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2011年12月27日
*韓寒著『上海ビート』。
■前回までのあらすじ(読み飛ばし推奨)
鋭い風刺エッセイで人気の小説家・コラムニストの韓寒が久々にブログを更新した。「革命を語る」「民主について」の2本だ。「革命だ!」「民主だ!」と無責任に語る民主化シンパに対する強烈な“毒”となっている。
韓寒(上海市出身、1982年生まれ)は2000年、まだ18歳という若さで、処女作『三重門』(邦題は『上海ビート』)でブレイク。一躍人気作家となった。小説、エッセイに加え、ブログも大人気で今年初頭に累計4億PVを突破したのだとか。
ところが本サイトでも紹介したブログ記事「バラバラの国」の後、めっきり更新が減り、まともな更新は5カ月ぶりとなる。今回、「読者からの質問になんでも答える企画」と題して書いたのが「革命を語る」「民主について」の2本の記事となる。
上述したとおり、きわめて挑発的な内容に民主化シンパの人々は一斉に批判。人格攻撃的な罵倒まで含む非難が浴びせられた。一方で人民日報、環球時報などの体制側メディアは「悪ガキ・韓寒が大人になったぞ」と大喜びし、紙面に載せるほどの騒ぎとなった。
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自由を求める
韓寒コラム、2011年12月26日
前々回のコラム(革命を語る)は各人が必要とする自由が異なることについて、前回のコラム(民主について)では、民主と法制というのは価格交渉の過程であることについて書いた。いまだにキーボード民主を口にし、書斎革命を続ける友人たちに関してはもう取り合わないことにする(この一文は後に削除されている)。クリスマスセールといっても、タダでどうぞってわけには行かないからね。じゃあ、まずぼくから価格交渉を始めよう。
第一に、ぼくは文化人として来年は、自由な創作環境を要求する。ぼくはこれまで「**の自由」あるいは「**の自由」について書くことはなかった(**は伏せ字になっている。言論の自由、結社の自由とかだろうか)。というのも、「自由」という言葉は君たち(中国共産党)を怖がらせ、警戒させるものだったからだ。これらの自由は憲法に書かれたものだとはいえ、実際のところちゃんと実施されたことはなかった。
ついでにぼくの同業者の分も言っておこう。メディア関係者には報道の自由が必要だ。報道は厳しく規制されている。それから映画業界の友人たち。君には彼らの苦しみはわからないんじゃないかな。みんな地雷探しのように仕事をしているんだ。地雷を爆発させたら死んでしまう。爆発させなかった作品はなんだかのろのろして、いびつなものになっている。
これらの自由は時代の流れであるし、かつて君たちが約束したものでもある。君たちは絶対にソ連共産党について研究しているはずだ。ソ連共産党の失敗はゴルバチョフによるグラスノスチ(情報工会)の影響が大きいと考えているんじゃないかな。それから、憲法に従って最高権力を共産党から人民代議員大会に返したことが要因だ、と。だから君たちは言論の自由と立憲政治の導入にすごく慎重になっているんだろう。
でもね、時代はもう変わったんだ。現代のニュースが伝わる速さはついに検閲を無意味なものへと帰ってしまった。文化の制限によって、中国は世界に影響を与える文学や映画を生み出せないでいる。ぼくら文化人の成長を妨げているんだよ。
それからね、中国には世界的影響力のあるメディアがない。ただね、お金がなくても買ってこれるモノはある。本当のところ、文化的繁栄はもっとも金がかからないものだよ。規制が減れば必ず繁栄するんだから。もし、君たちが「中国の文化に規制はありません」と言い続けるなら、そりゃあまりに不誠実ってものじゃない?だから、来年は文化、出版、報道、映画に対する規制を緩和して欲しい。
もし、この価格交渉が成立するならば、ぼくは約束しよう。文化的環境がより大きな自由を得られた後、過去を追求することはしない。ただ未来のことだけを取り上げる。(中国共産党の)統治期間における敏感な事件、党高官の家族及びその関係する利益については触れない。たんに現代社会を取り上げ、議論するだけにしよう。もし、文化業界と政府とがそれぞれ譲歩して、互いに取り決めたラインを守り、それぞれがより大きな活動空間を得られるならそれでいいじゃないか。
ただね、もし2~3年後に状況が変わらないままだったら、ぼくは行動を起こす。中国作家協会や中国文学芸術界聯合会の全国大会が開かれるたびに、会場に行き討論を聞いては抗議してやる。そりゃもちろん蟷螂の斧ってやつで力不足は確かだけど、まあできるのはそれしかないからね。もちろんぼく一人の行動だ。仲間はいないし、読者を煽るようなこともしない。
ぼくはね、他人の未来を使って自分の経歴を美化するようなことはしないんだ。同時に、ぼくは自分たちの世代の民度を信じている。だから、これらのもの(言論の自由)が遅かれ早かれ到来するってことを信じているんだ。ぼくはただそれは早くきて欲しいだけだ。自分がもっといいものを書けるって信じているからね。年をとってからそれらがやってくるなんてのは勘弁だ。ぼくがその時代に間に合うようにして欲しい。
これはね、ぼくの専門領域に由来する個人的な要求だ。みんなにとってメリットがあった今回の議論だけど、この議論がなんなのかを研究するよりも、どう行動するべきかを考えたほうがいいと思っている。一人の人間の願いってのは1個までしか許されないっていうよね。ぼくの願いは使い終わってしまった。
その他のモノ、公平とか正義とか司法とか政治改革とか、そういったものすべては必要な人たちがまた提起すればいい。自由は大多数の人にとって最優先の要求じゃないかもしれない。でもいつも恐れや不安を感じていたいと思っている人はいないでしょ。
お金がないみんなは公正な環境の下でお金持ちになり、もうお金持ちの人は金しかないからといって外国人より自分は劣っていると思わないで済むような状況になって欲しい。
若者たち全員が今回のクリスマスのように恐れることなく、革命や改革、民主について話し合い、国の未来についての不安を抱き、国を自分の体の一部だと思うようになって欲しい。政治は汚いものじゃない。政治はつまらないものじゃない。政治は危険なものじゃない。
危険でつまらなくて汚い政治は本当の政治じゃないんだ。漢方薬、火薬、シルク、パンダといった物でぼくたちは栄誉を勝ち取ることはできない。県長の奥さんが100個のルイ・ヴィトンを持っていたとしても、民族は(世界の)尊敬を得ることはない。
執政党は大きく前進し、君たち自身が書いた歴史以外にも名声を残して欲しいと願っている。
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「ファッション民主にサヨナラ」ばらばらの国を変えるために=韓寒コラム解読編
私がネットで見た「民主主義者」たちは、大体「民主」や「自由」を追求するために生きているみたいなことをアピールする人たちです。だけど、民衆は「民主」や「自由」のために生きるではなく、生きるために「民主」主義と言う手段を選ぶだけです。「民主」といい、「自由」といい、主義という字がつける全ての言葉はあくまでも手段の一つに過ぎない、追求すべき目的ではありません。
今回韓寒を批判する人たちもそうです。「民主」を愛する人たちは、民衆が本当に求めるのは「民主」ではない事実を認めることもできず、誇り高い理想がけがれたと感じ、騒ぎました。
このままだと、民衆たちと距離が置くのは中国共産党ではなく、彼らです。最近私の友人たちの不満からみると、もうぜいぶん離れたかもしれません。