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カーラチャクラ法要参加のためインドを訪れた本土チベット人、帰国後の受難(tonbani)

2012年02月03日

■カーラチャクラ法要に参加した本土チベット人たちの受難■

*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の 2012年2月2日付記事を許可を得て転載したものです。


20120203_写真_チベット_カーラチャクラ法要1


■インド・ブッダガヤの法要に参加したチベット人

今年始めからブッダガヤで10日間行われたカーラチャクラ法要、チベット本土から9000人のチベット人が参加したという。ある人はこの数字を見て、「中国もダライ・ラマ法王に会いに行くためにインドに行くチベット人を大目にみて規制を緩和したのではないか」と言った。

本当に中国が規制を緩和したのなら、今回この法要に参加した人の数はこんなものではなかったはずだ。軽く数十万人は参加していたことであろう。彼らは様々な試練をくぐり抜けてやっとブッダガヤまで来る事ができた幸運な人たちなのである。パスポートを作るのに数ヶ月、時には数年を要し、金を積んでやっと手に入れることができる。

若者がパスポートを得ることは非常に難しく、年寄りの方が得やすかったという。また、ネパールへの巡礼ビザを取るのも簡単ではない。中国は去年の12月に入りネパールがビザを出すのを止めさせたという。やっとネパールまで出ても、あるものはカーラチャクラに行く前に中国当局から電話が掛かり、カーラチャクラに参加する前に帰ってこなければ処罰すると脅され、泣く泣くネパールから帰った人もいる。

20120203_写真_チベット_カーラチャクラ法要2


■帰国の苦難

無事ブッダガヤまで辿り着き、法王に会う事ができ、灌頂も受ける事ができた幸運な人たちも、その帰り道でまた困難な事態が待ち構えていた。まず、ネパールに入るとネパール政府からの嫌がらせを受け、数百人が一次拘束された。
 
一番の難所はネパールと中国の国境ダムである。ここの検問所でカーラチャクラに参加したほとんどのチベット人はきつい尋問と身体検査を受け、法要の最中に貰った経典を取り上げられ、ブッダガヤで土産に買った数珠等一切の宗教グッズを取り上げられたという。ここを通過した後もラサまで何と12カ所の特別検問所を通過せねばならなかった。その間に食料のツァンパやインドで買った服等も取り上げられ、ラサに辿り着いた時にはほとんどの人たちが着の身着のまま状態となっていたという。

20120203_写真_チベット_カーラチャクラ法要3


■収容所に運ばれた人も
 
それでも、ラサまで無事に辿り着けた人はまだ幸運な人たちだったのだ。1月31日付Tibet Netによれば、同日朝10時頃、ラサ駅のホームで武装警官隊に囲まれた約100人のチベット人が目撃された。彼らは全員カーラチャクラ法要に参加したチベット人だという。ダムなど、ラサまでの検問所で拘束された後、ラサを経由して列車でどこかの収容所に連れて行かれたと報じられている。

おそらく、ブッダガヤで法王やセンゲ首相が何を話したのかなどの情報収集、今後の政治的活動をいさめる目的ではないかと思われる。また、巡礼目的だったとしても、インドを訪問した者はただでは済まないという脅しの意味もあるのだろう。

今回カーラチャクラに参加した本土からのチベット人のほとんどはお年寄りであった。死ぬまでに一度でいいからダライ・ラマ法王にお目にかかりたいという一心で、貯金をはたき、辛く長い道中を耐え、さまざまな不安を抱えながら、言葉も通じぬ異国まで行ったのだ。慎ましく生きる彼らを虐げることに何の利があるというのか。 

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の 2012年2月2日付記事を許可を得て転載したものです。

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