中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年11月01日
『人民日報』の記事「毎月1~2回も大型運動会があるのって多すぎない?」が興味深い内容でしたのでご紹介します。先日書いた深圳農民運動会記事とも関連しているような内容です。
(前回記事:「「農民が消失したので」深圳市が農民運動会参加を断固拒否、その理由とは?!(凜)」2011年10月26日)
*写真は「全国紅色運動会」。手榴弾投げ競技。
■運動会が多すぎる!
この記事で初めて知ったのですが、中国では今年、全国中学生運動会、世界大学生運動会、全国少数民族伝統体育運動会、全国障害者運動会、全国都市運動会など全国規模の運動会が山ほど開催されています。また、来年1月には全国冬季運動会が始まるとあって、今年後半からは毎月1~2回の全国運動会が開催されていたことになります。これはいくらなんでも多すぎるだろうというのが記事の主張です。
■きっかけは北京オリンピック
こうしたことが行われるようになったきっかけは2008年の北京オリンピックだそうです。あの時の熱気が全国を席捲し、いろいろな国際大会も開かれるようになったとしていますが、こうした各種大会を開催することによって中国は世界にさまざまな貢献をしていると記載されているのが、如何にも中国的です。
何にしろこうした運動会は他にもいろいろなものが開催されており、全国紅色運動会、全国智力運動会、全国水上運動会など様々なものがあるそうです。これらが開催されることとなった原因の1つにセクショナリズムがあり、体育総局、教育部、農業部、中国障害者聯合などが、それぞれの意義に基づいて開催しているとしています。
■運動会の問題点
これだけの数が運動会が開催されているとなれば、問題が起きるのもしごく当然です。その1つが以前紹介した深圳の農民運動会不参加でした。
記事ではすべての運動会を否定してまではいませんが、「非理性的な現象は日に日に突出してきており、人々の質疑と不満を誘発している」として、以下4点の批判を加えています。
(1)規模の追求批判
規模が大きければ大きい程、参加人数が多ければ多い程、運動会は成功と見なされるため、常に「史上最大」であることを追求される。その結果、どの大会も参加人数は当初の数倍にまで膨れあがっている。必要なものがあるだろうが、水増しも多い。こうした「注水運動会」では交通費、接待費、警備費などに多額の費用が必要となり、何十億元、何百億元という金が費やされる。
(2)箱物行政批判
運動会のために大型の施設が建設されるが、大会後は無用の長物となってしまう。大衆が普段使うのは多様性に富んだ小型施設だ。それに大型施設は郊外に建設されるので、利用するにしても不便で、使う人も少なく、維持費も高い。
(3)身分詐称批判
大会ごとに主管部局が異なるため、同じ選手が違う身分で参加してもばれない。そこで、ある時は学生、ある時は農民、そしてまたある時は労働者と、身分を詐称して参加する選手が少なくない。身分や年齢を偽るばかりか、ドーピングまで実行されていることもある。
(4)似たものばかり批判
開催数が増加すれば、似たような種目が並ぶことになる。大規模な開会式も、踊りと歴史の紹介、歌手の歌など、似たような演目が多く、観客も飽きる。せっかく開催しても「またか」としか感じない。