中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2012年02月05日
中华人民共和国 人民币元 / ComerZhao
■中国紙記者が見た地元
2011年の旧正月は1月23日。法定休日は22日から28日までだが、この間はマスコミの記事も減り、中国ニュース読みとしても、ちょっとのんびりした時期を過ごせる。多くの記者が実家に帰省していたわけだが、南方週末は「我が故郷我が地元民」という面白い特集を組んでいる。帰省した記者が目にした地元事情を紹介するものだ。その中でも「「全市民が融資者に」がこんな身近にあったとは」という記事が興味深い内容だったので、ご紹介したい。長文なので、かいつまんでの紹介となる。
■身近にいた「融資者」「高利貸」は取材対象、一種の経済現象であり、自分とは遠い存在だと思っていた。ところが旧正月に帰省してみると、我が故郷にして、貧乏で保守的な田舎町の江蘇省徐州市は、「2011年高利貸『被災地』」の一つとなっていた。21日、中学の同級生の家を訪ねた。同級生の母親・徐おばさんは私が経済記者だと知って、「2012年の金融政策は緩和されるかしら?企業融資のハードルは下がる?」と矢継ぎ早に訪ねてきた。定年を迎えたこの一般家庭のご婦人がなんでマクロ経済問題に興味があるの?とびっくり。その答えは「高利貸」だった。徐おばさんどころか、その兄弟姉妹や父親までみんな「高利貸」に融資しているのだという。同級生は上海で働くサラリーマン。今回の帰省で初めて実家が「高利貸」一家になっていることを知ったのだという。思えば、徐州市のバス停、タバコ店、電信柱にいたるまで、大小さまざま、手の凝ったものからシンプルなものまで、いたるところに投資、質貸し、担保の広告が貼ってあった。「同僚の息子はね、もともと無職だったんだけど、今では投資企業を経営しているの。まだ起業して1年なんだけど、もう車も持っているのよ」と徐おばさんは一家の融資物語を語り始めた。
■徐おばさんの投資サクセスストーリー最初に投資したのは2年ほど前のこと。同僚に勧められてだった。年利12%と聞いて1万元(約12万円)を投じたが、1年後にはちゃんと利息付きで戻ってきた。2011年初頭、徐おばさんは戻ってきたお金をまた投資しようと思ったが、そのころから街には似たような投資企業があふれ始めた。こちらの会社は年利18%、あちらは24%。じゃあそこにしようかと思うと、40%だ、60%だというところまで出てくる始末。周囲の友達も親戚も投資する人が増え、お互いに情報を紹介するようになったという。悩みに悩んだ揚げ句に徐おばさんが選んだ投資先は徐州市に工場を持つ企業。年利は24%で5万元(約60万円)を投資した。それだけではあきたらず、兄妹と一緒により利率のいい投資先を研究していたという。「どうせ定年してやることないしね。あっちの工場を見学したり、こっちの講座を受講したりという毎日だったの。「貸し付け」って中毒みたいなもので、友達や親戚も熱くなっちゃった。誰も問題になるなんて思ってなかったし」と徐おばさん。
■気づいたら夜逃げブームが起きていた2011年6月、研究を重ねた徐おばさんはさらに5万元を投資した。投資先は徐州出身で、日本国籍を取得した華僑。徐州市田舎の火力発電所に投資するという触れこみだった。年利はなんと60%という高さ。徐おばさんもびっくりしたが、火力発電所に関する政府のパンフレットを見て、「政府が騙すことはないでしょ」と安心したのだという。ところが3カ月後には利息の支払いが滞り始め、その2カ月後には華僑が夜逃げした。あわてて警察に行ってみると、高利貸企業の夜逃げはもう7、8社になっていたのだとか。100万元(約1200万円)以上投資した人も少なくない。「これじゃ私たちの5万元なんかとても帰って来ないわ」と徐おばさんはがっくり。
■貸し倒れの蔓延年初に投資した工場のほうも危ないかも、満期になったらすぐに引き上げようと徐おばさんは考えていたのだというが……。満期を迎えても全然お金を返してくれないのだという。工場に押しかけていっても、他の債権者に聞こえないよう会議室に通され、もごもごと弁解されるばかり。この旧正月、徐おばさん一家は「いかにして一族の金を取り返すか親族会議」を連日開催していたという。工場側は3月まで待ってくれの一点張り。3月になれば工場の売り上げも入ってくるし、融資のハードルも下がるはず」というのだが……。さらにさらに、徐おばさん一家は別の担保企業にも投資していた。徐州市で改行してもう10年になるという老舗だ。同社は融資保証業務だけを請け負う担保企業だったが、2011年下半期だけで10社近い「高利貸」企業が夜逃げした影響を受け、こちらも大変な状況に。担保企業の経営者は「この10年、いろんなことがありましたが、どうにかくぐり抜けてきました。まさか今回の取り付け騒ぎでやられるとは……」と嘆いていた。これだけ話してくれた徐おばさんだが、報道されれば取り付け騒ぎが広がると恐れて、工場の名前までは教えてくれなかった。ただひたすら「金融緩和はあるの?いつ?」と経済情勢、金融政策について質問してきたのだった。