中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2012年01月13日
*画像は雑誌『南都週刊』の2012年1月16日号。カバーストーリーは「"公敵"韓寒」。
■韓寒の種明かし
2012年のクリスマス、中国ネット界の一部は異例の盛り上がりを見せた。政府への鋭い批判で知られる人気作家・韓寒が「革命?今の中国人の民度じゃ無理、無理。また毛沢東が誕生するだけ」とも読めるブログ記事を発表。
「韓寒が裏切った~」「いや、待て。なにか深い意味があるに違いない」「新刊を宣伝する話題作りだろ」「民度と民主主義は関係ない」云々と活発な議論とディスが交わされた。この件については記事「「ファッション民主にサヨナラ」ばらばらの国を変えるために=韓寒コラム解読編」に詳しくまとめている。
さて、2012年1月、韓寒の新たなブログ記事「ぼくの2011年」、そして雑誌『南都週刊』の記事「"公敵"韓寒」が登場、議論の種明かし的なネタが振りまかれている。
雑誌記事のほうは爆笑物で、「新刊の宣伝だったの?」「韓寒は専門書読まないバカって本当?」というネット民の罵倒に近いようなネタまでちゃんと扱っている。まあ紹介するのもなんなので、興味がある人は自分で読んでみて欲しい。
注目すべきは「革命を語る」「民主について」「自由を求める」という3本のブログ記事は一気に書いて、発表だけずらしたと話していること。最初の2本は「民度の低い中国で革命は無理」「一般人は民主なんか欲しがってない」という中国政府に都合のいい話で、中国官制メディア・環球時報からお褒めの言葉までたまわっている。
「自由を求める」は一転、言論の自由、作品発表の自由を求めて中国政府に立ち向かうという内容で、一部では前2本の評判が悪かったから慌てて3本目を書いたとの批判もあった。韓寒は前2本を書いていなければ、3本目は検閲されていただろうと発言。政府に都合のいいように見える話を書くことは検閲対策だったと明かした。
本当に3本一気に書いたのか、検閲対策なんて考えていたのか、疑えばきりがないし、作家なんてウソをつくものだが、私は最初から3本すべての構想があったと考えている。というのも、1本目、2本目にも伏線がはられているので。もっともあんなにわかりやすい3本目を書いたのは意外だったが。
■「五毛党」と「御用学者」
さて、3本のブログ記事で伝えたかった「真意」だが、ブログ記事「ぼくの2011年」が率直に語っているので、そちらをご紹介したい。長いので先に要点をまとめておこう。
中国ネット民、中でも民主化シンパの人々は、政府を批判し罵倒することがトレンドとなっており、反対者は「五毛」(政府のネット工作員)だと決めつけるネットポピュリズムに陥っている。自分の考えにそぐわないことを言う奴はみんな「五毛」扱いだ。
わたし自身、中国ネット民のそうした傾向は疑問に思い、随分前から「民主化シンパ」という控えめな書き方をすることにしている。もちろん迫害にあいながらも政府と立ち向かう民主化活動家、人権活動家も中国にはいるのだが、それとネットで騒いでいるだけの人、格好良く政府をディスるだけで満足している人に線引きしておく必要があると思ったからだ。
政府批判の旗頭・韓寒はこうした風潮の中で神格化されていくが、その御輿にのったままじゃ作家としてダメだと感じた。トレンドとして「民主、民主」と叫ぶのではなく、自分の生活と仕事の中で出来ること、必要なものを具体的に求める実践が大事なのでは、というのがポイントだ。
ネットというのはとかく政治運動的、ポピュリズム的な袋小路に陥りやすいもの。その事情は日本でも変わらない。例えば原発問題やらTPP問題やらで、ネット民のトレンドに反する人間はすぐに「御用学者」とかレッテルを貼られてしまったことを想起する。
■いい作家ってのは、権力者をぶち殺すのと同時に、一般市民をもぶち殺す存在なんだ
さて、野暮な説明はこの程度にして韓寒のブログ記事を紹介したい。話の枕部分は省略している。
ぼくの2011年韓寒ブログ、2012年1月8日2011年、ぼく自身の文章も大きく変化した。本当はその変化は2009年、2010年から始まっている。あの頃の書いたものは政府批判ばかりだった。心の底から発した怒りを書きつづっていた。そう、ぼくは最も束縛を憎む人間だった。車を運転していて道路に穴があいているのを見つけたら、すぐに警察に通報して穴がふさぐ工事が終わるまでずっと見ている。そんな人間だった。毎日、中国が突然、米国や台湾のような社会に変わればいいと期待していた。それどころか、香港やシンガポールだって不完全だと思っていた。「(問題のある)制度がすべての罪悪の根源だ。制度が巨大な弊害をもたらしている」と考えていたんだ。(ぼくが書きまくった)政府批判は多くの称賛を集めるようになった。そのうちにぼく自身がこの称賛を気にかけるようになった。無意識のうちに迎合していたと言ってもいいかもしれない。でもね、どんなに哀れみ悲しんだところで、悲劇の繰り返しを止めることはできないんだよ。2010年になると、ぼくの批判はほとんど(政府に対する)推定有罪論、変種の八股文(紋切り型の政府批判文)へと変わっていた。制度が悪い、政府が腐敗している、悲劇が起きた、人民はかわいそうだ……(の繰り返しだ)。思うにどんな社会でもこういう批判って人気がでるんじゃないかな。統治者は腐敗しているし貪欲。だからお上と民衆は対立するわけだよね。そう、どんな場所であれ、誰であれ、ぼくたちは本当にかわいそうな存在だ。上司のクソ野郎、あいつはいろんなことを台無しにしやがった。いい車に乗って愛人を囲ってやがる。おまえの実力じゃ手に入れられなかったはずのものだ。どんな資格であのバカが上司になってやがるんだ。誰にだって上司になったり、上司を交換させられる権利はあるはずだ。上司が持っているものは本来、自分が手にするはずだったものだ。この手の話って、その上司以外の人なら誰もが聞いて気持ちいい話じゃない?ぼくはこんな文章を書いては、ちょっとばかしの風刺を付け加えた。そうすると、みんなぼくの文章はすごいと褒めてくれる。しかも反対者はみんな「五毛」(政府の工作員)、権力の犬、民主の敵だってレッテルを貼られてしまうんだ。もしぼくを批判しようと思うなら、まず1000文字ばかし称賛の文章を書いて、それからおそるおそる一言二言批判するってやり方じゃなきゃダメになっていた。そうじゃないと、すぐにいろんなレッテルを貼られちゃうからね。まるでぼくが批判した彼ら(中国共産党)が反対者たちにレッテルを貼り、罪をなすりつけたようにさ。いわゆる左派、右派の間にはなんの交渉も妥協もなかった。やがて、ぼくに対する批判が減ってきて、批判する人もなんだかびくびくしていると気づいた時、ちょっと嬉しくなったよ。でもね、それはおかしいと思うようになったんだ。どれだけぼくが正しいことを言ったとしても、間違っている部分も当然あるって知っていたからね。それで、ずーっと考えていた。で、いい作家っていうのは権力者をぶち殺すのと同時に、一般市民をもぶち殺す存在じゃなきゃダメだって思うようになったんだ。2011年頭に書いた「真相が必要なのか?それとも必要に合った真相が必要なのか?」を書いた時からぼくの変化は始まっていた。(2010年12月25日、浙江省温州市楽清村の農民・銭雲会がトラックでにひかれ死亡する事故が起きた。銭は村政府の汚職を訴える陳情者であり、事故ではなく他殺だったのではと注目を集めた。ネット民による調査チームが結成されたほか、銭が身につけていた腕時計型カメラに収録されていた動画を分析し警察が証拠を改ざんしていると「論証」するネット民も出現。ネット民の間では政府の陰謀説が大勢を占めていた。そうした中で韓寒が書いたブログ記事が「真相が必要なのか?それとも必要に合った真相が必要なのか?」。もしネット民調査チームの調べが警察と同じ答えとなったら、その他のネット民は調査チームを疑うだろうとのべ、仮定に基づいた政府批判はやめるべき。それこそ中国政府のやり口だと指摘した。)当然、権力者と民衆とだったら、まず権力者から批判しなければいけない。権力者は利益をかっさらう存在で、市民は苦しみを受けている存在だから。でも、だからって、いい作家ってのは市民のご機嫌うかがいだけしてればいいわけじゃないんだ。民衆がどれほどいい人たちなのか、どれほど善良なのか、どれほど民度が高いのか。民衆が本来得るべきものは何か。民衆が生まれながらにして持つ権利とは何か。民衆の目がどれほど輝いているのか、しかも2つもあるんだぜ……云々。こんなのはかつて毛沢東が大衆をほめたたえたお世辞となんら変わりはない。その時、民衆は毛沢東が権力と威信を得るための材料にすぎなかったのかもね。何年も前のこと、ぼくは断固とした革命主義者だった。一党独裁なんてものがあるならひっくり返せ。多党制じゃなきゃだめだ、直接選挙じゃなきゃダメだ、三権分立じゃなきゃダメだ、軍は国軍じゃなきゃダメだ(人民解放軍は共産党の軍隊)……と言い続けた。当時、友達と議論したことがある。死者が出るかもしれない、混乱するかもしれない、中国が後退するようなことがあるかもしれない。そう言われても、ぼくは「わからないよ。試してみなきゃわからない。君の言っているのは統治階級の言い訳だ。それにね、どんなものにも代価は必要だ。極端に、過激にならなきゃ病は取り除けない。大乱があって初めて大治に至るんだ。それにどうせ今は乱世じゃないか。ひょっとしたらぼくは梟雄(乱世の英雄)かもしれないし……」と答えた。ところがだんだん気がついてきたんだ。ぼくのそうした態度って、「俺が死んだら後は野となれ山となれ」っていう独裁者と違いはないんだって。現実からかけ離れた極端な理想主義者と現実にいる極端な独裁者は、その本質において矛盾した存在ではない。むしろ同じ種類の人間かもね。たんに掲げている旗が違うだけだ。かつて君が忌み嫌った人間に君自身がならないとは限らないんだ。だからね、ぼくは自分の仕事に関連するもの以外、他の多くを願おうとは思わなくなった。ぼくは(中華人民共和国)憲法に則って、ずっと求め続けるだろう。寝ながら、据わりながら、たちながら、歩きながら、書きながら、話しながら、ずっと要求を続ける。あなたが逃げ出したくなるまで。(それ以外は運動を)後押ししようとしたり、変革しようとしたりはしない。2012年、ぼくは自分自身が楽しくなる文章だけ書ければいいと思っている。誰のご機嫌取りもしないで済めばいい。娘は例外だけどね。書きたいものは書いて、書きたくないものは省略で済ませよう。
【中国人と民度と民主=韓寒論争】
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