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ミャンマー開放路線、最大の目的は「中国からの脱却」=急がれる各国資本導入(ucci-h)

2011年12月12日

■中国の“属国化”を排除したいビルマの戦略■

*当記事は2011年12月10日付ブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。


MYANMAR-BIRMANIA-BURMA YANGON Shwedagon Paya
MYANMAR-BIRMANIA-BURMA YANGON Shwedagon Paya / druidabruxux


2011年11月30日(水)~12月2日(金)のクリントン米国務長官の歴史的なビルマ訪問で、ラングーン始めビルマの土地の価格が急上昇したことはお伝えした。一方、最北州のカチン州では、国軍とKIA(カチン独立軍)の戦闘は、激しくなっており、クリントン帰国後の12月7日には60人以上の国軍の兵士が死亡したと伝えられている。

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■「中国の属国化からの離脱」

ビルマの急速な開放路線の推進には、歴史的背景がある。それも、決して、欧米及び国内からの民主化の圧力が高まったからとか、経済制裁の効果で行き詰まったからというものではない。前回3つほどの理由を引用したが、最大の理由は、「中国の属国化」からの離脱である。

1962年、ネ・ウィン将軍がクーデターを起こし、以後の軍政のレールを敷いたとき、最初に行なったことは、インドの経済力、印僑の影響力の排除であった。このままではインドに席巻されるとの怖れである。1964年にはインド系ビルマ人の資産を接収、30万人以上のインド系住民が追放された。

ビルマは軍政の元、独立を維持したが、1988年のデモ弾圧による西欧の経済制裁後、過去20年間その影響力を強めてきたのは中国だ。隣りの雲南省などから、中国人は数百万人ビルマに入ってきた。

中国の経済支配は、いまやいたるところに見られる。人口100万人の古都マンダレーは、ビルマと言うより中国の街だ。ホテル、ゲストハウス、レストラン、多くが中国人が所有している。ビルマ人の、中国人による経済支配に対する感情は、沸騰点にきているようだ。

20111212_中国_ミャンマー_属国


■欧米の経済制裁が進展させた中国依存

年間44億ドル(約3420億円)(2010年)に達するビルマ・中国の貿易量の他に、中国国境から安い中国製品が無税で数多く密輸入されているという。過去20年の欧米の経済制裁は、ビルマ軍事政権を弱める働きはせず、ビルマ経済をいっそう中国依存へと追いやったわけだ。

しかし、半世紀前インド資本を接収し、インド人を追い払ったように、今日の状況で中国資本を接収し、中国人を追い払うわけにはいかない。中国に対する「カウンター・バランス」を設けるしかないのだ。欧米や日本の直接投資を呼び込むことが、バランス戦略となる。そのためには開放路線、民主化がどうしても必要となったというわけだ。

Yangon_2404
Yangon_2404 / Stefan Munder



■1兆円を越える中国のビルマへの投資


テイン・セイン政権は、4250万ドル(約33億円)(建設費約2790億円の1.2%)という巨額のキャンセル料を払ってでも、中国の進めるミトソン・ダムの建設を中止した。

中国のビルマに対する直接投資残高は、2010年末の123億ドル(約9550億円)から、2011年3月末には155億ドル(約1兆2000億円)に増加している。これに対し、インドなどは1億8900万ドル(約145億円)と中国の1.2%ほどしかない。中国はビルマの鉄道建設、天然ガスのパイプラインなど、主要なインフラをしっかりと押さえてきている。

鉱石、木材、宝石だけでなく、天然ガス推定埋蔵量18兆立方フィート、原油可採埋蔵量32億バレルといわれる資源国ビルマへのかかわりは、欧米や日本も喉から手が出るほど欲しいところだ。

中国の支配的な影響力を排除したいビルマだが、中国人・中国資本は、過去20年かけてビルマの奥深くにまで入り込んでいる。これをぞんざいに斬り捨てることなどは不可能だ。今後、欧米、日本、インド、ASEAN資本の急速な導入が必要となってくるだろう。

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Yangon_0498p / Stefan Munder


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*当記事は2011年12月10日付ブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。


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