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非暴力の精神を体現する人々=ウーセル・ブログ「カンゼの取り決め」―チベットNOW

2011年10月06日

■ウーセル・ブログ「カンゼの取り決め」■

写真はすべてウーセルさんのブログより。「写真は7月28日に撮影」と。ウーセルさんは9月22日付けのブログで、現地を訪れ見聞きしたことを報告されている。

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『カンゼの取り決め』
文/ウーセル 翻訳/雲南太郎(@yuntaitai)さん

マニカンコからカンゼまでは90キロ以上ある。この道は何度も走ったことがあり、美しい風景は忘れがたい。ただ、2008年以降、康北(カム地方北部)または川蔵北路と呼ばれるデルゲやカンゼ、タンゴ、タウなどは立ち入り制限地区となった。特にカンゼ県ではこの3年間、老若男女、僧俗を問わず、誰もが抗議運動を続けている。これらの意思表示は完全に非暴力のやり方だ。

ダルツェンドで2008年夏、退職したチベット人公務員が困惑しながら話すのを聞いたことがある。「わざわざ特殊警察や武装警察の目の前でビラをまくなんて、あの尼僧たちは本当に馬鹿だ。殴られて捕まるのは分かりきってるじゃないか」。彼はまた、ため息をついて言った。「『漢人に頼って暮らす奴は私生児だ』なんていう馬鹿げたビラもあるんだ」。

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*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


だが、非暴力による抗議は暴力による鎮圧に遭った。2008年4月4日、カンゼ県トンコル区のトンコル・ゴンパは銃器を隠し持っているなどと濡れ衣を着せられ、軍警の捜索を受けた。ある七十数歳の高僧は尊者ダライ・ラマの写真を踏もうとしなかったため逮捕された。僧侶や住民は区政府の前に集まって釈放を求めたが、共産党県委員会書記の廖才坤は逆に軍警に発砲を命じ、19人が死亡、多くのチベット人が負傷、逃亡した。

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殺人者は素早い証拠隠滅と情報封鎖によって、これほど重大な流血事件を外界に詳しく知られないようにした。しかしチベット人にすれば、かえって永遠に忘れられない血の債務となった。そして3年後、カンゼのチベット人が街頭でビラをまき、スローガンを叫んだという知らせがまた伝わってきた。

依然として非暴力の抗議で、6月から8月までほとんど毎日のように起きている。私たちがカンゼ県に入る前の時点で、ネットの情報によれば既に60~70人のチベット人が逮捕され、十数人が判決を受けたという。

だから、完全武装した無数の軍警により、元々よく知るカンゼの様子がすっかり変えられてしまったのを見た時、ひどく不安になった。同時に、現地の同胞に心から敬意を抱いた。いつでも大義に身をささげるという英雄が誰なのかは分からないが、すれ違うチベット人の中にいることだけは確かだ。

たとえば、ツァンパを売る街角の小さな商店に入れば、尊者の慈悲深い笑顔の写真を拝むことができる。私はひそかに驚嘆した。同じように軍警のあふれるラサでは、どんな公の場所であってもギャワ・リンポチェの写真を見ることはできないからだ。ツァンパを売る男性は「水車の臼でひいたカンゼのツァンパはチベット全土で有名なんだ」とにこやかに笑った。

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観光客のように街を歩き回るだけでは実情は分からない。私と王力雄はタクシーに乗り、運転手とおしゃべりをした。運転手は雅安の出身で、カンゼに来てまだ半年も経っていなかった。彼は「内地から何しに来たんだ?かなり危ない場所だって分かってるのか?チベット人が毎日もめ事を起こしてるよ」と言う。

「どんな風に?焼き討ちや略奪?」と問うと、「それは無いね。ビラをまくかスローガンを叫ぶだけだよ」と答えた。「実際に見たの?」と確かめると、彼はうなずいた。「しょっちゅう見るよ。ここの住民は本当に命知らずで、わざわざ特殊警察や武装警察の前で騒ぐんだ。それでひどく殴られて一面血だらけだよ」

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運転手は昨日、街の中心に架かる橋の上でも見たと言った。私は振り返って橋を眺めたが、盲人の乞食がうずくまっているだけだった。乞食はマイクを握り、高らかに歌を歌っている。持参の粗末なスピーカーから聞こえてくるのは、なんと「共産党なくして新中国なし」だ。

まさか現代の乞食の間では、革命歌で物乞いするのが流行しているのだろうか。この乞食は漢人だから、近くに止まっている2台の警察車両は取り締まろうとしない。もしチベット人ならどうだろう?恐らくとっくに追い払われているだろう。

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非暴力の精神を体現する取り決めがいま実行されているということを、数日後にダルツェンドと成都で知った。カンゼ県の多くの村では、県庁所在地で抗議する順番を各家庭の代表者のくじ引きで決めている。逮捕された者の家族の生活は全ての村民で助け合うという申し合わせだ。


ネットの情報によれば、私たちがカンゼ県を離れた翌日、また1人のチベット人が街頭で「ダライ・ラマの帰還を!」と叫び、逮捕されたという。

2011年9月21日、ラサにて

(RFA特約評論)

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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