中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年11月01日
■日本の新聞記事で覚えた違和感
日本で暮らし始めて一年目は、大学の「日本語・日本文化研修コース」で勉強しました。授業で社説などの新聞記事をよく読みましたけれども、その中で今でも忘れられない記事があります。もう15年以上も前のことなので詳しくは覚えていませんけれども、要するに「日本は今までひたすら豊かになろうと頑張って、世界中から見てもとても豊かな国になった。しかし、果たして幸せになったのだろうか」のような内容でした。
この記事を読んで、とても違和感を覚えました。「経済的に豊かである」ことと「幸せである」ことが違うことを、ロシア人なら子供でも知っているはずなんだけど、日本人は知らないわけ?当時の私には、小学生向けにしか見えなかった記事が日本全国の新聞に載ることも理解できなかったし、先生たちがわざわざこの内容を授業で取り上げる意味も理解できませんでした。
■ソビエトでは「お金持ち」=「悪者」
私が育った国はソ連。小さいときから「お金持ち」イコール「悪者」という教育をされ、物理的な豊かさを追求するのはよくなくて、精神的な豊かさを追求すべきだと、教えられてきました。そういうバックグラウンドを持っている私から見れば、あの記事は「子供が小学校で習う内容」にしか見えませんでした。
しかし、どうしても気になったので、その後になっても記事のことをよく思い出しては自分なりに考えました。日本人でも一人一人に質問したら「お金」イコール「幸せ」だと単純に考える人はそうはいないでしょう。そして、ソ連の人で「より広いマンションに住みたいですか?」「車が買いたいですか?」と聞かれて「要らない」と答える人はあまりいなかったと思います。そういう意味では日本人でもロシア人でもまったく同じでしょう。
USSR, 1970 ---LENIN CENTENNIAL ROUBLE a / woody1778a
■それぞれの国が生きている時代
しかし、それぞれの国・国民が生きている時代はどう見ても同じではない。それぞれの国にそれぞれの「歴史的な背景」があって、そのときそのときの「社会問題」や「最優先課題」があって、何らかの「イデオロギー」があります。
だからあの記事を「日本という国の歴史と、日本人が今現在生きている時代」という文脈の中で読まなければいけませんでしたが、日本で暮らし始めて間もない私にはそれはできませんでした。
戦後の状態から国を立て直し、アメリカにあこがれてひたすら頑張ってきた日本人。そして、ソ連時代の70年にわたって金銭的な豊かさを否定してきたロシア人。背負っている国の過去も現在も違いすぎました。
■ロシアで頻繁に目にする、あるパターンのドラマ
そして、2009年から私は14年ぶりにロシアで暮らすことになりました。気晴らしに日本でいう2時間ドラマのようなものをロシアのテレビで見ることがあります。そして、ロシアで2年間暮らして、やたらと多く目にするあるパターンのドラマが存在していることに気づきました。16年前までは考えられないパターンでしたから、余計に目に付きます。
そういうタイプのドラマの内容は大筋では似ています。
「会社を首になった」とか「大金持ちの旦那さんに家から追い出された」ことなどがきっかけで、主人公はどん底に陥ってしまう。お金もなければ下手したら住むところもない。主人公は老人ホームの掃除係とかタクシー運転手など、慣れなくて肉体的に大変でしかも低賃金の仕事で大変苦労をする。
しかし、ドラマの最後には決まって大成功を収める。成功パターンといえば、「お金持ちと結婚する」か「起業で大成功を収める」かのどちらか。前者は主人公が「女性」の場合のみで、後者は性別無関係。
結婚しようとまで考えていた相手(男性)が実は既婚だったことを知ってしまった主人公は大きなショックを受ける。しかし、彼女には3人の女性同僚という強い見方がいる。「彼女を絶対にオリガルキー(お金持ち)と結婚させる」と勝手に決めて、同僚たちは主人公にダイエットなどの「女磨き」をさせる。
「オリガルキー」と結婚することを課題として与えられた彼女だが、特別にお金に対する執着心はない。同僚たちからプレッシャーをかけられて何となく「女磨き」に励んでいるのだが、気が付いたら、同じビルで働いているオタクっぽくて臆病なサラリーマンと仲良くなってしまう。どう見ても恋愛に発展しそうな雰囲気に同僚たちは猛反対。
結局、オタクっぽいサラリーマンが実はやり手の会社社長だったことが、最後の最後で急に発覚。二人はめでたくゴールイン。同僚の女性たちも「目的達成」ということで大満足。おそらく「次は自分がオリガルキーと結婚する番だ」と夢見ているに違いない。