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2011年10月16日
彼は幼少時にンガバ・キルティ僧院で僧侶となり、2010年6月まで僧侶であったが、その後還俗し両親とともに暮らしていたという。
一人の目撃者の報告を以下に記す。
私は11時50分頃市内の大通りのそばにいた。この時街には沢山の人がいた。最初、後ろの方から「チベットには自由と独立が必要だ!ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすべきだ!」という大きな叫び声が聞こえた。後ろを振り向くと、人が一人火に包まれていた。
彼はこちらに向かって走って来ていた。これを見て私は非常な恐怖を覚えた。あっちこっちに目をやっていた時間がどのくらいであったのか、彼がいつから火を付けたのかも分らなかった。彼の頭の毛や背中の服等が燃え上がり、地面に落ちるのが見えた。髪が長いのと、青っぽいズボンを吐いているのははっきり分った。
その後、警官たち駆け寄り、最初、左右から水を掛けたが火は消えず、彼は倒れることもなく、声を上げ続け、前の方に進んだ。前から殴られても倒れなかった。消化器を持った警官が2、3人、前から消化液を掛けたが倒れず、後ろから消化器で殴ってやっと倒した。
火を消し終るとすぐに近くに置いてあった、箱形の小さな車に乗せ運び去った。おそらく病院に連れて行ったと思われが、病院は少し離れたところにあるので、はっきりと病院に連れて行ったかどうかは分らない。
髪が長い俗人であったことだけは確かだが、顔見知りだったかどうかは分らない。私も気が動転していたし、顔も焼けただれていたので思い出してもよく分からない。
私は彼のすぐ近くにいたが顔はよく覚えていない。警官たちが彼を倒したと同時に大勢の人たちが集まった。しかし、3、4分の内に運び去られた。警官と軍隊が大勢集まり、チベット人も多かった。警官や軍隊は鉄の棍棒や銃を手に持ち、集まった人たちを追い払った。
すぐに街には大勢の警官と軍人が集結した。シェドゥンゾンカル(現場付近の地名)は閉鎖され出入りができなくなった。