中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年11月05日
Manmohan Singh - India Economic Summit 2009 / World Economic Forum
*第17代インド首相、マンモハン・シン
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■眠っていた超大国
インドは、面積(328万平方km)でも、人口(12億人)でも日本の9 倍という大きな亜大陸国家だ。日本が9つ集まったようなもの。
近年でこそ、経済成長が立ち上がったが、以前はずっと眠っていたような国で(最大都市ムンバイの歩道には15年前には夜間、人が並んで寝ていた!)、中国に引き離された。
資金がなかったので、金のかかる重工業の建設ができず、まずは設備投資のかからないソフト開発事業を広げて行ったのが、かれこれ20年ほど前からだろうか。普通の国の順序と逆だった。海外進出に積極的な日本企業も、インフラの未整備から二の足を踏むところが多かった。
■「DMIC(デリー・ムンバイ工業回廊)計画」
その巨象が、ようやくインフラ整備に目覚めようとしている。総額1000億ドル(約7兆8000億円)にのぼる「DMIC(デリー・ムンバイ工業回廊)計画」が動き出そうとしている。
デリー・ムンバイ間産業大動脈構想(経済産業省、PDF)
この計画はインドの2大主要都市、首都のデリー(人口1200万人)と商業の中心ムンバイ(1380万人)間、1375kmを高速道路や鉄道で結び、その沿線に工業団地を作って行こうというものである。
これにより、遅れていたインドの製造業で300万人の雇用を生み出し、この地域からの工業生産を5年で3倍に、輸出を4倍に増やそうというものである。数年内に着工し、2018年の完工をめざす。
■日本の提案で始まった国家事業
この構想は、日本では「デリー・ムンバイ産業大動脈構想」と名づけられているが、5年前の2006年12月、日本からの提案で始まったものだ。経済産業省が進めている。もともとは、インドの4大都市(あとコルカタとチェンナイ)をつなぐ98年のインド人民党政権の「黄金の四角形」構想から発している。
2008年1月にインドに開発主体となる「DMIC開発公社」が設立され、その年10月に日本のJBIC(国際協力銀行)からの融資体制ができ、2009年12月に計画の大綱となるマスター・プランが策定された。もっとも、マスタープランの策定に当たっては、価格の高い日本企業ではなく、欧米やシンガポールの企業の応札が採用された。
デリーからムンバイまで、平均200平方kmの工業地域を6つ作ろうという構想だが、周辺地域まで含めると日本の国土面積を上回る51万平方kmにも及ぶと言う。道路だけでなく、鉄道、港湾も整備し、デリー・ムンバイ間の貨物鉄道輸送時間が、これにより60時間から36時間に短縮される見込みだ。
■障害も山積する困難な計画
このインフラ整備計画には、障害も山積している。インドの農地は農民の権利が伝統的に強く、農地の収用には手間がかかるという。また、こういった利権がらみのことには、汚職、腐敗、賄賂がつきものだ。こういったことの露見が開発を止めることもある。
さらに、計画が途中で崩れる心配もある。初期計画がずさんで、途中から開発が進まなくなる恐れもある。インドの担当者は、バンコク・ポスト記者の取材に対し、「すべての建設許可が通るまで、着工は始めない」と慎重な姿勢を強調している。
■日本の奮起に期待
日本は、新しい工業団地に、再生可能エネルギー、水管理、スマート・シティー、リサイクル施設といった日本得意の先端技術を応用して、入札に応じる意向のようだ。ハイテクの応用はけっこうなことだが、現地の「まずはローテクでもいいから安いプランを」と言うニーズから離れた過剰スペックにならないよう、がんばってほしいものだ。
関連リンク:
【特集】デリー・ムンバイ間産業大動脈構想(経済産業省、PDF)
デリー・ムンバイ間産業大動脈構想のまとめ(ITmedia、2011年2月23日)
*当記事はブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。