中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2012年01月19日
14日にンガバで、チベットのために声を上げ焼身抗議を行ったロブサン・ジャミヤンは16日、バルカムの病院で死亡した。今月14日、現地時間1時半頃アムド、ンガバ、アンドゥ地区シェワ村ギャンツォ家、父ギャンツォ、母ハチュンの息子ロブサン・ジャミヤン(メールでは22歳、Tibet Timesでは21歳)は、ンガバ街中の交差点にある公衆トイレの中で全身に灯油を浴び、火を付けた後「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットに自由を!」と叫びながら道に躍り出た。近くにいた武装警官や軍人が集まり、火を消す前に左右から鋲付きの棍棒で彼に殴り掛かった。彼を白い布で覆った後も踏みつけるなどの暴力を加えた。これを見た周りのチベット人たちは、彼に対する暴力を見るに見かねて、危険を顧みず武装した武装警官たちから彼を取り戻そうとした。衝突が起こり、武装警官たちはチベット人たちに激しく襲いかかった。この時、多くの人たちが負傷した。メウルマ第2地区のチュキ・ダワは重傷を負い病院に運び込まれたが、重傷で命を取り留める望みは薄いという。他に若者2人が重傷を負った。女性1人の片目が潰された。その後の発砲により2人の女性が撃たれたが、詳細は不明。多くの人が、撃たれた人はもっといると発言している。また、沢山のチベット人が拘束され連れ去られたというが、人数や氏名は未だ伝わっていない。翌15日、当局は街に大きなポスターを張り出し、示威行動を行った。市民を恐れさせるのが目的だ。それにも関わらず、街には「ロサ(チベット新年/この地区では1週間後)には商店や飲食店は(普段のように)営業しよう。弔いのロサにするために贅沢な食事をせず、普段着を着て過ごそう」と訴えるチラシが沢山撒かれたという。保安部隊から激しい暴力を受けたロブサン・ジャミヤンは16日にバルカムの病院で死亡した。17日には彼の父親と親戚の何人かが遺体を引き取ろうとバルカムに向かったが、実際に遺体が引き渡されたかどうかは不明である。焼身抗議を行った愛国勇者ロブサン・ジャミヤンは幼少時に地元のアンドゥ僧院で僧侶となった。後に(還俗し)、小学校に通っている。2011年に地域で「純粋なチベット語を話そう」という運動が起こった時、彼はシワ村でこの運動を推進する委員会の主要委員となった。この時、当局は彼に圧力をかけたり、脅迫したという。