■未来形小説:
譚剣 『人形軟件(humanoid software) 01霊魂上載■
*本記事はブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」の2012年1月28日付記事を許可を得て転載したものです。
■中国語SF星雲賞受賞作とイケてる装丁『人形軟件 01霊魂上載』(訳すと『ヒューマノイド・ソフトウェア1巻 霊魂のアップロード』)は「首届全球華語科幻星雲賞最佳長篇小説賞」(第1回世界中国語SF星雲賞最高長編小説賞)受賞作。劉慈欣、韓松、倪匡など中国の著名SF作家の支持を受けた作品だ。ただ正直な話をすると、内容よりも表紙に惹かれての購入だ。ジャケ買いである。
香港人作家・譚剣の手による本書は2010年にまず香港で出版され、翌2011年には中国本土で出版された。つまり繁体字版(香港・台湾版)と簡体字版(大陸版)があるわけだが、私はその繁体字版の表紙に魅せられてしまった。
*繁体字版の表紙。 だから本当はこの香港版が欲しかったのだが、私は繁体字なんか読めないし、何より香港版を購入する手段がわからなかったので、妥協してアマゾンで大陸版を買った。
*簡体字版の表紙。大陸版の表紙も悪くはない。壁に寄りかかる男性の体には青い光の筋が点滅して走っている。彼の背後に鏡写しに見える白いシャツを着た平凡な姿の男性は影が薄く、この世に存在していないようだ。大陸版は大陸版で本書の特徴を上手く表しているのだが、やはり香港版のこのアナログかハイテクかわからないサイバーパンク的なジャケットの方が面白そうな中身に見えてしまう。
中国大陸の読書家が海外作品を語る際、大陸版と台湾・香港版の表紙を比較して大陸版はやっぱりダサいと自嘲することがあるが、まさか自分まで大陸の人間と一緒に向こうの世界を羨むことになるとは思わなかった。
■主人のいないコピー
SFでも科幻小説でもなく、未来形小説というジャンルを打ち出している本作品。その世界観は現代と地続きのようで、不自然さが少ない。
ネット世界で生活することが当たり前になった世界で、ネット依存症の人々は人形軟件という自らの分身をネット世界に作り、香港や東京などの現実世界を模した仮想空間に彼らを住まわせていた。
物語は主人公である香港人・寧志健がマフィアに拉致され、交通事故死するところから始まる。そのほぼ同時刻に寧志健のネット上の人格である人形軟件の『我』も仮想空間の香港銅鑼港で正体不明の何者かに襲われ、大規模なテロに巻き込まれる。
すんでのところで逃げ切った『我』は主人の安否を確かめるために仮想空間の調査をするが、そこで自分の主人が死者の身分を偽証してネット世界に登録していたことを知る。一介の青年が何故そんなことをする必要があったのか。そして主人の分身であるはずの『我』は何故そのことを知らなかったのか。現実と仮想の事件が交錯し、混迷を極めていく。
そして、日本。ネット世界版香港で起きた大規模なテロ事件が、1年前に起きたネットバンクへのハッキング事件と関係していることに気付いたハッカーの天照(現実世界ではプロのモデル)が事件の真相の解明に乗り出した。
■自己と犯人を探す探偵
現実世界と遜色のない仮想空間で、主人のいないデータが現実に起きた事件を調査するという未来形ミステリ。舞台を仮想空間に移しただけでは、たんに移動が便利すぎる都合の良いミステリなだけだが、『我』を付け狙う謎の人形軟件やハッカー集団が障害となり、真相になかなか辿りつけさせてくれない。
譚剣は『輪廻家族』で第1回島田荘司推理小説賞に入選しているだけあり、謎が謎を呼ぶ展開には手馴れた気配さえ漂わせる。
■変わった日本びいき日本人のモデルが『天照』なんてちょっとイタイハンドルネームを使っている理由は本書で少しだけ触れられていて、それが2作目の伏線ともなっているのだが、香港が舞台のこの本には日本色がやたら出ている。人形軟件のコピーが次々生まれるようになるウイルスの名前が、小説の登場人物の口調や性格を真似る読者が多く、模倣者が後を絶たない作家の名前を取って『村上春樹ウイルス』なのは作家ならではの皮肉だ。