• お問い合わせ
  • RSSを購読
  • TwitterでFollow

韓寒コラムに人民日報まで釣られた=「民主はペットではない」との反論も―中国

2011年12月26日

鋭い風刺エッセイで人気の小説家・コラムニストの韓寒が久々にブログを更新した。「中国人には民度がないんだから、革命なんてやってもまた毛沢東を生み出すだけだぜ」とも読める挑発的なブログが話題となっている。なんと大物中の大物、人民日報まで釣られている。


20111225_上海ビート
*韓寒著『上海ビート』。

■前回までのあらすじ(読み飛ばし推奨)

鋭い風刺エッセイで人気の小説家・コラムニストの韓寒が久々にブログを更新した。「革命を語る」「民主について」の2本だ。「革命だ!」「民主だ!」と無責任に語る民主化シンパに対する強烈な“毒”となっている。

韓寒(上海市出身、1982年生まれ)は2000年、まだ18歳という若さで、処女作『三重門』(邦題は『上海ビート』)でブレイク。一躍人気作家となった。小説、エッセイに加え、ブログも大人気で今年初頭に累計4億PVを突破したのだとか。

ところが本サイトでも紹介したブログ記事「バラバラの国」の後、めっきり更新が減り、まともな更新は5カ月ぶりとなる。今回、「読者からの質問になんでも答える企画」と題して書いたのが「革命を語る」「民主について」の2本の記事となる。

中国人と民度と民主=韓寒論争

【鉄道追突】改革をしなければ中国という国自体が脱線することに=人気作家・韓寒が共産党批判
革命するには民度と公共心が足りない=人気作家・韓寒が「革命を語る」―中国
コネがあれば俺も汚職できたのに…作家・韓寒が語る「普通の中国人にとっての民主」
韓寒コラムに人民日報まで釣られた=「民主はペットではない」との反論も―中国
口だけの革命はもうたくさんだ!人気作家・韓寒のド直球コラム「自由を求める」―中国
「ファッション民主にサヨナラ」ばらばらの国を変えるために=韓寒コラム解読編


■右も左もみんな釣った

韓寒のコラム2本については、詳細に紹介したので該当記事を読んでいただきたいが、素直に読むと

革命を語る
中国人には民度がないし、拝金主義が蔓延している。公共道徳もないから他人の不幸にも関心がない。こんなんで革命なんかやったら、もう一回、毛沢東を生み出すだけだぜ

民主について
暴力革命は勘弁。無血革命には「民衆の民度」「為政者の忍耐」「知識人のリーダーシップ」が必要だけど、中国には何一つない。と言うか一般の民衆は普段、民主なんか求めてないよ。困った時に方便として使うだけ。それを見て知識人は「我らは民衆とともにある」とか思っているんだよね。

と読めてしまうような挑発的な内容。反体制的な作家であり、鋭い風刺で政府を批判してきた韓寒の裏切りは大きな波紋を呼び、韓寒を罵倒する声が次から次へと沸いてきた。一方で、「中国共産党の喉と舌」であるところの人民日報、環球時報は韓寒応援記事を書いている。政権批判勢力も政権側もまとめて釣ったわけで、「希代の釣り師」韓寒の才能を改めて思い知らされた。

今回の記事では、韓寒が投げ込んだ石の波紋をご紹介したい。


■大喜びする「中国共産党の喉と舌」

まずは「才気走った悪ガキがようやく大人になった!」と大喜びしている「中国共産党の喉と舌」の反応を取り上げよう。

環球時報の胡錫進編集長はマイクロブログで次のようにつぶやいている。

韓寒が連続でブログを更新したね。彼は「ビロード革命が中国で起きうるとは思わない」。「革命の最終的受益者は「残酷無情」な人になる」と考えている。だから「もっと強力な改革」を支持するのだと。

それから、中国共産党には8000万人の党員、3億人の家族がいる。「これほど巨大な党を1つの党派や階層と単純に決めつけることはできない」「党の規模が一定レベルを超えて膨張したら、もう党は人民そのものになってしまうから」と述べている。いやはや、現在の中国ではなかなか聞けない事実を語った言葉だね。
胡錫進

とまあ大喜び。特に「党は人民そのもの」というフレーズがお気に召したようで。よもやあの韓寒が「共産党=人民」という図式を描いてくれるなんて!って欣喜雀躍している。マイクロブログでつぶやいているばかりか、なんと環球時報の社説にまでこのネタを書いている。

社説:韓寒ブログ、ネット世論のある転換
環球時報、2011年12月26日

実のところ歴史的に見て成功した作家の大多数は、その思想遍歴を新たにし、拡大させてきた。成功した作家たちはある一部の人々の「スポークスマン」となることを拒否してきた。固定された立場を否定し、現実と心の底からの呼び声にのみ従ってきたのだ。ところが中国世論はある時期からというもの、こうした思想次元を否定してきた。人々に受け入れられる話だけを正しいとするようになっていた。

韓寒の主張は、彼の30年間の人生と読書体験の総括によって生み出されたものだ。実際、同じような見方、信念を持つ研究者、作家は多い。「革命を語る」と「民主について」には、人々を驚かすような言葉を「見つける」ことはできない。しかし重要なことは、近年ではそうした(当たり前の)話を著名人がすることはほとんどなかったということだ。意識的にせよ、無意識にせよ、韓寒は一つの「突破」を成し遂げた。

(…)中国の改革が堅固なものであれば、民主の実質的な進歩もまた大きなものとなる。その進歩が世論の転換をさらに進めるだろう。そうなれば、韓寒だけではない。他の著名な文化人たちも公開の場で立ち上がるだろう。ネットの扇情的、扇動的な言葉と相反する言葉を口にするようになるだろう。


とまあ、こんな感じである。ざっくり意訳すると、「才気走った悪ガキが大人になったわ」「反共産党の言葉が『正しい』ファッションと見なされるネットの煽りムードの中、よくぞ正しいことをいった!」というところか。日本でも「共産主義にははしかなようなもの。大人になれば治る」とか言うが、ちょっと似ているかもしれない。「革命だ、民主だとか、青臭いことはもういいだろ」というやつである。

環球時報よりも格式のある人民日報もきっちり韓寒に釣られている。韓寒の名前こそ出ていないが、明らかに韓寒ブログへのアンサーソングだ。こちらはさすがに格調高い。かいつまんで説明すると以下のとおり。

暴力革命は社会発展問題を解決できない
人民日報、2011年12月26日

フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』を例に出し、「民主主義と自由経済」が究極到達点などというのは欧米が生み出したまやかしであり、ヘーゲル哲学の変種に過ぎないと喝破。

西アジア、北アフリカの現実(アラブの春)を見ても暴力革命では発展の問題は解決できない。ソ連が滅んだのは本当の意味での改革をしなかったからであり、ソ連が生み出したテトリスのように改革は目前の問題を次々と消去し続けていくもの、永久に推進しなければならないものなのだ。

この30年の中国改革開放の歴史が証明しているとおり、中国の特色ある社会主義を堅持し発展することこそ、中華民族の偉大なる復興を成し遂げる唯一の道である。

なぜテトリスが例にというのはちょっと疑問だが。ともかく韓寒ブログの意味を「暴力革命の拒否」「現政権の改革への協力」と受け取って、援護射撃をしたという印象だ。


■民主化シンパの皆様の反応

さて、では一方の反体制側、民主化シンパの皆様はどうか。「韓寒は本当は何を言いたいのかな?」と戸惑う人もいるが、「裏切り者」「買収されたな」的な感情的な論も少なくない。なんだか韓寒がブログで書いている「五毛党レッテルばり」そのまんまなのだが。

「革命を語る」より

Q:
あなたの見方は、五毛党(政府のネット工作員)みたいですね。政府に買収されましたか?なぜ(中国人は)1人1票の権利で主席を選んではならないんですか?

A:
こういうさ、白か黒か、正しいか正しくないかという決めつけ、共産党を非難しなきゃ五毛党扱いされる社会で革命なんか起こしたら本当にやばいことになるよ。

さらに韓寒は勉強が足りないというバッシングも。コラムの内容にけちをつけているのならいいのだが、18歳で小説家デビューを果たし最終学歴が高校中退で終わっていることをいじっているのではないかと疑ってしまう。


■民主はペットではない

ことほどさように低レベルのバッシングが多いのだが、水準に達している批判もある。その一つであるジャーナリスト・安替の反論を紹介しよう。

韓寒のコラム「革命を語る」はたいした話ではない。たんに彼の勉強が足りないだけだ。1980年代の台湾で国民党以外の勢力が民主化運動を展開した時、国民党の啓蒙者、改革論者が民主化を拒絶した論理とよく似ている。「公共道徳を守れない人間がどうして民主を語ることができようか」云々というやつだ。結果をいえば、それらはすべてたわ言だった。(今の台湾は)正常な民主化を果たしていないとでも?


民主とは衝突を解決するシステムである。今、中国の衝突が激化する中で、いまだに中国には民主が似合わしくないと考えている友人たちは、民主をペットのようなものだと見なしている。実際のところ、中国は大きすぎるがゆえに、民主でもって衝突を回避するしかないのだ。さもなければ、その代価はより大きなものなるだろう。しかも代価は大きくなる一方だ。あなたがそのことに気づいていないとすれば、それはまだ君の身にふりかかっていないというだけの話だ。だが、それはもうすぐやってくる。


中国人の民度が低く、民主はふさわしくない云々と考えている人たちは考えて欲しい。中国人の民度はアラブの人々より低いのか?ミャンマーも変化しつつある。中国人の民度はミャンマーより低いのか?これは自虐的な民族主義ではないのか。

上述したとおり、韓寒のブログは民度に関する記述が多い。だが、民主制度とは高度な民度を持った賢人たちのみが扱う夢の制度ではなく、現実的な問題を解決するためのシステム、ツールとして優秀だから中国にも必要なのだと立論している。

民主はともかくすばらしいから必要なのだ、民主はすばらしいものだから民度が低いと無理なんじゃないかという観念論は結構陥りやすい落とし穴だ。特にスターウォーズとか見た後なんかは危険なんじゃないだろうか。


■民主主義の御利益

なにやら箴言めいたことを言って煙に巻くならばいざしらず、民度(中国語では「素質」)というあやふやなものを尺度として、民主化出来るか否かを語るのはあまりに乱暴にすぎるし、民主主義をたいそうなものと見なしすぎているのではないか。

そう言われればそのとおりである。日本人は民主主義国家の住民として、あまり「民主主義の機能」「どういうメリット、デメリットがあるツールなのか」というドライな価値判断がないような人も多いような気がするが、今の中国を考えてみると民主主義の御利益は鮮明だ。

個人が強大な権力を持ち監督機能がないことから生じる汚職と腐敗、司法も権力になびくため民草は問題があれば上級政府に陳情するか暴動を起こすしかない、治安を守るために軍隊・武装警察・対暴動警察を完備しているが金がかかって仕方がないとまあ問題がはっきりしているのだ。

民主主義が万能薬とは言わないが、権力の暴走抑制となるべく多くの人が納得できる再分配を実現するツールとしてはそれなりのメリットがある。


■民主化シンパの皆様の痛いところを突いた韓寒の指摘

実は「民度不足だから民主主義はまだ無理だよ」論というのは結構、手垢がついた議論である。なぜ韓寒が今頃こんなお寒い話をするのだというのも中国ネット民に衝撃を与えたポイントかもしれない。

ただ「民度不足」ネタは本筋ではないというのが私の見立てだ。韓寒コラムを説明するにあたって何度も「素直に読めば」というフレーズを繰り返してきたが、実は素直に読んではいけないのだ。中国ネット民の皆様もこれまで多くの韓寒コラムを読み、その底意地の悪さや屈折ぶりを堪能してきたのに、なぜ今回に限ってこんなに素直に読んでいるのか、不思議でならない。

あるいはコラムが民主化シンパの皆様の痛いところをついたので逆上しているのではないか、とも邪推したくなる。数多くの批判やバッシングがわいてきている中で、韓寒が指摘する都市と農民の乖離、知識人と市井の人々の乖離に言及したものは目にしていない。中国のネットは基本的に都市民の文化である。指摘された乖離こそ、もっとも一番言われたくない部分だったのではないだろうか。

さて、右も左もみんな釣った韓寒のコラム。次回は私の解釈と「民主主義のツール論」についての考えを披露したい……と思っていたのだが、ここで大問題が発生した。

なんと困ったことに韓寒が3本目のコラムを書いたのだ。2本目のコラムで「新年おめでとう」としめくくってあたかも今年の論争が終わったかのように見せかけておいての爆弾投下である。環球時報をはじめとする体制側も、民主化シンパの皆様もみなびっくり。もちろん私も驚いた。やはり、一筋縄では行かないというか、意地が悪いというか。

というわけで次回は予定を変更して韓寒コラムの3本目をご紹介する。「口だけの革命はもうたくさんだ!人気作家・韓寒のド直球コラム「自由を求める」―中国」をご覧いただきたい。

中国人と民度と民主=韓寒論争

【鉄道追突】改革をしなければ中国という国自体が脱線することに=人気作家・韓寒が共産党批判
革命するには民度と公共心が足りない=人気作家・韓寒が「革命を語る」―中国
コネがあれば俺も汚職できたのに…作家・韓寒が語る「普通の中国人にとっての民主」
韓寒コラムに人民日報まで釣られた=「民主はペットではない」との反論も―中国
口だけの革命はもうたくさんだ!人気作家・韓寒のド直球コラム「自由を求める」―中国
「ファッション民主にサヨナラ」ばらばらの国を変えるために=韓寒コラム解読編
関連記事:
<中国ジャスミン革命>たった一つのつぶやきが中国政府を驚かせた=不思議な「革命」の姿を追う
革命歌を歌うよう強制されるのに革命は禁止……でたらめな時代を生きる新卒生に贈る言葉―中国
【作家長者番付】印税王はあのイケメン作家、黒柳徹子快進撃の怪―中国
うっかりもれた本音!?中国政府が恐れているのは「ジャスミン革命」―中国コラム


トップページへ

 コメント一覧 (2)

    • 1.  
    • 2011年12月27日 01:48
    • 党お抱え新聞の称賛が奇妙に感じました。
      自分には、共産党のブッ壊し方を書いているように読めたので。
      「外側に新しい党を作って選挙やったって無駄だよ。巨大な党に外側から立ち向かったって何も変わらない。
      でも、大きくなればなるほど、内側に入り込んで楔を打つ事は容易になるでしょ?ましてや党=人民と言えるほど巨大になってしまえば、あとは内側の人、つまり人民の意識次第で党を変え、崩す事は可能だよ。
      ただし内側に入っても染まらずに、自分の利益より公共性を優先するような『民度』が必要だけどね」
      というふうに。
      ……こねくり回し過ぎかもしれませんが。
    • 2. Chinanews
    • 2011年12月27日 15:27
    • >「党お抱え新聞の称賛が奇妙に感じました」さん
      仰るとおりですね。
      ただ、素直に読むと「政権転覆ではなく改良を目指せ」というメッセージに読めるので、それだけで嬉しくなってしまったんじゃないか、と。次回、更新の「自由を要求する」で、韓寒のちゃぶ台返しがあるので、ぜひそちらもご一読ください。今夜更新予定です。

コメント欄を開く

ページのトップへ