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中国に遅れをとる後進民主国家=歩み寄るインド、ミャンマー双方の思惑(ucci-h)

2011年10月29日

■後進民主国家と独裁国家のビルマを巡る駆け引き■

ビルマのテイン・セイン大統領は、政治犯200人の釈放を含む恩赦を発表した後、その足で10月13日~15日と3日間、インドを公式訪問した。


■手厚い歓迎

仏教国ビルマの大統領は、まず釈迦が菩提樹の元、悟りを開いたというボッド・ガヤ(ブッダ・ガヤ)の仏教聖地を夫婦で訪れたという。デリーの空港では、赤絨毯が敷かれ、大変歓迎されたようだが(もちろん儀礼上そうだが)、この訪問は、それぞれの国の思惑が見え隠れして面白い。

20111028_ミャンマー_インド_テイン・セイン
*仏教聖地ガヤを訪れたテイン・セイン大統領夫妻。
india, its peoples and its neighborsより。

「どちらの国がより相手を欲しているか、手を上げて見なさい」と言ったら、テイン・セイン大統領も、インドのシン首相も、競って手を挙げることだろう。

*当記事はブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。


■中印という大国にはさまれた小国

ビルマは、地政上、大国中国とインドにはさまれた位置にある。それを、バランス取りが難しいと見るか、うまく競い合わせられるとするかは、ビルマの外交の腕次第だ。

ご存知のように、ビルマは1988年のアメリカの経済制裁以降、武器、資金提供、インフラ作りを多く中国に頼ってきた。それが四半世紀近くたって、いつの間にか、中国に依存する「半植民地」のようになってしまった。嫌気もするだろう。2本のガス・パイプラインも、発電ダムの建設も、中国南部の人口密集地のためである。

歴史にifはないが、過去、インドの対抗力がもう少しうまく働いていたら、ここまで中国依存には陥らなかったのかもしれない。


■対中政策としての軍政への歩み寄り


インドは、ビルマに60年代軍事政権が出来て以来、民主主義国としてビルマとは袂を分かってきた。しかし、90年代、ビルマを利用した中国の資源確保とベンガル湾海洋進出が築かれていくのを見て、黙ってはいられなくなった。

そこで、アウンサン・スーチーが学校、大学を出たという縁のあるインドにもかかわらず、ひそかに彼女の率いる反対党への支持を取り下げ、軍事政権へのアプローチを始めた。インドは、ビルマに武器を売り、道路・鉄道の建設を約束するようになった。


■国家体制の違いで遅れをとるインド

しかし、そこは官僚制に阻まれ決定の遅い開発途上「民主国家」インドのことである。独裁国家中国の決定の速さと、技術の一日の長にはかなわず、遅れを取ったまま来てしまった。ロイター電によると、ビルマ西海岸のオイスター島のあるシットウェに、インドが1.1億ドル(約83億5000万円)を投じた港湾建設もいまだ完成していないという。その隣に、中国がより大きな港湾を作る予定だ。

独裁国家の方が、民主主義国家より優れているなどとは言うつもりは全くないが、事の決定においては、独裁国家の方が、民主国家よりも速い事は間違いない。

インドは、ビルマのシュウェ沖合の2つのガス田に30%出資しているが、産出するガスは、パイプラインですべて中国に持っていかれてしまう。人口大国インドとしては、資源の確保及び海洋の軍事的制覇という2点で、もはや中国の攻勢を許しておけない状況となってきたと見られる。


■西側諸国がもちえぬ、インドの融和策

ビルマとインド、どちらがより強い協力を望んでいるかと言えば、むしろインドかもしれない。中国に経済的発展で水をあけられてしまったインドとしては、ビルマとの協力で中国をけん制しつつ、自らの発展を図りたいところだ。インドは、西側諸国にないビルマとの融和策を持っている。

西側が、声高々にビルマに経済制裁を唱えてきたのに対し、インドは、ビルマとひそかに関わりつつ、民主主義を進めていく考えを持っている。

「人前で、相手の国にダメだよと指を振るのは、子供に対してならいいが、効果的な手段ではないよ。」

と、インド人は思っているようだ。

今後のビルマ・インド関係の進展が注目される。

*当記事はブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。


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