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2012年03月02日
爱祖国 / timquijano
2012年2月初頭、薄熙来と王立軍、二人の名前で中国マイクロブログ(微博)をにぎわせていた。日本ではあまり知られていないが、中国ではかなり知名度の高い人物である。中国社会を理解するために外せない重要な事件であり、また今後の中国の行方にも影響する可能性があるだろう。そこで事件の概要をここで紹介したいと思う。
(なるべくファクトのみにして噂を書かないようにしますが、線引きが難しい点についてはご了承ください)
■薄熙来と重慶
薄熙来は中国共産党の元老の一人・薄一波氏の三男。いわゆる「太子党」の一人である。これまで順調な出世コースを歩んできた。大連市市長、遼寧省省長、商務部部長を経て、2007年に共産党の権力の中心である中央政治局委員になった。
(その背後には、父親である薄一波氏が江沢民氏を支持する代わりに、薄熙来の政治的な出世と取引していたとも言われている)
薄一波氏が亡くなった後、温家宝(総理)、呉儀(当時副総理)、喬石(共産党元老)の強い反対を受け、薄熙来は中央政府から地方の重慶市に飛ばされ、市委書記となった。中国の行政単位には行政の長(市長)と、党の長(党委書記)が併設されている。党の長が持つ権力は行政の長を凌ぐ構造だ。つまり薄熙来・重慶党委書記は重慶市のトップということになる。
ちなみに、重慶は中国の南西部にある重要な都市で、元々四川省の一部だったが、1997年に独立して、北京・天津・上海と並ぶ4つ目の直轄市になった。人口は2885万人(2010年)。経済規模でみれば、南西部では成都に次ぐ大都市である。
市委書記に就任した薄熙来は早速さまざまな「改革」に着手し、同市のGDPを3年で2倍となる7894億元(約9兆4728億円)に拡大した。海外の一部のメディアでは、薄氏が辣腕政治家と扱われたのもこういう数字があるからだ。
■打黒唱紅
数字の真偽はさておき、薄氏が中国国内では「過激左派」という認識され、特に自由主義・民主主義的な考えを持つ国民の間では、悪名高い人物である。彼が重慶でやっていた「打黒唱紅」運動は、文化大革命の悪夢を蘇らせるような強烈なものだった。
「打黒」は暴力団を排除する、「唱紅」は共産党の功績を歌う、という意味にあたる。一見それほど悪いことでもないように見えるが、やっていることは人権や法律を踏み躙るような恐怖政治に近いものだった。その「打黒」行動の執行者がその王立軍で、かつて薄熙来の腹心だった人物だった。
王氏は内モンゴルの一般家庭の出身。遼寧省鉄嶺市公安局長を経た後、薄氏に引き立てにあずかった。錦州市公安局長・党委書記時代には、暴力団を成功裏に排除した「英雄的人物」として全国的な知名度を得ている。彼をモデルとした連続ドラマ『鉄血警魂』が制作されたほどだ。
王立軍は2008年に7月に重慶に来てから、9月までの約80日間に、「刑事案件32771件を解決し、1万人近くを逮捕した」そうだ。市民には切手の貼った封筒が郵送され、公安局に暴力団への密告が推奨された。文化大革命の時に、「共産党や社会主義に対する陰謀」の密告が推奨され、人と人の間の信頼関係が破壊し尽くされた恐ろしい時代を彷彿させるような政策だ。
当然、本当の暴力団の排除ばかりではなかった。政治的な対立勢力への報復、民間企業家の財産の略奪……さまざまな出来事があった。重慶で最も裕福だった民営企業家トップ3、すなわち彭治民氏、李俊氏、陳明亮氏全員が暴力団と認定された。全財産が没収されたばかりか、死刑判決を受けたり、あるいは海外に亡命したりという悲惨な運命をたどった。
またトップ3以外でも、黎強、王天倫、馬當、嶽村、襲剛模などの民間企業家も無期懲役か死刑の判決を受けた。拷問で虚偽の自白を強要したり、公安・検察・裁判所がグルになって判決をくだしたり、あるいは弁護に駆けつけた有名弁護士(李庄)を投獄するといった法律や人権を踏み躙る独裁的な行為が、全国から強い反対と不満を呼んだ。
■薄熙来と権力闘争
ここ数年、赤い都に化し、中国の中でもユニークな存在となった重慶。自由主義・民主主義派に憎悪されている一方で、重慶市の一部の市民の間では、薄氏は好評を得ている。今、中国では「左派」といえば「旧左派」と「新左派」がある。いずれも拡大しつつある社会的格差に強い不満を持つ層だが、「旧左派」は毛沢東時代の平等さを懐かしみ、「新左派」は改革開放のために富を手に入れた富裕層を憎んでいる。このように、薄氏の「打黒唱紅」は左派の支持を得ている。
「打黒唱紅」の背景としては、薄氏が今年秋にある中央政治局委員会の再選に向けて、共産党を擁護する姿勢と政治的な成果をアピールするのが目的である。中央政治局委員会は共産党の最も核心的な組織。国家主席を含めた9人の常務委員によって構成される。次期常務委員には、習近平と李克強が内定しており、残る7席をめぐって激しい権力闘争が展開されている。
薄氏はどちらかというと江沢民派に属しており、現在国家首席の胡錦濤氏と総理の温家宝氏の「団派」とは対峙している。また前重慶市長で、現広東省党委書記の汪洋氏とも強い対立関係にある。
■王立軍事件
ずいぶん前振りが長くなった。さて、今回の王立軍事件では何が起きたのだろうか。時間軸にそって事件を遡ってみよう。
・2月2日:王立軍の公安局局長が解任され、教育を主管する副市長に任命された。
・2月6日:王立軍が老婦人に扮し、夜陰にまぎれて重慶から300キロ離れた成都の米領事館に駆け込み、政治避難を要請。Peter Haymond領事は、ゲイリー・ロック米国大使に連絡。さらにホワイトハウスにまで連絡がいったが、最終的に米国は王の亡命を拒否した。ロック大使は中国政府に連絡。事件を報告した。連絡を受け、国家安全局副局長一行が成都に向かった。
・2月7日:薄氏は70台近くの警察車両を動員し、自分の管轄ではない四川省成都市の米領事館を包囲。同時に中国政府の支持を受けた四川省政府の警察・軍隊も出動し、双方が対峙。最終的に王氏の身柄は重慶ではなく、中央政府国家安全局に引き渡された。8日、北京に連行されている。
http://www.chinese.rfi.fr/%E4%B8%AD%E5%9B%BD/20120218-%E9%87%8D%E5%BA%86%E6%89%93%E9%BB%91%E6%89%93%E6%8E%89%E5%BD%93%E5%9C%B0%E6%9C%80%E5%A4%A7%E7%9A%84%E7%A7%81%E6%9C%89%E4%BC%81%E4%B8%9A
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