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「生まれて初めてチベットの土の上を歩いた」=ダラムサラに運ばれたチベットの土20トン(tonbani)

2011年10月29日

■ダラムサラにチベットの土20トンが運び込まれた■

チベットの土を前にTCV(チベット子供村)低学年生徒が「我らは祖国チベットに帰るぞ」の歌を歌いながら拳を振り上げているところ。

10月26日の朝、TCVの校庭にチベットから20トンの土が運び込まれ、台上に広げられた。これはTCVの卒業生であり、現在ニューヨークで芸術家として活躍するチベット人テンジン・リクドルが17ヶ月の歳月と10万ドル(約758万円)の費用をかけ、チベット本土からダラムサラまで運び込んだものである。一応これは彼にとっては「我らの土地、我らの人々」と題されたパーファーマンスアートである。

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*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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「生まれて初めてチベットの土の上を歩いた」というセンゲ首相。


まず午前9時、首相センゲ氏がチベットの土の上を歩き、その後スピーチを行った。「テンジン・リクドル氏がダラムサラまでチベットの土を運ぼうと考えたきっかけは、彼の父親が『死ぬまでにチベットに帰りたい』と言いながら亡くなったことに始まるという。

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これは亡命チベット人すべての希望と願望、努力の目標である。自由チベットを取り戻し、ダライ・ラマ法王をラサにお迎えし、いつの日にか内外のチベット人がチベット内地で再会することが我々の夢であり、努力の目標である。

自分の父親もチベットを離れた後、死ぬ前に何度も、もう一度チベットに帰り兄弟、親戚たちに会いたいものだと言っていた。しかし、望み叶わず2004年に亡くなってしまった。

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センゲ首相と土を持ち込んだテンジン・リクドル。


1959年以来、チベットの緊張状態は続き、特に2008年以降緊張はさらに高まっている。最近自らの身を灯明と化す人たちのように、チベットを取り戻すために命を掛ける人たちもいる。内外チベット人の希望はチベット内地で同胞が再び再会することにあることは明白である。

今日、チベットの土の上を歩き、土に手で触れることができたことに良き縁起を感じる。近い将来、できるだけ早く、チベットに帰ることができること、自由なチベットを実現すること、ダライ・ラマ法王をチベットにお招きできること、内外のチベット人が一つの家の中でまた一緒に暮らすことができる日が来ることを祈り、そのために切磋、努力することを誓うものである」

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首相スピーチの後、ダラムサラ・キルティ僧院僧侶による祈りのお経が唱えられた。


その後、実に色々なチベット人が壇上に上がり各々チベットの土を踏みしめた後の感想を述べた。ゲストスピーカーとして、まずTYC(チベット青年会議)議長のツェワン・リクジン。次いで9-10-3の会の副会長ルカル・ジャン。SFT(Students for a Free Tibet)会長のテンドルやラドン・テトン女史もアメリカから駆けつけスピーチを行った。
(関連記事:「「9-10-3(元良心の囚人)の会」20周年記念式典―チベットNOW 」2011年9月29日)



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2発の銃弾を受け、そのまま山に1年以上も籠り、その後亡命を果たしたツェワン・ドゥンドゥップも壇上に立ち、激しく中国を非難。チベット奪還を熱く語る。(関連記事:「二発の銃弾を受けたツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言」チベットNOW@ルンタ、2009年5月30日)


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チベットの土の上を楽しそうに歩くTCVの子供たち。


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土を持ち込んだテンジン・リクドルの記者会見。左から、SFT会長のテンドル、芸術家テンジン・リクドル、ダラムサラ・キルティ僧院の僧ロブサン・イェシェと僧カヤック・ツェリン。


テンジン・リクドル氏はこのようなことを考えるきっかけになったのは「2008年に亡くなった父親が死ぬ前に何度も『チベットに帰りたい、一度でいいからまたチベットを見てみたい』と言っていたことだ」と話し、「じゃ、行けないならチベットを持って来ることはできないだろうか?」という変なことを考え始めたからだという。

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チベットの土をトラックに載せインドに運ぶテンジン・リクドル。(以下上写真を含め、以下3枚の写真はウーセルさんのブログより)


彼はチベットから土を運ぶために、その手続き等を含め17ヶ月を要したという。またその費用は10万ドル(約758万円)と。記者会見の席上あるメディアが「この土はチベットのどこから運ばれたものなのか?」と質問したが、これに対し彼は「チベットというだけで今は勘弁してくれ」と答えた。

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なお、近い将来、チベットからインドまで土を20トン運んだ記録をドキュメンタリーフィルムにまとめ発表するそうだ。で、一般公開される前に彼はダライ・ラマ法王のところへ土を持って行った。法王はチベットの土を見て大層喜ばれたという。「若い者たちが夫々の能力を生かして、様々な発想の下、チベットのために何かやることはいいことだ」とおっしゃったとか。


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そして、チベットの土の上に法王は人差し指で「བོད་」(チベット)と書かれた。


テンジン・リクドルは、かつて2010年9月に北京で行われた「烈日西藏、チベット現代美術展」にも作品を出品しており、このブログでもウーセルさんのブログを介し紹介したことがある。(関連記事:「2010年09月記事」チベットNOW@ルンタ)彼は1982年ネパール生まれ。亡命チベット人学校で学んだ後、2005年米コロラド大学で絵画と芸術史を学び、現在はニューヨーク在住。

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チベットの土を前に五体投地し、額を付け祈る尼僧たち。


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TCVの子供たちも次々壇上に上がって、思いを語った。この女の子は故郷を思い出し、涙が止まらない。


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この男の子は壇上で自作の「チベット独立ラップソング」をかっこ良く歌い上げた。


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チベットの土を前に集まったTCV2000人ほどの子供たち。


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土をほしがる子供たち。チベットから運ばれた土は明日(28日)に欲しい人みんなに配られるとのこと。他のチベット人セトルメントにも運ばれるそうだ。


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幼い子供たちは砂場遊びをはじめた。


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広げられた土の真ん中には、しばらくして、法王の写真とチベット国旗が掲げられた。


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日本で間もなく公開される岩佐監督の映画「チベットの少年オロ」の主人公オロも嬉しそうに土を握っていた。


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このところ続くチベット内の焼身自殺のニュースを、いつも真っ先に伝えるダラムサラ・キルティ僧院の僧イェシェと僧ツェリンは、土の上に座り、土を握りながら、「嬉しいとは思わない、悲しみばかりが募る」と話す。
(関連記事:「止められぬ焼身抗議の波=僧ダワ・ツェリン、今年10人目の犠牲者に―チベット(tonbani)」2011年10月26日)


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夜には、4キロほど離れたマクロードガンジからTCVまでのキャンドル・ライト・ビジルが行われた。チベットの土を前に数千人が焼身抗議を行った同胞たちの冥福、安否を祈り、チベット帰還への決意を新たにした。


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25日に焼身抗議を行ったカンゼ僧院僧侶ダワ・ツェリンの写真を手にうつむく女性。


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同じく僧ダワ・ツェリンの写真を持ち、祈る老人。


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「焼身抗議を行った人々の勇敢な行為を無駄にするな。彼らの自己犠牲により、今チベット問題は大きなうねりとなっている。チャンスと捉えよう。今、必死に行動しよう。チベットが解放される日は遠くない」とスピーチする、SFTのアイコン、ラドン・テトン女史。


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チベットの土に五体投地する人たち。


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チベット国旗を持ち土の上を歩く。


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残されたキャンドルでTCVの子供たちが描いた「FREE TIBET」。反対から見てほしい。

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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