■胡平:一片の良心もない外交部のコメント■ウーセルさんは昨日(10月15日)付けのブログに胡平氏のコラムを紹介している。胡平氏はニューヨーク在住、雑誌「北京の春」編集長である。
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上の画像はフェイスブックから。2枚目の画像で、上段左から右、続いて下段左から右の順番で顔写真が並んでいる。
『胡平:一片の良心もない外交部のコメント』
文/ウーセル 翻訳/雲南太郎(@yuntaitai)さん
1.トゥプテン・ゴドゥップ:インドに亡命したチベット人。ニューデリーで1998年、亡命チベット人グループによるハンガー・ストライキの抗議行動があった際に焼身自殺した。
2.タベー:アムド地方ンガバのキルティ・ゴンパ僧侶。2009年2月27日に焼身自殺を図った。
3.プンツォ:アムド地方ンガバのキルティ・ゴンパ僧侶。20歳。2011年3月16日に焼身自殺を図り、犠牲になった。
4.ツェワン・ノルブ:カム地方タウのニンツォ・ゴンパ僧侶。29歳。2011年8月15日に焼身自殺で犠牲になった。
5.ロプサン・ケルサン:アムド地方ンガバ、キルティ・ゴンパ僧侶。18歳。2011年3月16日に焼身自殺したプンツォの弟。2011年9月26日に焼身自殺を図り、重傷を負って逮捕された。消息不明。
*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。
6.ロプサン・クンチョク:アムド地方ンガバ、キルティ・ゴンパの僧侶。18歳。2011年9月26日に焼身自殺を図り、重傷を負って逮捕された。消息不明。
7.ケルサン・ワンチュク:アムド地方ンガバ、キルティ・ゴンパ僧侶。2011年10月3日に焼身自殺を図り、重傷を負って逮捕された。消息不明。
8.チュペル:アムド地方ンガバ、タワ・ゴンメ村民。19歳。2011年10月7日に焼身自殺を図り、犠牲になった。(写真無し)
9.カイン:アムド地方ンガバ、タワ・ゴンメ村民。18歳。2011年10月7日に焼身自殺を図り、犠牲になった。(写真無し)
(@tonbani注:このブログがアップされた時点では、10人目となるノルブ・ダンドゥル焼身自殺のニュースは伝えられていなかった)
胡平:一片の良心もない外交部のコメント
2011年10月12日四川省アバ県(チベット名ンガバ)で10月7日、また2人のチベット族青年が焼身自殺を図り、死亡した。2人はアバのキルティ・ゴンパの僧侶だった。今年3月以降、チベットではもう7回もチベット人が焼身自殺を図っている。これは間違いなく抗議の自殺だ。暴政に最も激しいやり方で最も強烈な抗議の意思を示している。人間性を持つほとんどの人は悲しみで心を痛め、胸中を憤りで満たしているだろう。
恐ろしいことに、中国共産党当局は自分の過失を棚に上げ、他人をとがめた。外交部報道官は11日の定例記者会見で、これらの焼身自殺事件について、海外のダライ・ラマ支持者が扇動してひき起こした行為であり、暴力で中国のチベット統治を転覆させようと試みていると非難した。また、これらダライ・ラマの追随者は暴力を非難しないだけでなく、大々的に宣伝し、同様の行為を起こさせようとしていると述べた。焼身自殺は人類の文化と道徳に反し、仏教の教義にも反しているとも指摘した。
当局の物言いは白を黒と言いくるめており、反論に値しない。抗議の自殺については、「非暴力行動百科全書」(An Encyclopedia of Nonviolent Action,Garland Publishing,Inc. New York &London,1997)がはっきりと解説している。
いわゆる抗議の自殺とは何か。「自殺という方法によって、受け入れがたい環境や抑圧的な政権に対し、全面的な抗議または徹底した非協力的な姿勢を伝える。敢えて公衆の面前で行われ、自殺を直接行動として抗議をはっきりと示す。しかし、自殺は自分への暴力であって、他人に向けた暴力ではない。
1人の自殺はそこで人々の関心を呼び起こし、世論や対立する者の感情を動かす。人々は死者を悼み、敬い、死は常に抵抗運動を呼ぶ。自殺による抗議で最も有名なやり方は焼身自殺だ。つまり公の場で自ら烈火に包まれるということだ。1960年代には、ベトナム戦争に反対する者が焼身自殺で抗議した。チェコスロバキアでは1969年1月、ソ連侵攻に抗議し、チェコの大学生ヤン・パラフが焼身自殺した」
多くの宗教と同じように、仏教も自殺に反対している。しかし、著名な社会学者・人類学者のミルトン・インガーが指摘している通り、一部の信徒が自殺で抗議するのは宗教指導者の呼び掛けや教義の求めによるのではない。彼ら自身が「大衆に呼びかけるため、教会が敬虔さの証として求めることだけに限らず、自分の全てをささげた」からだ。
つまり自殺による抗議は自発的な行為で、宗教指導者や教会、教義の求めを超えた行為だ。例えばローマ帝国の時代には多くのキリスト教徒が自殺して殉教している。1998年には、ニューデリーで亡命チベット人組織のハンスト活動があり、トゥプテン・ゴドゥップというチベット人が焼身自殺した。後日、ダライ・ラマは記者と話した時、焼身自殺には賛成しないが、仕方のない自殺だったと述べながらも、こうした行動がエスカレートするのではないかと憂慮した。
トゥプテン・ゴドゥップの焼身自殺や今年起きた数件の焼身自殺がダライ・ラマの呼び掛けや亡命政府組織の策略ではなく、教義や政治綱領の求めでもないことは明らかだ。同様にチェコの学生パラフや南ベトナムの僧侶の焼身自殺も自発的な行為だ。
1989年、天安門広場での民主化運動のハンガー・ストライキ中、学生が焼身自殺を求めたことを私たちは知っている(制止され実行しなかった)。この事からも分かるように、非暴力の戦いでは、往々にして抗議者は感情の高ぶりによって自発的に焼身自殺を起こそうとする。
歴史上、多くの国で専制的な政権が異なる政治的見解や信仰を持つ者を迫害してきた。しかし、迫害を受けた者は死ぬとしても屈せず、死をもって殉じ、多かれ少なかれ常に鎮圧者に衝撃を与え、内省を促してきた。多くの場合、道に殉じた者の遺体を前にして鎮圧と暴行は止まる。
少なくとも軟化するだろう。ただ中国共産党当局だけが遺体に向き合っても反省せず、やましさを感じず、逆に恨みと恥ずかしさのあまり怒り出す。以前よりも迫害はひどくなり、自殺者の側に更に重い罪名をかぶせる。
毛沢東の時代、自殺に追いやられた人々は皆、「法の裁きを恐れた自殺」「自ら党と人民とのつながりを断ち切った」「死んでも罪を償えない」などとレッテルを張られ、1ランク上の罪名を受けた。例えば1966年3月、解放軍総参謀長の羅瑞卿は「反党」の非難を受け入れられず、飛び降り自殺を図ったが、死ななかった。
党中央は反省せず、かえって自殺の1件を根拠にこれまでの非難は正しかったとし、大げさに取り上げ、更に激しく攻撃した。当時、民衆の多くも魔が差してしまい、元々彼に同情を感じていた者までもその気持ちをすっかり捨て去り、羅瑞卿に誤りがあった、自殺は罪がある証明だと判断した。脚の骨を折った羅瑞卿が大きなカゴに入れられ、2人の紅衛兵に批判闘争会場へと運ばれる写真が残っている。
「非暴力行動百科全書」が書くように、抗議の自殺は本来、「世論や対立する者の感情を動かす」ことを目的とする。それは当然、世論や対立する者の感情を抗議する側への同情と支持に変えることだ。しかし、共産党当局は大胆にも抗議の焼身自殺を利用することで、迫害を支持し、迫害された者に反対する方向へと世論を向かわせた。
その上、迫害された者に同情的だった政権内部の一部についても迫害支持の立場へと変えさせた。これほど厚顔無恥ででたらめなことがこの世にあるだろうか?外交部のコメントには一片の良心さえない。
*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。