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マイクロブログと中国の民主化=加藤嘉一コラムを題材にして(前編)―中国

2011年11月25日

中国共産党中央対外宣伝弁公室副主任、国家インターネット情報弁公室副主任の銭小芊氏は、中国のマイクロブログが3億アカウントを突破したと発言した。


Chinese Computer Sale
Chinese Computer Sale / kurzonis


■中国とマイクロブログ

発言は、2011年11月21日開幕の第11回中国インターネットメディアフォーラムでのもの。昨年来、中国インターネット界の最も象徴的な出来事は、マイクロブログをはじめとすするソーシャルメディアの発展だと指摘。一方で、成長させるだけではなく、いかに秩序をもたらすかが課題だとも発言している(深圳商報)。

中国のマイクロブログ(微博、ウェイボー)については、日本でも注目を集めている。例えば、NHKではクローズアップ現代で「“ネット反乱”の衝撃  ~中国鉄道事故の舞台裏~」、ドキュメンタリーWAVEで「沸点~中国ブロガー ネットの中の攻防~」と題した特集を放映している。日本の大手新聞社でも、日経の「中国のネットの自由を巡る攻防 主戦場は携帯電話に」をはじめ、マイクロブログの重要性を評価する記事が増えてきた。

中国は強力なネット検閲、メディア検閲を実施しているが、「ユーザー数が多く、気軽に投稿でき、携帯電話で現地リポートも可能。しかも転載(リツイート)機能を通じて急速に情報が拡散する」マイクロブログの検閲は容易ではない。「ネット民の声」を抑えることができず、中国民主化の動力になるのではと期待する人も少なくない。


■「ネットこそリアル」中国の逆転現象

一方で、この見立てに懐疑的な意見も少なくない。本サイト寄稿者でもある作家の安田峰俊さんは、12月刊行の新刊『中国・電脳大国の嘘』で、この見立てを蹴散らす予定らしいので期待している。

さて、安田さんと同じく「80後」(1980年代生まれ)作家の加藤嘉一さんが、フィナンシャルタイムズ中国語版に「マイクロブログは民主を推進できるのか?」という論考を発表しているので、ざっくりとご紹介する。1ページ目ラストあたりから。なお小見出しはChinanews。

◆「ネット世論なんてしょせんバーチャルでしょ」 日米欧の考え方
・日本人はツイッター好きで、学者や政治家、企業家のユーザーも多い。
・でも「ネットはしょせんバーチャル。リアル社会とは違う」という見方が大勢だ。
・主流となる民意の形成には新聞、テレビ、雑誌、ラジオの伝統メディアの影響が大きい。
・実は日本だけじゃなくて欧米でも同じ。ネットの力は認められつつも、現実は伝統メディアのほうが影響力がある。
・だから中国の現状を見ると、びっくり。

◆リアル政治ツールとしての中国マイクロブログ
・中国では一般人も「発言権」を持つ知識人もマイクロブログ世論をバーチャルとは見なしていない。
・意味のないつぶやきも多いが、政治と結びついた公共言説にあふれており、マイクロブログが中国の政治、統治者と被統治者の関係を変えるのではと期待する知識人も少なくない。
・「リツイートこそ力」って言葉を見たことがあるが、なるほど、「深い見解、独自の価値観と社会的責任感のあるユーザー」にとってはマイクロブログの書き込みこそ「選挙の一票」なのだ。
・「中国はボスが言ったらそれで決まり。すべては共産党が決める」と考える外国人がいたらそれは間違い。
・ネットで活躍する有識者から見ると、「人民日報」をはじめとする官制メディア、テレビ・新聞・雑誌など伝統メディアこそ現実を写していないバーチャルなもの。マイクロブログこそリアルなのだ。

*「発言権」(話語権)については、西本紫乃『モノ言う中国人』に詳しい。


■「ネットこそリアル」は中国人の感覚ではない

「日米欧のネット言説はバーチャル。伝統メディアに影響力で劣る」っていうのはざっくりしすぎていて異論も多いのではないだろうか。年代や階層によって切り分ける必要があるだろうし、台湾総統選を見ていてもオバマのネット選挙が世界に与えた影響は小さなものではないように思う。

さらに言うならば、実は中国においても「ネットこそリアル」だと考える人間は少数派だろう。ITライター・山谷剛史さんによると、ネット利用者は「30代後半以下」が中心。またネットを使っていても、チャットとゲーム、海賊版コンテンツの視聴だけというユーザーも相当数存在する。むしろ「地方紙と地方テレビ局」という情報世界に住む人間のほうが多数派ではないだろうか。

その点については加藤さんも重々承知で、「深い見解、独自の価値観と社会的責任感のある」ユーザーとか、「ネットで活躍する」有識者とか、限定の修飾句を織り交ぜている。「ネットこそリアル」が通用するのは中国のごくごく一部、中国ネット界のごくごく一部であることは押さえておくべきだろう。


■ありがちな誤解、政府批判と民主シンパは別物

また、加藤さんが指摘していない、そして日本の論者の多くも勘違いしている重要な問題が一つある。

「政治と結びついた公共言説があふれ」ていることから民主の話へと展開しているが、現状の中国では「政治言説」と「民主」は異なる話題だという点だ。温州高速鉄道追突事故、毒食品、幼稚園送迎車の定員オーバーなどなど、生活にかかわったり、人々の義憤を引き起こすような問題は多くの注目を集めるが、体制批判的な民主の話題と結びつける人は少ない。

中国には「維権」という言葉がある。「合法的権利を守る」という意味だが、ネットの活動家や発言者の多くは「維権」に重きを置いているのであって、「民主」ではない。ある民主化シンパの中国ツイ民が「みんな「維権」どまりで、民主に行かないのはなぜなんだ」と嘆いていた。


■「公道」とマイクロブログ

政治的問題について積極的に発言しているというよりも、社会についての関心を吐露しているというほうがより実態にあっているように思う。

中国には古来、「公道」という言葉がある。「社会的正義に即している、社会の適切なあり方に合致している」ぐらいの意味だが、現代中国にもまだその影響は残っているように見える。例えば、交通事故やらケンカやらが街頭で起きたとする。

対立する両者は相手に言っているようなそぶりをしながらも、実際は集まってきた野次馬を対象に、自分のほうが正しいこと、自分のほうがより「公道」にかなっていることをアピールするのだ。野次馬もわいわいがやがや、やれAが正しい、Bがかわいそうだ云々と、どちらのほうが正しいかの品評会を始めるのだ。

マイクロブログ上の発言も、政治的というよりも、この野次馬のわいわいがやがやが街頭からネット空間に移行したと見たほうがわかりやすいと考えている。

さて、長くなったので、ここでいったん記事を閉じる。加藤コラムの最も論争的な部分である結論部は、後編でご紹介したい。

<後編>
マイクロブログと中国の民主化=加藤嘉一コラムを題材にして(後編)―中国(2011年11月25日)



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