中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年11月03日
タイの洪水が広がり、工業団地に半分以上の工場を持っている420以上の日本企業が被害を受けた。日本の友人からの話だと、「勝手に海外に進出したんだから、損害も自己責任だろう!」という狭量な声も日本では聞かれるとのことだ。
少数の見方だと思うし、言葉尻を取るわけではないが、こういう狭量なものの言い方は、「ムラ社会」(仲間社会)の日本の中では、比較的耳にする言葉だと思う。こういう物言いに対して、「そうね。そういう面もあるわね」と、肯定する空気が日本社会に流れているのも否定できない。
*マティチョンの報道。
■「個人の自由意思」を否定する風潮
しかし、こういう突き放した言い方をする本人の感情とは別に、この「勝手に海外に……」の言葉の裏には、日本社会の古くからの物の見方が横たわっているような気がする。
まず、「勝手に」だが、この言葉の中には、個人が自由に自分の意思で行動することに対する、妬みと、その裏返しの侮蔑の感情が埋もれている。勝手にやることは、突出した、ネガティブな意味合いを持つ。大げさに言えば、個人の自由行動は、日本では白い目で見られがちなのだ。
個人が勝手に海外にボランティア活動に行くのには、疑問符がつき、政府の命令で派遣されたなら、活動内容は問わず、それだけで褒められることになるのか?それでは、個人主義ではなく、全体主義だろう!と皮肉のひとつも言いたくなるが、実際そうなのかもしれない。
■イラク日本人人質事件
2004年4月にイラクで日本人3人が武装勢力に人質になった事件があった。「勝手に危ないところに行ったのだから、自己責任だ!」との合唱が盛り上がり、時の日本政府は、テロには屈しないと言うだけで、救助活動をせず(できず?)、現地聖職者により解放された後、デモとしてチャーター機を現地に飛ばし、その費用を人質たちに請求するというケチなところを見せたことがあった。
その後、家族への同情論なども出たが、ふだん「自己責任」意識の薄弱な国だからこそか、今回も含めて、自己責任論が噴出する。自己責任は当たり前のことである。異国に行き、死のうが傷を負おうが、自己責任は当たり前のことだ。ペジョラティブ(蔑視語)として使われる筋合いはないと、息巻きたくなる。
タイと比べると、日本は自己責任という言葉はあるが、自己責任意識の薄い国だ。何か事故や困難があると、政治やお上の監督責任のせいにする。よって、官僚主導は国民のラブコールに応えて、ますます強くなっていく。官僚なしには、素人政治家は、立法府にあって法案も作れないのが多い。
■「勝手に=心配させて→悪いこと」
日本語の「勝手に」は、「心配させて」の対語である。「勝手にお母さんはタイへ行って!私たち(娘たち)が心配じゃないの?」は、2009年に封切られた、小林聡美主演のチェンマイを舞台にした映画「プール」の中のせりふだが、「勝手に=心配させて→悪いこと」が、日本語の図式になっている。