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2011年09月07日
■「歴史決議」記念討論会
今年は第11期6中全会『建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議』(通称:歴史決議)から30年目であります。1949年の建国から、決議が採択された1981年まで、特に文化大革命を厳しく断罪したもので、文革の残滓(笑)である華国鋒にとどめを刺した会議となりました。
この決議から30周年を記念して、8月27日に党や政府、軍の関係者、引退党員など100名余りが北京で討論会を開いています。決議に大きく関わった胡耀邦の子息、胡徳平をはじめ、出席者の顔ぶれは大した事はないのですが、胡徳平が「誰かが文革をまたやろうとしている」と薄熙来を名指しも同然の言い方で批判。「現在の党内民主は30年前以下だ」と危機感を滲ませました。
「中国共産党の執政党としての地位が最も危険な時である」との認識で進められた会議ですが、主催した胡耀邦公式サイト、中国経済体制改革雑誌社、南方週末、騰訊網全てが会議に言及することがありませんでした。
この手の危ない会議を開催できるのは、力ある後ろ盾がいるのだろうとは思っていましたが、報道されることなく忘れ去られるのか……と思っていたところ、10日後に中国青年報がサルベージするというサプライズです。
■ついに胡錦濤が太子党に宣戦布告?
さて、記事の中身ですが、「決議の最低ラインは絶対に動揺してはならない。最低ラインとは、すなわち文革を批判し、根本的に否定する態度である」との胡徳平の発言を紹介。薄熙来を真っ向から否定する構えを見せております。
本サイトが繰り返し伝えてきたように、「台風の目」薄熙来は温家宝とバトルを繰り広げてきました。
(関連記事:「【中国コラム】「赤い」ノスタルジアから読み解く中国共産党内部の権力闘争」KINBRICKS NOW、2010年12月10日)
今回の記事だけで、「胡錦濤が戦いに参戦、温家宝の提唱する政治改革に賛同する構えを見せた」とまでは断定できませんが、薄熙来の紅歌(革命歌)活動をスルーしてきた胡錦濤がついに態度を表明したことは面白い動きといえましょう。
なお、習近平を筆頭に常務委員5人が立ち代わり重慶入りして薄熙来支持の態度を示す中、胡錦濤は薄熙来就任後、1度も重慶を視察していません。一方で、薄熙来のライバルである汪洋が支配する広東省には、この1年で3回ほど訪れている事を付け加えてしておきます。
<関連記事>
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*当記事はブログ「中国という隣人」の許可を得て転載したものです。