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新中国はなぜ計画経済を採用したのか?市場の取引コストから考える(岡本)

2012年01月29日

■なぜ計画経済を採用したのか。<岡本式中国経済論35>■

*当記事は2012年1月28日付ブログ「岡本信広の教育研究ブログ」の許可を得て転載したものです。


■なぜ中国では計画経済が採用されたのか

今日はなぜ中国では計画経済が採用されたのか考えてみたいと思います。仮説として「中国では内戦や外国資本の独占により市場が存在せず、市場取引を採用するコストが高かった」ということを主張してみたいと思います。

以前の記事「歴史制度分析とゲーム理論」で、中国が市場経済を採用するか、計画経済を採用するかは初期条件に依存すると述べました。同エントリでは、ゲーム論での数値例の事例によれば、計画経済を好ましいと思う人が2/3以上になると計画経済が採用される、と結論づけています。

今日は、計画経済が成り立つ初期条件を市場での取引コストからもう少し深く説明したいと思います。


■(1)計画経済の成立

建国以前の毛沢東は建国のイメージを「新民主主義革命」(1940年)としてとらえていました。それは、「中国は19世紀から国内の旧封建支配層の上にすでに帝国主義化した列強が覆い被さったために、内発的な新興資本家の成長が弱く、封建体制を覆していく力は弱い」ものだったので、「労働者、農民、民族資本家、小ブルジョア階級の4つの階級が統一戦線を組んで、封建体制を覆す革命」です(小島1997)。

ところが、建国以降、1953年「過渡期における党の総路線」を通じて、庇護する予定であった民族資本家をはじめとして、帝国主義と一緒に儲けを得ていた官僚資本家などを国有化する方針に転換しました。農村では集団化を推進し、人民公社化へと進みます。社会主義の前例が旧ソ連しかないことから、ソ連からの援助を得て、国家計画委員会を設置し、第1次五カ年計画を実施します。これにより急速な計画経済体制が形成されていきます。

そもそも社会主義に移行するには、マルクスが想定していたように「封建主義→資本主義→社会主義」の段階を経ます。その想定もあったのでしょうか、毛沢東は建国の段階では急進的社会主義を望んでいるようではありませんでした。つまり資本主義の経済制度である市場経済が十分でないという判断があったとも想像されます(渡辺1994)。

ところが1953年から急進的社会主義に移行します。第1次五カ年計画の実施と計画経済体制への移行が開始されました。
 

■(2)市場経済にはコストがかかる

市場経済というのは簡単にできるものではありません。取引相手を探し、見つかったら交渉して取引をするかどうか決めます。決めたあと実際に取引がなされるかどうか、なされなかった場合の法の執行状況はどうなっているか、といったさまざまな手続きを経て取引が達成されるシステムです。

一般に市場経済で必要なコストは

探索コスト
交渉コスト
執行コスト

です。探索コストでは、取引場所があるかどうか、とくに都市部という人が集積しているところ、あるいは港湾などで荷揚げや荷の配送の拠点になるようなところで「市(いち)」が立てば、取引は可能になります。ある意味取引市場が地域的であり、中国全土にあったわけではありません。中国全土の経済発展を考えた場合、全国市場形成にはコストが高いと考えられます。

交渉コストは、交渉するためには経験が必要であったり、他の財の取引事例の知識が必要だったりします。それらの経験や知識を得るためにはコストがかかりますし、相手が信頼できるかどうかを判断するための材料も手に入れなければなりません。この時点で交渉のためのかかるコストは安くないわけです。内戦後の中国の市場経済は非発達であったと思われます。したがって、経験や知識、信頼などの情報を得るのは難しいと思われます。

執行コストは、交渉により何をどれだけ取引するか決定したあと、いつまでに納品するか、出来なかったときに、それを強制するような法律や命令する機関(裁判所)などが整っているかどうかのコストです。とくに執行コストは所有権とその売買に関する規定と罰則の執行となりますので、社会的にきちんとした法体系と執行システム(裁判所)が存在しないとなりません。これはもっともコストのかかるものです。混乱していた1950年前後の中国で執行システムが確立していたとは思えません。


■(3)富国強兵を目指すために

中国がより強い国づくりに励もうとするとなると、経済的に豊かになる必要があります。そのために経済発展を行わなければなりません。経済の取引を自由にしたとしても、地域的な一部の小さな場所で取引がされている、とか、誰がその取引に参加しているのか、とか実際には詐欺が横行しているといったような社会では、富国強兵に先立つ発展を得ることはできません。

つまり経済体制として市場経済を採用するコストは非常に高かったと考えられます。むしろ計画経済体制のように中央集権的に資源配分を行なったほうが富国強兵を早く達成すると考えたとしても不思議はないでしょう。アジアにおいて開発独裁が主流になったのも、この辺の背景があります。独裁的権力を持つ人がリーダーとなると、(リーダーの頭の中では)市場経済を発達させるような制度を構築するコストよりも、中央集権的資源配分システムを構築するコストの方が安い、と考えるのかもしれません。

中国では、新中国の成立の主役となった毛沢東が、革命家としての急進性を持っていましたし、党内の権力闘争を通じながらさらなる共産主義純化を求めました。したがって経済的にはより集権的により計画的な制度を採用しようという誘因が働いたと思います。その誘因のもととして、計画経済体制の導入のほうがコストが安かったことにあると考えられるわけです。

以上のような議論(思いっきり仮説ですが)から、計画経済体制を採用しうるコストは非常に低く、結果、計画経済体制の採用に至ったとも考えられます。

参考文献リスト:
小島麗逸(1997)『現代中国の経済 (岩波新書) 』

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