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2011年09月20日
二十数年前に王力雄が黄河を下った時に写した写真がある。マトゥの写真には本当に驚かされた。数千数万の人々が争うように働いている情景だ。荒地を開墾して作物を植えたり、水や草を求めて家畜を移動させているのではない。先を争って河から砂金をすくっている姿だった。写っている採取者はほとんど回族と漢人だ。チベット人が砂金すくいに関わっているのはたぶん見なかったと王力雄は振り返る。
*マトゥ県城。
実際、マトゥは黄河のおかげではなく、黄金などの豊富な地下資源によって有名になり、無数の貪欲な者たちを集めたのだった。関連資料によれば、80年代に数十万人の外地人がハチの群れのようにマトゥの砂金すくいに集まった。
マトゥがいったん豊かになったのは牧畜業の発展によるのではなく、黄金の売買でGDPと財政収入を増やしたからだ。強調しなければならないのは、マトゥのい
わゆる豊かさは遊牧民に分け与えられてはおらず、彼らは依然として足るを知る質素な遊牧生活を送っているということだ。
*この「金尊御膳時尚火鍋」を含め、県庁所在地の多くの店は漢人と回族が開いたものだ。
外来者がチベットに押し寄せて地下資源を掘り、草原は破壊され、河は干からび、野生動物は捕獲され、冬虫夏草などの希少な生薬は採集された。こうした事が重なり合って重大な結果を招いた。
ネット上で見つけたある調査によると、マトゥ県は80年代から90年代半ばにかけ、乱掘によって黄金の資源を破壊しただけでなく、草原環境をひどく損なった。生態系の良好な連鎖が乱され、水や土の流出と砂漠化を招いた。1999年になると、全県の総面積の47.8%は砂漠と砂れき、むき出しの土となり、野生動物の数は31%減少したという。
*マトゥ県広場。「党の輝きは源流を照らす」という赤い横断幕のスローガンが跳ね馬よりも人目を引く。
「中外対話」(本部をロンドンに置く環境系NPO)は昨年、「消えゆくチベットの草原」という文章を発表した。取材を受けたチベット人教師は「今のマトゥはとても貧しく、基本的に生きていけない。資源は掘り尽くされ、草原も台無しになった……」と嘆いていた。
しかし、マトゥ県政府のウェブサイトは依然として「開発を待つ豊富な鉱物資源」と宣伝している。どこにでも砂金があるほか、石炭や鉄、銅、コバルト、塩、ホウ砂、石灰岩、玉などがあるという。その上、今も絶えず金鉱を採掘している。
*これはマトゥ県監獄。ここ数年は泥棒1人を収監しただけと聞いた。今、何人を収監しているかは分からない(残念ながら、王力雄が撮った金鉱開発の写真は手元に無い)。
果たして放牧の問題はあるのだろうか?80歳を超すある遊牧民は「もし家畜が植生を傷つけるのなら、ここはもう荒れ果てた土地になっているはずだ。子どもの頃、数千頭のキャン(チベットノロバ)が出没していたのだから」と問い返す。王力雄も関連する文章の中で、「チベット人は先祖代々、数千年も草原で放牧してきた。なぜ過去の環境は破壊されず、行き過ぎた放牧も無かったのだろうか?」と反問する。
大きな地図で見る
*2011/09/21、地図に誤りがあったので修正いたしました。
最後に、生態環境の悪化を招いている原因を補足しておこう。つまり誰もが知るチベット高原の気候変化だ。しかしながら環境悪化には外来の人為的な要因もある。私が言っているのは鉱山開発とダム建設の事だ。
2011年8月17日、ラサにて
(初出はRFA)
*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。