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【おやすみの一曲】『Tiriba/Mamady Keita』ギニア-バランデュク

2011年12月08日

『Tiriba/Mamady Keita』




【ママディ・ケイタ】

Mamady Keïta、1950年8月 - )、ギニアのバランデュク出身のジャンベ奏者。キング・オブ・マンディカ(アフリカで最も偉大なドラマー)やジャンベフォラ(ジャンベの神様)と称される。王族の家系出身。7歳からジャンベの演奏を始め頭角を現し、14歳には早くもギニア国立ジョリバ舞踏団にスカウトを受けた。その後は舞踏団の首席ジャンベ奏者として各国をまわり演奏を行った。1991年にはロラン・シュヴァリエ監督によりフランスとギニアの共同映画『Djembefola』が公開され、日本では『ジャンベフォラ~聖なる帰郷~』の邦題で公開された。

1994年の夏には演奏グループのセワ・カンと共に日本ツアーを行った。その際に鹿児島県の三島村を訪れ、地元の子供たちと交流を行ったのをきっかけに関係を持つことになる。2004年にはアジア初のジャンベスクール、みしまジャンベスクールを開校したほか、2005年の愛・地球博では地元の子供たちが演奏を行った。

wikipediaより。

アフリカン・スピリットが熱い!ジャンベフェスティバル開催!!(鹿児島県公式ウェブサイト)

Q:ママディさんが,ジャンベと関わるようになったきっかけは?


私がなにか偉大なことを成し遂げることは,私がお母さんのおなかの中にいるときから占い師に予言されていたそうです。占い師によれば,その子は,マンディング村(ママディさんの生まれた村)より,この地域より,ギニアより,もっともっと大きなところで活躍し,世界中に知られる人になるでしょう,と。
 
そして,ハイハイをし始めた頃には,例えば,食べ物が入ったお皿をひっくり返して叩いたりなど,いろんなものを打楽器のようにしていたそうです。この子が,ジャンベの演奏家になるのではないかと思った母親は,私が2歳の時,ジャンベを作らせました。私は,そのジャンベを初めて渡されたとき,見たこともないくらい喜んだそうです。
 
それからは,誰に教わることもなくジャンベのリズムを叩くことができるようになり,5歳の頃には,村の伝統的な祭りに演奏者として参加するようになりました。その演奏は,政府の役人の耳にも届き,14,5歳の時,国が初めて作った国立舞踊団に在籍することになりました。
 
このように,私の人生には,神秘的なことがいろいろあり,また,いろんな山を越えてきました。
ジャンベフォラは,当時,社会的にあまり認められておらず,あまりいい職業とは思われていなかったため,とても苦労しました。

でも,今,若いアフリカの演奏家が,私を慕って付いてきてくれるのは,最初に私が,ジャンベの文化にスポットを当てることが出来たということではないかなと思っています。
 
Q:ママディさんにとって,ジャンベはどういうもの?

ジャンベは,あらゆる祭りや儀式の時に演奏されます。結婚式,割礼,狩りの時にも。そんな時,ジャンベはお話をするスピーカーのような役割をするのです。ジャンベは喜びを象徴する楽器なのです。

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*当楽曲収録アルバム『Mamady Keita & Sewa Kan Live @ Couleur Cafe』。ジャケクリックでamazonページへ(MP3ダウンロード)。

oyasumi

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