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「開発」と「発展」がもたらす民族の喪失=マニカンコのヤク肉加工場―チベットNOW

2011年09月22日

■ウーセル・ブログ「マニカンコのヤク肉加工場」■

9月17日付けウーセル・ブログ

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『マニカンコのヤク肉加工場』
文/ウーセル 翻訳/雲南太郎(@yuntaitai)さん。翻訳感謝!

マニカンコは交通の要衝だ。香港の武侠映画「ドラゴン・イン」のようで、豪気なカムパのいる世界だと言う人もいる。ただ、これは元々の風情ではない。マニカンコは「お経を刻んだマニ石が敷き詰められた山の斜面」という意味だ。こうした風景が過去には確かにあったが、今ではもう消えてしまった。

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*計画出産の宣伝画。

それほど多かったマニ石はどこに行ったのか?文革かそれ以前の「民主改革」の時代に革命者に持ち去られ、軍営か郷政府の建設に使われたのだろうか?そして残ったものは民衆が何かのついでに持っていき、家を建てるのに使ったのだろうか?

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


7月末のある日、私たちはゾクチェン・ゴンパからマニカンコに向かった。計画出産を宣伝する大きな絵が道路わきにそそり立っているのが遠くから見えた。デルゲの民族衣装を来たカムパ夫婦が微笑みながらカタを持ち、そばには花束を抱えた男の子と小さなヤク、2匹の子羊がいる。幸せな生活の図といったところだ。
(カタ:チベットで宗教儀式、冠婚葬祭などに用いる白いスカーフ。)

マニカンコにはもう「ドラゴン・イン」の趣は無くなっていて、町中に四川人が開いた食堂や商店があふれている。南充市から来た夫婦は「ここで食堂を開いてもう20年になる。故郷に家も建てたよ」と話した。

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*南充餐館。

駐車車両でいっぱいになった道路でたびたび見かけた黒いヤクも消えていた。5年前の2006年夏、このマニカンコで、漢族のヤク肉加工場が地元チベット人によって焼かれた。

数人のチベット人が捕まって刑罰を受けた。ネットの情報によると、ヤクを好き放題に屠殺するやり方がチベット人の伝統や習慣とかけ離れていたために衝突が起きたという。それだけの話なのだろうか?後日、カンゼ州のメディアで働く友人に会った時、実情はそれほど簡単ではなかったことをようやく知った。

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*鉱石を積んだ大型トラック

文化の衝突も間違いなくある。工場の現代化された屠殺方法を見たと友人は言った。労働者は指先でボタンを押すだけだ。開いていた金属製の柵のようなものが勢いよく閉じ、大きなヤク1頭をきつく挟みつけ、動けないようにする。

労働者がまたボタンを押すと、挟まれたヤクは突然持ち上げられ、体をひっくり返される。続いて機械操作の屠殺に入り、1頭の生きていたヤクはあっという間に肉と骨に切り分けられる。ひっくり返されたヤクが大きな涙の粒を流すのをこの目で見たと友人は教えてくれた。


Bos_grunniens_-_Syracuse_Zoo / dpape

*ヤク:wiki

チベット人がヤクを殺さないわけではないが、殺すにしても限度がある。ヤク肉加工場のように毎日ひたすら殺し続けることはない。工場から流れ出した血が草地を赤く染めるのを目にし、周囲に立ち込める血のにおいをかぎ、当然チベット人は耐えられなくなった。

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*各種の大型トラックが絶えず走っていく。

もっと受け入れられなかったのは、現地で買い上げるヤクの価格がとても不公平だったことだ。しかし、工場を経営する企業と地元政府は協定を結んでおり、低価格でヤクを渡すよう役人は一般のチベット人に命じた。どんな意図が隠されているのかは誰の目にも明らかだ。

チベット人がヤクを格安で売ろうとしない時、工場側は信徒によって放生されたヤクを強欲な者たちから買い集めることまでした。そして積もり積もった恨みと憤りが燃え上がり、チベット人たちはヤク肉加工場に火をつけてしまった。たとえ文化の衝突と結論付けたとしても、役人たちはもちろんこの最も重要な原因を隠さなければならなかった。

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*荷台に載せているものは何か?

「企業は1頭の怪物のようなものだ。もう1頭のより凶暴な怪物は政府だ。あるいは二つの頭を持つ怪物と言うべきか。この双頭の怪物は『開発』『発展』の旗印を掲げている。たけり狂ってチベット人の土地に入り込み、一体何をもたらすのか?」私はかつてこう書いたことがある。

得られた結論は、現地人の権益の喪失がもたらされるということだ。土地や家畜といった生産手段の喪失、伝統や習俗といった生活スタイルの喪失、命名権といった文化の喪失、心の内といった自我の喪失がこれに含まれる。更に、最終的には一つの民族の喪失がもたらされるだろう。


2011年9月7日ラサにて

(初出はRFA)

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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