■フランシス・フクヤマと中国モデル■9月25日の『読売新聞』の「地球を読む」欄で、フランシス・フクヤマ氏が「中国モデル」についてエッセイを発表していました。大変興味深い内容でしたので、ご紹介します。
同氏は中国モデルには「政治と経済の二つの側面がある」としています。政治面では、権威主義的国家でありながら、他の独裁国家にない次のような制度が取り入れられていることを指摘しております。
*1992年刊行、『歴史の終わり』中国モデルの特徴(政治面)
(1)制度化
指導者の任期が10年と定められていることや、党員の昇進は能力主義に基づくこと。党中央政治局内の意思決定は厳密な集団的意思決定体制が取られていること。
(2)民衆に対する融和策
ネットなどから報告された役人の行為があまりにひどい場合には、それなりの処分を行っていること。
*当記事はブログ「政治学に関係するものらしきもの」の許可を得て転載したものです。
経済面の特徴は以下のとおり。
中国モデルの特徴(経済面)
輸出主導型の成長モデル。為替レートを低く抑え、輸出産業を保護。国営企業による景気刺激策の受け皿化。
民主主義国が法の支配と民主主義的な説明責任により様々な制約を受けるのに対し、中国は権威主義体制であるがゆえに「
大規模な経済政策の決定を迅速に、そしてかなり効果的に行なえる」という利点を指摘しています。
■西欧民主主義礼賛を捨てたフクヤマ氏ベストセラー『歴史の終わり』を書いて、西欧民主主義、資本主義の勝利をたかだかと歌い上げたフクヤマ氏が!と驚くような内容です。ただ、フクヤマ氏はイラク戦争に関してブッシュ政権を批判するなど、以前から西欧民主主義礼賛路線から転向していました(『アメリカの終わり』等を参照)。
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コラムはむろんたんなる中国礼賛ではなく、後半では、最高指導者の政策が間違っていた場合どうするのか、世界的不況の中で外需依存型経済が高度経済成長を維持できるのか、といった中国の問題点を指摘しています。
リーマンショック後の景気刺激策は相当な比率で「無駄金」になったのではとの記述もあります。また、国民が意思決定に参加できない権威主義的体制に、教育水準が上がり豊かになった人々が満足できるかという問題を「中国の政治制度の欠陥」と指摘し、最も重要視しています。
■自由主義的国家と権威主義的国家の「競争」
フクヤマ氏の結論は、
現在の自由主義的国家、中国のような権威主義的国家の双方が問題を抱えている。両者が「競争」する中で、どちらの体制がより魅力的であるかが決まると論じています。
大変興味深い指摘です。そも、現在の資本主義体制にしても、もともとは夜警国家的発想から自由競争が重視されていましたが、弱者切り捨てとの批判をうけて社会主義的思想が誕生しました。
社会主義と「競争」を繰り広げる中、資本主義は社会保障や社会福祉の考えを取り入れていきます。いわゆる修正資本主義として、弱者にも配慮する資本主義体制を作り上げ
(フクヤマ氏が説くヘーゲルの弁証論的発想、『歴史の終わり』を参照)、社会主義(共産主義)国家との「競争」に勝ち残ったわけです。
社会主義との競争に続いて、今度は権威主義体制との競争が始まったというのがフクヤマ氏の見立てでしょう。政策決定の遅さ、調整に時間が取られすぎるという点で、権威主義体制からの挑戦を受けているわけですが、現在の民主主義体制でどう改善するかというのは難しい問題です。
■民主主義の次なる「止揚」は難しい
民主主義は独裁による弊害をなくすために、できるだけ多くの人々の同意が得られる体制としてスタートしたものです。調整に時間がかかるのは仕方がない面もあるのです。また、民主主義は平等と結びついているので、個人の権利を無視できない面もあります。ですが、むやみに福祉に金をつかえば財政悪化を招くのは必然です。
フクヤマ氏自身も、権威主義体制の挑戦を受けた民主主義国の「弁証法的止揚」が困難であることは重々承知しているのでしょう。本来ならば、『歴史の終わり』のような新しい体制の提言をしたかったのではないかと思いますが、きわめて難しい問題であるため、「競争」までを描いて結論としたのでしょう。
*当記事はブログ「政治学に関係するものらしきもの」の許可を得て転載したものです。