)を「担当」し、株式発行の名目にしているという。

ウーセルは宗教聖地の商業化に反対し、このエリアを開発すべきではない理由を二つ挙げる。まず、カン・リンポチェはチベット人民の聖山であり、軽んじてはならないということだ。二つ目の理由は環境保護だ。私は完全に賛同する。

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


しかし、神を信じて幸福を祈るばかりで、宗教的伝統のない漢人にしてみれば、最初の理由では聖山に興味を持つ者を思いとどまらせることはできない。カン・リンポチェのコルラ(右繞)は内地の漢人を大いに引きつけるからだ。花も樹々も無く、空までも淀んだ鉄筋コンクリートのジャングルに長く暮らした後では、人々は極地探検の旅にあこがれる。

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*北京民族文化宮で開かれた「チベット和平解放60周年成就展」で写した写真。ウツァンなどチベット自治区で進められている鉱山開発や観光開発計画を示している。


環境保護という理由に至っては、中国人をどれだけ抑えられるか疑わしい。1960年代やそれ以前に生まれ育った2、3世代の人々はこの30年間、経済発展の名の下、権力者らによって国土が踏みにじられるのを見過ごしてきた。

河はひどく汚され、湖は干上がって消失し、土地はたった30年の寿命しかないという住宅に変えられてきた。自分が生まれ育ち、血肉や魂がつながっていると称する土地でさえ大事にしない人間が、どうして他人の郷土を大事にする心を持てるだろう?

私はかつて(山西、陝西省境の)晋陝峡谷を抜け、涸れた黄河を見たことがある。鉄道で甘粛省や新疆ウイグル自治区などの西北地区に行ったこともある。あの「むき出しの黄砂、貧骨に至る哀れな山河」と言われるすさまじい寂寥感に私の心は冷え切った。

だから中国の環境問題には特に注意を払い、関連資料を毎年読んでおり、中国の現実ははっきりと分かっている。環境保護関連の立法は1700以上あるが、中国人の貪欲さを止めることはできないということだ。環境保護部門の役人は評価と監督の権力を利益追求の手段にしている。

この30年、私たち中国人は大自然をかすめ取りながら、自分たちがいかにこの地を愛しているかを騙ってきた。「環境を守りながら嘘をつく」という政治文化のもと、中国では2005年に1.8億人の環境難民がいた。それも、主に西北の五つの省・自治区に集中している。

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*インターネット上にあった「中国西南地区の水力発電開発計画図」。チベット東部のカム地方の河川にびっしり並んでいる。

実際、チベット人の居住地はもう「発展」の害を免れられなくなっている。青蔵高原は世界三大河川の長江と黄河、瀾滄江(メコン河)の源流域であり、世界で最も海抜が高く、最も面積の広い高原湿地環境だ。中国とアジアの気候環境に大きな影響を与える「アジアの水がめ」と呼ばれている。しかし、過度の放牧によって草地が退化し、水源が枯渇している。

「黄河源流第一県」と呼ばれる瑪多県(マトゥ)は環境資源によっていったんは最も豊かな県になったが、今では有名な貧困県になっている。長江源流第一県の青海省玉樹チベット族自治州曲麻菜県の井戸はみな干からびている。長江源流に住みながら、今ではほかの場所から運んできた水に頼って暮らさざるを得ない。

チベットは私がずっと恐れを抱きながら観察している地域だ。中国政府は2003年、「チベットの生態建設と環境保護」という白書を発表した。チベットの特殊な生態環境の保護を政府が重視していることを報告書は示している。しかし中国の事情は往々にして論理矛盾に陥る。計画を立てた時点では筋が通っていて、上は自然の法則に合致し、下は民間の事情にかなっている。ところが実践に移ると正反対になってしまう。

1950年代に開発した鉱山の3分の2が老年期にさしかかり、500近くが相次いで閉山した。鉱業を主力とした426の資源型都市のうち約50都市が衰退している。このため、私はあの貪欲な眼差しがチベットに向けられるのではないかと心配するようになった。

新華ネットが「チベットの銅資源埋蔵量は全国トップ」「チベットの鉱業のGDP貢献率は10年後に30%を超える」などと発表するたびに、内地の鉱山開発地でかつて見た情景が目の前に浮かんでくる。陥没し、掘り荒らされた土地、大量の廃棄物とひどく汚染された水という情景だ。

不幸なことに、これは私の想像ではなく現実のものとなっている。政治的な特殊性により、チベットの生態環境などの問題は内地よりも更に敏感となり、なかなか報道を目にできない。しかし、チベットの極めて脆弱な生態システムが狂ったような破壊に遭っていることを別のソースから知ることができる。

ウーセルは以前、「ソンツェン・ガンポの故郷がまもなく掘り尽くされる」と書き、チベットで最も偉大な君主ソンツェン・ガンポ誕生の地、墨竹工卡県(メルド・グンカル)甲瑪郷が破壊される悲惨な情景を記した。この地の風景は美しく、銅やモリブデン、鉛、亜鉛、金、銀などの多様な金属を埋蔵し、潜在的な経済価値は1200億元を超すと見積もられた。

このため、中国の内地から来た鉱山開発者が争って餌食にする標的となっている。開発者の中には、国務院をバックにした中国黄金集団もおり、採掘量は1日当たり1万2000トンに上る。かつては美しかった甲瑪郷は今ではもう変わり果ててしまった。現地のチベット人の反抗も、貪欲な略奪者の手を止められなかった。

青蔵鉄道の開通は鉱山開発者にとって、「輸送能力の大幅な増強」だ。しかし、チベットにすれば、資源を吸い上げる巨大な吸血管を刺されたようなもので、更に狂ったような略奪に直面することになる。

ウーセルの理解によれば、現在のチベット自治区内には90以上の鉱山開発地があり、すべての県に鉱山が少なくとも一つある。チベットで将来、3000以上の鉱山を開発するという大規模な計画も2010年に公表された。これはチベットの環境が狂気じみた略奪に遭うことを意味する。

鉱山開発のレベルの低さは山西省の悲惨な情景で証明できる。山西省は既に10分の1の面積を掘り尽くされ、多くの村で地盤沈下を招いた。開発の結果、鉱山主と現地公務員は豊かになった。一般市民は困窮しているだけでなく、環境面でも災難に遭った。

だからこの数年、ダライ・ラマがチベットで最も注目している問題は政治から環境に移っている。この点、尊者ダライ・ラマはさすがに素晴らしい見識を備えた賢人だ。チベット族の生存基盤にかかわる環境問題ほどには政治問題は緊迫しておらず、ゆっくりと話し合えるからだ。

ワシントンでの漢蔵討論会で、米国の大学で教鞭を執るチベット人のテンジン・トゥサム氏が「どうかチベットを守ってください」と誠心誠意呼びかけ、強い印象を残した。この言葉には二重の意味があるだろう。一つ目はチベット族人民の心を守るという意味だ。これは身体を守るよりも重要な意義がある。北京が本当にチベットをつなぎ止めたいのなら、チベット人民の宗教信仰を尊重し、神聖な僧院と聖山を「旅行資源開発」に充てるのを止める必要がある。

二つ目はチベット人が代々暮らしてきた山水を彼らに残し、鉱産物の略奪を直ちに中止し、漢族が今受けている環境面の災難をチベットにまで拡大させないという意味だ。チベットが現在と未来にどんな政治体制を採用するかに関わらず、チベット人民が代々暮らしてきた土地をどう開発、利用するかはチベット人民自身が決めるべきだ。

「どうかチベットを守ってください」この一言はなんと痛切な呼びかけだろうか。チベット族人民の数十年の苦しみが込められ、現在と未来に直面する生存の危機にまで言及している。北京の執政者よ、あなたたちに聞こえただろうか?理解しただろうか?

2011年7月19日

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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