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2012年03月04日
ロシアにいる間にできるだけ色々な町に行ってみたいと日ごろから思っているのですが、24日は祝日で会社が休みだったので、スーズダリという町に行ってきました。スーズダリはウラジミールから約30キロ離れたところにあります。記録上この町が初めて見られたのは1024年。12世紀前半にはロストフ・スーズダリ公国の首都でした。
現在、人口は1万人ちょっとと、小さい田舎町ですが、ロシアの黄金の輪(ЗолотоеКольцоРоссии)を形成している町の一つであり、クレムリンや修道院などの歴史的な建物がたくさん残っているので、一年中観光客でにぎわっています。私たちも、まずスーズダリのクレムリンに行きました。
(クレムリンはロシア語で城塞の意味。ロシアの都市の多くは中心部にクレムリンを擁している)
モスクワやニジニ・ノヴゴロドと比べたら、スーズダリはとてもこじんまりとしたクレムリンでした。
雪の中で白い壁と玉ねぎ屋根はとてもきれいに見えます。
クレムリンの外に出ると、とても見晴らしがいいです。
そういう広い場所だからか、ロシアにしては珍しく風が強かったです。雪が砂のようにサラサラだから、顔にあたると痛いです!
久しぶりの風で名古屋の冬を思い出しましたけれども、名古屋と比べてこちらの方が案外暖かく感じます。当日は-9℃ぐらいでしたけれども、私たちは-20℃でもOKというロシアで買った防寒具を身に着けていたので、風があっても平気でした。
ランチは、クレムリン敷地内にあるレストランで食べました。ロシア料理のお店で、味もサービスもよかったので、スーズダリに行ったときにぜひ入ってみてください。現地の名物メドヴーハというはちみつを入れて作られるアルコールをここで飲んでみました。夏にあっちこっちで売っている飲み物クワースに似ている味でした。
スーズダリは観光客で成り立っている町です。クレムリンから出ると、馬車がいっぱい走っていました。
思いっきりピンクという、タチアナにはちょっとわからない感性の馬車もありましたけれども、皆さん普通に乗ってました。
ここは天然滑り台です。現地の人々は玉ねぎ頭の教会を特に眺めることなく楽しそうに滑っていました。
クレムリンから25分ぐらい歩いたところに、Спасо-Ефимиевмонастырь(スパーソ・エフィミエフ修道院)がありました。その中に有名なイコン画家ГурийНикитинのフレスク画があってとても興味深かったです(17世紀)。
19世紀の人々はそのフレスク画を地味すぎると思ったらしくて、「華やかになるように」と、部分的に上塗りしてしまいました。今でも昔ながらの書き方と「華やかな」書き方の部分が並んで残っています。どう見ても19世紀の方が趣味がよくないので、全部書き直されていなくて本当によかったと思いました。
こういうレンガの壁はニジニのクレムリンの壁に似ていますけれども、これはクレムリンではなく修道院です。カメンカという川が凍っています。
一つの修道院を出たら、遠くに次の修道院が見えたので、「よし、今度はそこだ!」とまたまた歩き出しました。
この小さな橋を渡りました。
現地のおばあちゃんたちです。
この日にとにかくたくさん歩きました。スーズダリは小さい町なので、交通機関を使わなくても全部まわれます。
道が滑るから、ゆうきは何回も転びました。もうちょっと気を付ければいいのに・・・と思うんですけど、どうもそれはそれで楽しいみたいです。時間になったら、ウラジミールまでタクシーで戻って、そこから電車でニジニ・ノヴゴロドに帰りました。
今のモスクワが生きている時代と、スーズダリが生きている時代が明らかに違うと、見てて思いました。「もっともっと!」とどんどん変化していく大忙しのモスクワとゆっくりのんびりしているスーズダリ。こうして同じ国の中でも全然違う暮らしを見ることができます。
旅行をすればするほど、見てみたい場所がどんどん増えていくばかりのタチアナでした。
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*本記事はブログ「ロシア駐在日記」の2012年2月25日付記事を許可を得て転載したものです。