■喬石が動いたのか。王立軍失脚■*本記事はブログ「中国という隣人」の2012年2月5日付記事を許可を得て転載したものです。

Bo Xilai _DDC7506 / Abode of Chaos
■有力者・薄熙来の危機
記事「公安業務から解任された「重慶マフィア摘発の英雄」=「汚職で逮捕」との報道も―中国(水彩画)」で、薄熙来・重慶市市委書記の子飼いの部下・王立軍が公安担当を外されたことをお伝えしました。米華字ニュースサイト・博訊網は、王が汚職容疑で取り調べを受けている、薄熙来に見捨てられたと思った王がボスの汚職についても自供したと報じています。
博訊網報道が事実ならば、次期党大会で中国共産党の最高指導部・政治局常務委員入りが有力視されていた薄熙来の失脚の危険もあります。その薄熙来ですが、2012年2月2日と3日の両日、重慶市宣伝文化業務会議に出席しています(重慶日報)。
席上、薄熙来は「何かがあった」ことは認めつつ、それは「敵対勢力」による「人心を乱すデマ」だと反論。闘争は激しいものになるだろうと発言しています。
デマとは博訊や微博で流れている噂、妻・谷開来の汚職問題、留学先で遊びほうけている息子・薄瓜瓜についても含むものでしょう。
この重慶市宣伝文化業務会議に、王立軍は出席していません。とはいえ、宣伝部門の会議なので、王が拘束されているので出席出来ないのか、専門違いだから出席していないのかは分かりません。
重慶市公式サイトによると、王の最新公務は1月24日。公安局長として公安、民警、武装警察を慰問したことを最後に更新されていません。
■政争の黒幕は江沢民の政敵だった喬石か法輪功のメディア・大紀元は、江沢民の政敵だった喬石が王立軍の追い落としに動いたのではないかとの風聞を報じています。
喬石は、2009年に重慶市で警備兵が殺害され拳銃が奪われた事件が未解決だったことを理由として、政法関連の古参同志を誘い、現政法委書記である周永康に書簡して、王立軍の解任を迫ったそうです。
鄧小平が亡くなり、楊尚昆、楊白氷兄弟が失脚した後、江沢民の目の上のたんこぶだったのが喬石です。江沢民と比べれば、党歴も喬石の方が上。趙紫陽解任に際し、党・政両面の経験が豊富な喬石を後継者にとの声は、楊尚昆からも挙がっていました。
■喬石の恨み
彭真の政法部門と全人代を引き継ぎ、その資質から党内改革派にも保守派に受けが良かった喬石ですが、それだけに江沢民の嫉妬を買って十五大(1997年・第15回党大会)で引退を余儀なくされました。
引退に一役買ったのが当時89歳だった薄熙来の父親・薄一波です。「十五大では70歳で年齢制限を設けた」と喬石を言いくるめたのですが、喬石より1歳年上の江沢民はまんまと総書記に居座り続けることに成功。その見返りとして薄一波の次男である薄熙来が出世街道を歩んだ、という与太感満載なお話も伝えられています。
一方で、薄一波は元々江沢民を嫌っていたとの話も。薄熙来が引き合わせ、父親に詫びを入れさせ、その後ようやく薄一波が江沢民に忠誠を誓ったというエピソードも伝えられています。真相は何ともいえませんが、薄一波は元々人事を握っていた人間なので、喬石引退の罠を仕掛ける適役ではあります。
喬石は、尉健行を引き続き紀律委書記にすること、田紀雲を引き続き全人代副委員長にすることを条件に、引退を呑んだと言われています。また、胡錦濤は鄧小平が選んだ第4世代の核心なのだから、江沢民は十六大には胡錦濤に権力を委譲し、70歳定年制を確立させるよう求めています。
■政争の真偽と今後
喬石黒幕説については、大紀元報道なので話半分で聞いておく必要はあります。ただフランスのRFIも喬石の書簡について触れていますし、大紀元だからといって笑い飛ばすのは軽率でもあります。
少なくとも王立軍が公安担当から外されたことは事実であり、薄熙来の足を引っ張る問題であることには間違いありません。後は薄熙来の支持者がどこまで支えられるか、であります。また、もし騒ぎが拡大するのであれば、薄の後ろにいる江沢民にまで延焼するのかどうかも見物でしょう。
*本記事はブログ「中国という隣人」の2012年2月5日付記事を許可を得て転載したものです。