ウェッジに「中国が中国である限り真の民主はありえない」というなんとも挑発的というか、不思議なタイトルの論考が掲載されたのでご紹介します。
Statue of Liberty / sarae
平野聡「中国が中国である限り真の民主はありえない」(前編)(後編)
■不思議なタイトル
「中国が中国である限り」ってなに?尾崎豊「僕が僕であるために」のオマージュ?「真の民主」ってなに?日本の民主は真の民主?米国は?ソ連崩壊の翌日に赤旗一面が「まだ真の社会主義は実現していない」だったことを思い出しちゃったぜ……と妄想させてくれる、果てしなく不思議なタイトルです。
タイトルの時点でどきどきものでしたが、中を読んでみると普通の内容。ひょっとして、編集者がつけたタイトルじゃないですかね。「中国が中国であるかぎり」も「真の民主」も本文中に出てこない言葉なので。その意味は後編で主張するところの
「中華人民共和国の現状領土を保とうとするかぎり」=「中国が中国である限り」
「リベラル・デモクラシーの導入は不可能」=「真の民主はありえない」
という程度の意味でしょう。ストイックにタイトルをつけるならば、「民主主義を導入すれば中国の分裂は不可避」ぐらいでしょうか。
■「21世紀中国革命の起点」は意外と前近代的だった
さて中身なのですが、中国史をかじった私的には腑に落ちる内容なのです。まずネタとなっている烏坎村事件について簡単に説明を。
<烏坎村事件> 昨年9月、村トップの共産党村支部書記が公有の土地使用権を勝手に売買し、その売却益の着服に怒った住民が抗議デモを決行。自治組織をつくって上部機関の広東省政府に調査を求め続けたが、昨年12月に自治組織の中心人物が警察当局の取り調べ中に急死。その後、抗議活動が激化したため、省政府はようやく村民の要求を受け入れ、村幹部の更迭など異例の決定を下した。
で、この事件の
「農民たちが村役人を追い出し自分たちで政府組織を作る」という革命的胸熱展開が、中国国内のみならず世界的な注目を集めました。「中国民主化の出発点になるのではないか」という中国民主化人士の期待もあれば、「中国体制転換が始まるやも!世紀の瞬間をスクープや!」という海外メディアの盛り上がりあり。さらには「うちの村役人をたたき出す見本にしたいッス」という中国農民の注目もあったり。
で、この盛り上がりに水を注すのが前編の内容です。個人的な読みを入れて強引にまとめるとポイントは3つ。
第一に「農民の共産党中央への信頼」です。木っ端役人を追い出した農民たちですが、広東省党委副書記が現地にやってくると大歓迎。「基層の木っ端役人は腐っていることを偉い官僚に訴えたかった」とのポーズを示します。これは
悪いのは悪代官という水戸黄門的発想。皇帝は善き統治者だが君側の奸が邪魔して下々の声が届かないだけなのだ、という昔からある構造です。
第二に官僚たちも「木っ端役人は確かに悪いやつだった。君たちの要求を認めよう」と応じるわけですが、これも「農民の革命的要求が認められた大勝利」ではなく、水戸黄門的図式に官僚たちものっかって、
「悪代官は確かに悪いやつだった。気づかなくてスマン」と善き統治者を演じているだけではないのか、と。これを平野さんは「官僚の道徳・情理」と表現しています。
第三に村民たちが作り上げた村民委員会も宗族(血縁の一族)を単位としたもの。
田中一族の代表者、鈴木一族の代表者……といった人々が集まって意思決定するもので、きわめて前近代的な構図。宗族に従わない個人はむしろ抑圧されるもので、民主主義とはほど遠いのではないかという指摘です。
ちょっと私の主張が入りすぎて平野さんの主張と外れていたらすいません。
■地方自治=少数民族の独立、だから無理後編の内容も、わかりやすい内容です。
・「そもそも中国において、自由で民主的な言論と政治批判を許すと一体どのようなことになるのかを考えてみなければならない」
↓
・民主的な地方自治が認められたら速攻で少数民族は独立するぞ
↓
・「漢族の優越なる観念が骨髄まで染み込んでいる中国の多くの人々は、多数決原理に即して少数民族の独立を全力で阻止し、「恩恵に感謝しようとしない分裂主義者」と名指しされた少数民族とのあいだで大混乱が起こるかも知れない」
↓
・「中国国内で地域ごとに民主化実現度の差をつけて分割統治するよりも、最初から中国全体の自由化・民主化など避けた方が良いことになる」
という流れ。
(補足:ちなみに「共産党の少数民族政策に批判的である作家として知られる王力雄氏も、この大混乱の可能性を恐れて即時かつ完全な自由と民主には躊躇しているのが実情」という一文があります。本サイトが紹介した王氏の論考「焼身抗議以外に何ができるというのか?」の話かと思ったのですが、この論考は烏坎村的な基層自治から始めようという主張で大混乱への恐れとかは書いていません。別なところでそんな話も書いていたのでしょうか。気になるので論文名を書いておいて欲しかった……)で、
最後の結論で「経済発展による社会の開放こそ、中国が西側と同じ価値観を共有するに至る最良の道である」という、日本を含めた先進国が持っていた「チャイナ・ファンタジー」は間違いであり、中国共産党の抑圧構造を強化、固定化させたのだと主張しています。
私も記事「
道を閉ざされた底辺人民の怒りが革命を呼ぶ=何清漣コラム「民主政治と中国の距離」」のラストで、WTO加盟によって中国を「平和的変化」させられるとの国際社会の期待が大失敗だったのではないか、と似たようなことを書いていますので、なるほどなるほどとよくわかる結論であります。
■民主主義は一つじゃないのでは?で、ここまで平野さんの話はよくわかると書き続けてきたわけですが、一点、思いっきり考えが違うところがありまして。それは民主主義制度というものをきわめて固定的にとらえているということでしょう。自治が導入されれば、それは米国式、あるいは台湾のような民主主義となり、少数民族の独立要求や漢民族ナショナリズムを押さえられないのは必然。というのはちょっと短絡的かと。編集者さんが(ご本人かもしれませんが)、タイトルに「真の民主」とつけてしまうのもわかるような気がします
(もっとも平野さんは「リベラル・デモクラシー」という表記しているので、「リベラル・デモクラシー」以外のデモクラシーはありかもねと考えておられるのかもしれませんが……)。
これは平野さんだけではなくて、中国の民主化知識人にも共通している問題でしょう。昨年の「韓寒論争」では民主主義についてのさまざまな意見が中国ネットを飛び交いましたが、その中でのポイントの一つに「国民の一票で元首が選べないとあかん」というものがありました。多分、中国の民主化知識人から見たら、首相を直接選挙で選んでいない日本なんか、「真の民主」を達成していない国なんでしょうね。
(関連記事:「ファッション民主にサヨナラ」ばらばらの国を変えるために=韓寒コラム解読編)今までも何度か書いていますが、民主主義とはツールだということです。そして使いようによってはこのツールは今の中国の問題を大きく改善させる可能性を秘めています。
■中国の人々が求める「民生」中国の問題とはなにか、といえば、答えは「民生」(人々の暮らし、生活)と相場が決まっているのですが、その「民生」の中身が近年、変化しています。以前はいかにして食い扶持を増やすかこそが「民生」だったのですが、ある程度の経済成長を成し遂げた今、財産を守り保障することも「民生」の重要な要素となっているのです。
そも、中国の「群衆事件」(デモや暴動、ストライキなどを総称する中国の用語)の発生原因といえば、都市民であれば、「ろくな補償金が払われずに住宅が土地収用される」。農民であれば、「ろくな補償金が支払われずに村の土地が収用される」が大きな割合を占めています。政治権力から財産が守られないことが最大の不満の一つとなっているのです。烏坎村にしても、村のボスが勝手に共有地を売り払った末にその代金をこっそり独り占めしていた……というよくある話が発端。財産を守ることが目的です。
下々の問題だけではありません。先日、コネを頼って融資を集めていた女性企業家・呉英が投資詐欺容疑で死刑判決を受けましたが、大きな反響を呼んでいます。政治の風向きによって財産が保障されないのは庶民だけではないのです。昨年来、中国富裕層の海外移民が話題となっていますが、移民の理由を問うアンケートでは「子どもの教育」と並び、「資産の安全」が上位となりました。
(関連記事:やり手経営者と「投資詐欺」の境界線=女性企業家に「金融詐欺罪」で死刑判決―中国)■安価な問題解決策としての民主制度本当ならば裁判に訴えれば財産を守れるようになれば問題の多くは解消するのですが、地方の役人の権力が強く、行政と司法が結託している現状では難しい。じゃ、その地方役人を監督して不正を行わせないためにどうするか、いかに「法治」を実現するかが課題なのです。
最近だと、「網絡問政」(インターネット政治)という言葉もよく使われ、下々の意見を吸い上げ、また基層官僚の腐敗と横暴を監視する機能をネットに託そうという動きも見られますが、状況を変えるまでにはいたっていません。そうした中で、例えば中国共産党の基層組織内における選挙であるとか、基層自治体における有効性を持った選挙というのは、権力の監視という意味で一定の効果をあげる可能性があります。
中国には武装警察、いわば「内向きの軍隊」がありますが、近年の群衆事件の増加により増員を重ね、その人員数は人民解放軍を抜いたとの説もあります。烏坎村の一件にしても4000人の武装警察が村を包囲したと報じられていますから、問題に対処するリソースは莫大なものとなります。
武装警察の増員よりも安価に事を済ませられる可能性がある基層民主、例えば基層自治体の権限を大きく制限したり公選されるポストを一部に限定するなど、国家の分裂や民族対立を煽らない形にアレンジした民主制度っていうのは十分現実的ですし、「今のやり方だとコストがまかなえない」という状況になれば、導入される可能性もありうるように思うのですが……。
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