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中国のミステリー研究会イベントに参加してみた=推理小説の「本土化」ってなに?―北京文芸日記

2011年09月30日

■中国人民大学のミス研-推理小説家の講演■

9月24日(土)、人民大学で推理小説イベントが開催されました。40名以上の大学生を集めたこのイベントを取り仕切ったのは人民大学の学生サークル・中国人民大学推理協会と、ミステリマガジン『歳月・推理』を刊行する歳月推理雑誌社です。
(参考サイト:“謎”花倚石忽已“明“


■推理クイズからスタート
 
開始時刻になると講堂のスクリーンに推理クイズが映し出されました。正解者には『歳月・推理』が贈呈されるのですが、なかなか難しかったのか、それともみんなクイズよりもこのあとに行われるプログラムの方に興味があるのか、正解者は少なかったです。

クイズの答え合わせが終わると次は当サークルの紹介に入ります。

20110930_mistery1

この推理協会は2010年4月に人民大学で発足した学生サークルで、毎週集まってミステリ関係の映画や小説を鑑賞し内容に関して討論をしたり、トリックやアリバイを考える『殺人ゲーム』をすることが主な活動だそうです。日本の大学の、いわゆるミス研とはちょっと違った趣きがあります。

*当記事はブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」の許可を得て転載したものです。


■推理小説家二人の講演


紹介のあとはいよいよ本日のメインイベント、推理小説家の午曄先生と言桄先生の講演です。両者とも歳月・推理の誌面を古くから支える有力作家です。
(参考サイト:百度百科・午曄、:百度百科・言

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午曄先生は北京の某大学で教鞭をとっているらしく、大勢の前でしゃべるのは慣れたもの。話の展開が上手く、またそのスピードが恐ろしく速い。

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言桄先生は柔らかい言葉づかいで自らの経験を踏まえながら「創作」というテーマを中心に語ってくれました。
 
ここで2人の講義内容を書き記すことが出来たらまともなレポートになるのでしょうが、中国人向け講座の遠慮なしの中国語は、4割程度しか理解できませんでした。
 
ただ幸いなことに午曄先生も言桄先生も話の重点が似ていたので、2人の意見をまとめてみようと思います。
 

■「本土化」と中国ミステリに欠落したリアリティ

午曄先生は理工系のエンジニアという自身の立場から、警察が使っている近代的科学技術を無視することなく、小説内に応用することで、読者が納得できるロジックを構築しなければならないと訴えました。そして言桄先生は外国語習得者として、海外に出たことのない人間が安易に海外を推理小説の舞台に選ぶ危険性を語っていました。
 
2人の話で共通していたのは、現在の中国推理小説界はミステリの「本土化」、つまり中国大陸独自のミステリを生み出すことが課題ではあるものの、トリックの優劣以前に生活感やリアリティに欠け、物語自体に問題のある作品が多すぎるという指摘です。
 
もっとも講演で2人が語った「本土化」とは具体的に何を指しているのか、私には理解できませんでした。中国を舞台にした推理小説ということが「本土化」の第一前提なのでしょうが、外国人受けする時代や史実を単純に物語の背景に設定すれば良いということでもないでしょう。


■中国人が共感するネタを選べということ?

両先生が仰った物語に生活感やリアリティを出すことが「本土化」の第一歩を意味しているのであれば、そのミステリが社会派にせよ本格派にせよ、物語中に何らかの形で中国の真実を反映させていることが肝心です。

例えば、推理小説には欠かせない「警察」という組織を扱うにしても、それは「公安」を意味する広義的な言葉として用いられているのか、「武警」や「城管」と混同していないかなど、それぞれの特徴を明確に書き分けることも「本土化」の一要素だと思います。

ぶっちゃけて言えば、「中国についてもっと勉強し、中国人が共感するネタを選べ」ということなのでしょうか。


■台湾人作家の「本土化」ミステリ

そう考えると、既晴の短編集『献給愛情的犯罪』は台湾人作家の手による小説であるものの、まさに「本土化」したミステリでした。
(過去記事:「献給愛情的犯罪 著:既晴
トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く、2011年6月3日)

収録作品のひとつ、考前計画」は95年に書かれた処女作ですが、苛烈な受験戦争や子供を愛憎する教育ママ、そして海外留学という中国の教育界に散見する話題を取り上げている一方で、ほどほどのフィクションが盛り込まれ、きちんとミステリ小説の体裁をなしていました。
 
何にせよ、現実を無視した都合のいい展開やリアリティのないトリックを持ち出されたら「本土化」は遠退くばかりですが、かと言ってオリジナリティのない紋切り型のストーリーもそれはそれで困りもの、と言ったところでしょうか。


■盛況の元に終了した講演会

話を戻しますが、先生方の話が終わると質問タイムに入りました。まぁその間に私は、司会者に本名バラされてみんなの前に出てちょっと話せとムチャ振りされたのですが、必死に拒絶して事なきを得ました。

その後、何事もなかったかのように始まった質問タイムでは、学生たちは矢継ぎ早に質問を浴びせていました。ただ、このあたりでもうメモを取るのを止めていたのでどんな質問が飛び出したのかは覚えていません。

質問者には2人のサイン本が贈呈されるということもあり、質問は百出しましたが、正直そのレベルはピンきり。ただ、先生方の答えもユーモアに富んだもので、場は最後まで盛り上がりっぱなしでした。


■ミステリ好きにオススメするミス研活動
 
歳月・推理がミス研と合同で開いた今回のイベント。奇しくも我が母校(ただの留学先ですが)の人民大学で行われました。今後は清華大学や北京大学など他の大学のミス研とも連携し、今回のような推理小説家の講演会を開催する予定だそうです。

もちろん人民大学推理協会は今後も定期的に活動しますし、歳月・推理以外の出版社とも協力してイベントを開きます。現在北京に留学していてミステリに興味のある学生は、各大学のミス研の活動に参加してみてはいかがでしょうか。


■「本土化」に対する疑問

 
さて、最後に午曄先生と言桄先生にぶつけられなかった「本土化」に関する疑問をここに載せておきます。
 

中国ミステリが目指すべき「本土化」とは、本格派や社会派や日常系などと同等のミステリの一ジャンルとして捉えるべきなのか、それとも推理小説というカテゴリー全体を包み込む巨大なテーマと考えるべきなのでしょうか。後者の場合だと目的が大きすぎて、これから推理小説を書く人が二の足を踏むのではと危惧してしまいます。

このぐらいのセリフが中国語でパッと言えたら、推理協会の学生たちをガッカリさせることもなかったんでしょうね。

*当記事はブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」の許可を得て転載したものです。


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