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【写真】ブッダガヤに集った人々と仏教遺跡=カーラチャクラ法要(tonbani)

2012年01月04日

■ブッダガヤのカーラチャクラ法要(1)■

*当記事は2011年12月31日付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


ダラムサラから列車に2日乗り、12月29日にブッダガヤに着いた。2012年1月1日から始まるダライ・ラマ法王によるカーラチャクラ灌頂に参加するた めだ。灌頂やその前行であるティーチングに付いてはおいおい報告することにして、今日はこの辺りを散策している時に撮った写真を紹介する。

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ブッダガヤ大塔本尊ブッダ尊降魔成道像。
1880年大塔修復の際にビシュヌ派のマハンタ教主の邸内にあった最大の仏像をここに安置したとされる。現存している仏像は当初のものではないが非常に美しい。


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カーラチャクラ灌頂の会場。
法王がインドでカーラチャクラ灌頂を行われる時には毎回大勢のチベット人が集まるが、特に今回は今までで最大の集会となるらしい。20万人との予測!

テントが張ってある会場を見渡す限り、ここに20万人入るようには見えない。溢れて外で聞く人もいると思われる。それにしても20万人はすごい数である。インドに住むチベット難民は10万人しかいないのだ。。今回はチベット難民はもちろん、その他インドのアルナチャル・プラデッシュ州の仏教徒、シッキムの仏教徒、ブータンの仏教徒、ネパールの仏教徒が大勢集まる。

もちろん外国人も多い。西洋人に日本人、中国人等のアジア人、モンゴル系ロシア人などなど。その上、今回は幾多の困難を乗り越えて、本土チベットからやってきた参加者が1万人近くも集まった。


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インドのアルナチャル・プラデッシュ州とブータン東部を主な居住地とするモン族の女性。
チベット語ではモンパ。モン・タワンとも呼ばれる。その特徴的な髪型というか元祖モヒガンのような鬘により特に目立つ。インドで行われるカーラチャクラにはとにかく普段あまりお目にかかれない民族に会えるというのもその魅力の一つ。

モン族の町タワンはチベットとの国境にあり、ダライ・ラマ法王が1959年に法王が中国に侵略されたチベットを逃れ、インドへ越境した国境の町でもある。また、タワンはユニークさで知られるダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォが生まれた場所でもある。

今回のカーラチャクラ灌頂は最近航空機事故で死亡した、熱心なチベット仏教徒でもあったアルナチャル・プラデッシュ州州知事の生前の意思を継ぎ、その遺族が主な施主を務めるというもの。そのせいもありアルナチャルの人が大勢参加している。


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女の立ちション、男の座りションと言うのも特徴の一つ。このちょっと屈み気味のおばさんは用を足しているところ。

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参加者全員に茶を配ろうというむちゃな計画のようである。写真はそのための茶を作るための巨大鍋。


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こちらは全員のパンを焼くための鉄板。


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ブッダガヤ大塔の夜景。
シャカムニ・ブッダが成道したという菩提樹のそばに最初に塔が建てられたのはグプタ時代(5~6世紀)と言われている。現在の煉瓦造方錐形の大精舎(大塔、高さ約53m)は、12世紀から13世紀と、1870年代の末から数年かけてビルマの仏教徒が大改修したものであるが、グプタ朝からパーラ朝における仏教祠堂特有の高層高塔形式を示しているとされる。

朝から夜遅くまで大勢のチベット人がこの塔の周りを右遶している。その他、周りで読経する者、瞑想する者、五体投地を繰り返す者といろいろ。


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シャカムニ・ブッダが完全な悟りに至ったとされる菩提樹とその下の金剛宝座。ブッダは29歳で出家し35歳の時悟りに至ったとされる。

7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに証りの楽しみを味った。8日目に尼抱盧陀樹(ニグローダじゅ)の下に行き7日間、さらに羅闍耶多那樹(ラージャヤタナじゅ)の下で7日間、座って解脱の楽しみを味わった。22日目になり再び尼抱盧陀樹の下に戻り、証りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかをその後28日間にわたって考えた。その結果、「この法(証りの内容)を説いても世間の人々は証りの境地を知ることはできないだろうし、了ることはできないだろう。語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至ったとされる。


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ブッダを象徴する最初のものとして信仰の対象となった仏足石。紀元前4世紀ごろに始まったとされ、両足がそろっているものの方が片足のものより古いとされる。

ブッ ダは「自灯明・法灯明」(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)という基本的理念を唱え、釈迦本人は自身が根本的な信仰対象であるとは考えていなかった。 したがって初期仏教においては仏像というものは存在しなかった。最初に仏像が作られたのはガンダーラと中インドのマトゥラーで紀元後1世紀ごろとされる。


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菩提樹の前に作られたチベット式祭壇。時代を経るに従い、祭壇が派手になっていったことが分る。


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仏塔を囲う石柵の間から伸びる物乞いの手。これだけ慈悲深い(?)仏教徒が集まると、恵んでもらおうと集まる物乞いも大変な数になる。

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*当記事は2011年12月31日付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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