■ひそかに進むビルマ新政府と地方民族軍隊との話し合い■
*当記事は2011年11月28日付ブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。
*ワ州の少年兵。撮影:安田峰俊。
■135の民族を抱える多民族国家
ビルマ(ミャンマー)は、135の民族が居ると言われる多民族国家である。1962年の軍事政権の成立以降、各地方の自治を求める少数民族および、その民兵と中央政権の紛争が繰り返され、半世紀が経った。
ビルマの急速な開放路線の進展の中での大きな課題のひとつは、こういった地方の勢力との和解である。ビルマの地図を見ると分かるが、5000万人口の68%を占めるビルマ族3400万人は、縦長の連邦国家のほぼ中央部分に多く居住する。しかし、少数民族は東部や西部の周辺部州に多い。
■各地方民族とその勢力
・シャン族
その中でも最大の州は、北タイと接するシャン州である。メーサイからビルマ領のタチレクのみやげ物屋へ入れるが、ここもシャン州である。ビルマの面積の23%を占めるこの広い州にはシャン族が多く住み、ビルマ全人口の9%、450万人がいる。ここには、SSA(シャン州軍)の民兵がおり、中央政府と対峙してきた。また、シャン州北部には、UWSA(ワ州連合軍)がいる。
中国・ミャンマー間に位置する、独裁軍閥「ワ州」に関しての詳細は、当サイト寄稿者でもある迷路人こと安田峰俊さんの著作『独裁者の教養』をどうぞ。実際に中国経路で密航し、突撃潜入取材を行っています。有史以来、足を踏み入れた日本人は、いて数十人ほどだそうです(水島)。
29歳の「中国ネットウォッチャー」がなぜ独裁王国に潜入したのか?安田峰俊『独裁者の教養』出版記念インタビュー(1)
・カチン族中国と国境を接するビルマ最北部のカチン州。カチン族はビルマの人口の1.5%ほど、75万人ほどといわれるが、ここにはKIO(カチン独立組織)があり、KIA(カチン独立軍)を持つ。
・カレン族
シャン族に続いて多いのは、カレン(Kayin)族だ。ビルマの人口の7%、350万人ほどが居ると言われる。北タイにも多く住んでいる。カレン州もタイ北部と接しているが、ミヤワディからタイのメーソットへ流れてくる難民で有名だ。ここのKNU(カレン民族同盟)は、KNLA(カレン民族解放軍)を持つが、ビルマの反政府組織としては最大級だ。いつも闘争のニュースがタイに伝わってくる。
Karen Padaung Hill tribe people / christine zenino・カレンニー族シャン州とカレン州に南北をはさまれた小さな州、カヤー(旧カレンニー)州は、タイのメーホンソンと国境を接している。カレンニー族は38万人ほど。ここにもKNPP(カレンニー民族進歩党)があり、カレンニー(赤カレン)軍を持っている。
・チン族最後に、ビルマの西部、インド東部と接し、チン族30万人を抱えるチン州にも、CNF(チン民族戦線)があり、中央政府と闘ってきた。
以上見てくると、ミャンマー連邦では周辺の州が中央政府と対峙し、いまだ戦国時代が終わっていないかのようにさえ見える。新政権が、開放改革路線を進めるに当たって、地方軍隊との和解は一大要件だ。
■新政権の民族軍との接触
2011年11月になって、ひそかに新政権と地方軍隊との接触が始められたようだ。11月20日の週末には、テイン・セイン大統領に代わるウ・アウン・ミン鉄道相が、地方の4つの軍隊の代表とひそかに会合を行なっている。4つの民族軍隊は、シャン族のSSA、カレン族のKNU、カレンニー族のKNPP、それにチン州のCNFだ。カチン族を除く主な少数民族軍隊の代表である。
この後、停戦の交渉が進めば、さらに各州の政府代表と駐留中央政府軍の高官を入れて、話を進める予定だ(SSAとCNFは、6週間以内のこの地方ミーティングを承諾した)。最後には各代表を首都ネピドーに招待して、正式合意に持って行きたいようである。
この間、
(1)地方軍隊のメンバーは、武器を持たなければ、自由に相互に行き来できるようにする、
(2)合意に向けて、各グループは地方住民に対し、自由に希望や意志を問うことが出来るようにする、
などが認められた。
■最重要課題は地方経済の発展
停戦の見通しは立てやすいが(今までも何回も停戦はある)、問題は、停戦後の平和の維持である。最大の課題は地方の経済の発展だ。今までは経済発展の絵を描けず、幾度も挫折して来た。
*カレン族の銀細工。
今回は、経済特区を設け、経済発展プログラムを策定することが決められた。中央、地方の両方で、これの青写真を出して行くことになったようだ。麻薬栽培の撲滅はいいが、いかに地方経済を活性化させるかが、平定のカギとなるだろう。
*ワ州連合軍とアヘン畑。
■変革の動きを見せるミャンマーこの間、ビルマでは歴史的なことが続けて起こっている。ビルマが1948年に独立した時、初代大統領となったのは、シャン州のヤウンウェー王国の王子であったサオ・シュエ・タイクであった。しかし、1962年の軍事クーデターで、上の息子は殺され、彼は囚われの身となる。その後、牢獄で怪死する。
その末息子ハーン・ヤウンウェーは、翌年1963年、15歳でタイへと亡命する。その後半世紀、カナダなど海外に居住したが、この度はじめてビルマの地へ戻ってきた(今は63歳のおじさんだが……)。今回行われた現政権と地方民族軍の会合の影の立役者は、彼だと言われている。
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*当記事は2011年11月28日付ブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。