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2011年12月15日
grave monkeys / garann *image
■知られざるインドネシア・ラワグデ村虐殺事件
ベトナム戦争時のソンミ村に対する、米軍による村民504人の虐殺については広く知られている。しかし、二次大戦後の1947年12月9日、インドネシア独立戦争の中で、オランダ軍によって住民430人が殺された西ジャワのラワグデ村(現バロンサリ村)虐殺事件についてはあまり知られていない。
太平洋戦争で日本軍の進駐によって、一番独立への刺激を受けたのはインドネシアではなかっただろうか。かつてオランダにより収奪されていた植民地も、日本による教育制度の実施、軍事教練、そして独立の父スカルノの解放によって、戦後の独立戦争への下地が出来たといっても過言ではないだろう。
■非戦闘員の若者たち、430人を射殺
オランダとの独立戦争(1945~49年)真っただ中の1947年、12万人のオランダ軍の武力に圧倒され都市を奪われ、独立軍はゲリラ戦に移らざるをえなかった。そんななか、悲劇は起こった。
1947年12月9日未明、オランダ軍はゲリラ部隊のリーダー、ルーカス・クスタリオを捕らえるべく、ラワグデ村に侵攻した。そして、村の若い男たち430人は野原に連れ出され、手を頭の後ろに組まされ、1人ずつ銃殺された。
ソンミ村が女子供を含む無差別射撃だったのに比べて、ラワグデ村の場合はゲリラのリーダーを特定できなかったからか、村の男・若者全員の射殺となった。
■オランダ法廷の判決を受け謝罪、1人につき200万円の賠償金を支払う
この多くの非戦闘員に対する銃殺に対して(近代戦では非戦闘員も多く巻き込まれるのが当たり前になり、原爆投下のようにもっぱら非戦闘員を狙った大量虐殺もある)、2011年12月9日、現地で64年ぶりにインドネシア駐在オランダ大使が謝罪をした。
このきっかけは、今年2011年9月にオランダの法廷で、国が虐殺の責任があるという判決が出たことが要因のようである。原告(もちろんインドネシア人)10人に対し(うち3人はすでに死亡したが)、2万ユーロ(約203万円)ずつの賠償金が支払われることが確定した。
■2000万円の賠償と64年後の謝罪
これにより、現地のインドネシア人の生き残った人々、親類たちは溜飲を下げ喜んだと言われる。しかし、なんと64年も経ってから大使がステートメントを読み、計20万ユーロ(2030万円)を払うだけでことが足りてしまう……、なんとオランダ人が上手なことなのか、インドネシア人が寛容なのか、と思ってしまう。
Euros / Images_of_Money
日本は、大戦中の大陸侵略戦争全体を(侵略戦争なら西欧の方がよほど先輩だが)、中国や韓国にお金を払った上で謝っているのに、やり方がまずく幾度も謝らざるをえなく、なお満足されてはいない。好対照といってもいいだろう。
■謝らない米国よりはまし?なのだろうか……
ベトナムのソンミ村虐殺に対しては、米国はもちろん謝罪などはしていない。軍事法廷を開いて、実行部隊の中尉1人を有罪とした上で(作戦の指揮官は罪に問われず)、3年後に釈放している。そのカリー中尉は、41年後の2009年にアメリカで謝罪したが、個人的に悪かったと言っただけである
(オバマ政権のベトナムと仲良くなりたい意図もあったか?)。
*ベトナム戦争時のアメリカの恥部をこれでもかとさらけ出した、ブライアン・デ・パルマ監督『カジュアリティーズ(89)』。非道に堕ちた軍曹を演じる、後のオスカー俳優ショーン・ペンの狂演が光る。(水島)
戦争大国アメリカのやり方に比べれば、かつての植民地経営のベテラン、オランダのやり方は、少しは被害者遺族の心に受け入れられたということだろうか?それにしても……。
Parangritis-79 / Viajar24h.com *image
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関連リンク:
オランダにおける植民地的責任 ~Rawagede(ラワグデ)の虐殺をめぐって~(PDF、福岡女子大学 吉田信)
*当記事は2011年12月13日付ブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。