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中国の愚民どもを文明人に「教化」せよ=全人代代表の暴言とその背景

2012年01月12日

2012年1月9日、広東省仏山市人民代表大会代表、中学教師の方明氏が「溺愛された子どもは孝行息子にならないように、溺愛された民衆はおそらく刁民(狡猾な民)になってしまう」と発言。話題を呼んでいる。10日、財経網が伝えた。


■中国民衆を文明人に「教化」せよ

9日、仏山市人民代表大会グループ討論において、方明代表は文化で民衆を教え導くことが重要だと訴えたが、その中で問題とされたのは以下のくだり。

体系だった漸進的なやり方で、正しい思想に教え導くこと。民衆を文明社会の文明人に教化しなければならない

まず訴えたいのは、市民とは教化するべきもの。養うものではありません。 溺愛された子どもは孝行息子にならないように、溺愛された民衆はおそらく刁民(狡猾な民)になってしまう。どのように教化するかですが、全市民にたいする各種ルートを開拓し、プラスの方向に世論を導くべきでしょう。


■教化―繰り返される愚民論

この発言のポイントはなんといっても「教化」という言葉だろう。中国では前近代から民草とは愚民であり、教化する対象であった。人民中国成立後も、儒教的伝統から社会主義思想へと導きのパッケージこそ変わりはしたが、共産党による人民の教化が続いていた。

「教化」という言葉の裏側には、「民草とは無知蒙昧な愚民であり、賢明な政府が教え導かなければいけない存在」という前提が含まれている。

2009年にジャッキー・チェンの「自由があった方がよいのか、それとも無い方がよいのか、わたしにはわからない」「「自由がありすぎると、非常に混乱し、台湾のような結果になりかねない」という失言が記憶に新しいが、中国ではこうした「愚民論」が繰り返し登場しては話題となる。
(関連記事:「ジャッキー・チェン、中国は「自由すぎると台湾みたいに混乱する」」AFP、2009年4月19日)

本サイト寄稿者でもある作家・安田峰俊さんの新刊『中国・電脳大国の嘘 「ネット世論」に騙されてはいけない』では、過去100年間にわたる中国愚民論発言のまとめがあるほどだ。 昨年末に人気作家・韓寒が発表したブログ記事も、「中国人には民度が足りないから革命は無理」という愚民論として世を騒がした。


■方明代表の弁明

個人的には「中国国民が愚民かどうか」という問いには興味がない。民主主義や自由を導入する民度にいたってはいないというバカげた話については、「民主主義は賢人を前提にした制度じゃないし、民主主義のボス・アメリカですら国民は愚民じゃないでしょうか」と反論したいところだ。

面白かったのは方明代表の弁明である。曰く、

もし一般市民が不合理な要求をしたとして、それを政府が満足させるようなことがあれば、溺愛と言えます。もし不合理な要求が認められるようなことがあれば、次はもっと多くの人が不合理な要求をするようになるでしょう。

という主張だ。実はこの主張、大変先鋭的な問題意識に根ざしているのである。


■「父母官」としての中共官僚

前近代から中国の愚民論が変わっていないことの表裏として、教化側、すなわち統治者側も変わらぬ役割を担っている。前近代の中国官僚は「父母官」と呼ばれ、親のような慈愛を与える存在と位置づけられていた。

21世紀の今もまた、中国官僚は同じ役割を演じている。旧正月ともなると、胡錦濤や温家宝は田舎の農村にでかけ、手料理をふるまうなど「父母官」キャラのショーを演じているのがその好例だろう。
(関連記事:胡錦濤の餃子VS温家宝の団子スープ!旧正月パフォーマンス対決―中国

もう一つの典型例は「上訪(陳情)」という制度である。先日、中国インディペンデント映画祭で「書記」という作品を見た。ある県政府トップが主人公なのだが、陳情デーにはオフィスで次々とやってくる陳情者をさばかなければならない。

陳情者「無免許で飲食店を開いていたので、罰金2000元(約2万4000円)っていわれたんですが、高すぎます。周りの店も無免許だらけですよ。俺から罰金をとるなら周りの店も罰してください。」

トップ「いや、罰は罰だからね。今度からちゃんと許可証とってね。罰金は1000元(約1万2000円)に減額してあげるよ。それなら払えるでしょ。」

といったやりとりが繰り広げられる。陳情一発で罰金が半額になる、これが「不合理な要求」というやつだろう。映画の県政府トップは「陳情制度なんかあるから、誰も司法使わないし、政府がむちゃくちゃになる」とぼやいていたが、中国共産党は 「父母官」キャラを演じることをやめられないでいる。


■全能型政府とサービス型政府

現在の中国のように、超法規的権力を握り、民草に恩恵を授ける政府のことを全能型政府と呼ぶ。こうした統治では、人々は七面倒臭い裁判や行政手続きに頼らず、ラッキーな恩恵を求めて、政府に陳情したり、あるいは暴動を起こして政府の慈悲深い仲裁を期待するようになる。

土地収用、給与未払い、企業の倒産と従業員解雇……。こうした問題の解決に正規の手段が有効ではないという認識はますます広がりを見せている。「このままでは政府はとんでもない重荷を背負い込んでしまう、さあ大変だ」というのが、現在の中国できわめて重要な問題意識だ。

全能型政府から、政府の権限と可能な行政サービスに明確化したサービス型政府への転換、すなわち法治への転換を目指すべき、というのがよくありがちな立論。

方明代表は、「一般市民をよく調教して、ご無体な要求を政府にしないようにさせよう」というユニークな主張。さすが学校教師と思わないでもないが、教育、あるいは洗脳の力を高く評価しすぎという印象だ。結局、人間なんていうのは狡猾な愚民ばかりなのだから、「そういうコトしちゃダメ」といわれたぐらいでは何も変わらない。

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