中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2012年03月05日
ひつまぶし / nhayashida
名古屋の河村市長が南京代表団を前にした発言が話題となっていることは既に周知にことかと思いますが(名古屋市長の南京事件否定発言(彼が本当に言いたかったことは何か)、これについて中国側がどのように考えているか知っておくのも悪くないかと思ったので、これについて少し。
元記事は『南方日報』の「评论:警惕河村隆之的社会心理基础」(評論:河村たかしを生み出した社会心理基礎に警戒)ですが、『新華社』が転載していたものです。
先に記事の紹介をさせていただきます。普段は面倒くさいので、概訳しかしないのですが、単に気分の問題で滅多にしない全訳をしてみました。
■河村たかしを生み出した社会心理基礎に警戒
(1)河村を擁護する日本の心理的基礎
名古屋河村市長が南京市代表団に対し、公然と“南京大虐殺”を否定するというでまかせを述べた。これについては反論するにも値しない。河村が限りなく無知で幼稚でない限り、彼は“南京大虐殺”がどういうことかを知っていないはずがない。
政治家が、思い切って口からでまかせを言う場合、恥知らずで厚顔でなければ、きっとそれを支持する社会の心理的基礎がある。このような社会の心理的基礎があるから、こうした敏感な歴史問題にでたらめを言っても処罰されることはないと信じている。
2月20日から、名古屋市は約330の各界の意見を受け取った。その内270が“市長良く言った”という支持を表明していた。データも少なく、世論調査の根拠とするのはきついが、日本で河村市長のでまかせに一定の支持をする社会心理的基礎があることはわかる。
学術的基礎がない者でも、普段から日中関係や日本の世論に関心を払っている者であれば、大体日本にはこうしたデタラメが社会心理として残っており、脈動していることがわかる。
「百年侵略し、歴史をリードし形成された大和民族が優秀論」「中国の飛躍に対する警戒心又は敵対論」これらのデタラメな社会心理はずっと日本社会に潜んでおり、時々表面に出て、正常な日中関係に深刻な影響を与えたり、発展を邪魔したりする。
(2)社会的基礎が存続する原因
どうして日本の民間には長期にわたりこれらのデタラメな社会心理が残っているのか?原因はもちろんたくさんある。第二次世界戦争後の日本の戦争責任の精算が不十分だったこと、冷戦下で、アメリカとの経済連携、政治的かばいたてが日本の不可避の道だったことが重要な原因の1つだ。
精算が不足していることと政治的かばいたてが、日本を歴史上最も敗戦国らしくない敗戦国としている。日本民衆は敗戦国の身を切る痛みが不足しており、各種の正しいようだが間違っている観点や思想が戦後大手をふるうようになり、長期にわたりその影響を受けた日本の民衆右傾化し、日本政府も段々右傾化してきた。
社会心理は1日にして形成されるものではなく、これを変えることはより難しい。ましてこうした社会的心理を許したきた主要な要因の内、外的要因は依然として存在する。日本社会がこれらのデタラメな社会心理及び各種正しいようだが間違っている思想に対する制約は弱まってきている。
アメリカは日本を中国を牽制するための戦略にしようと思っているため、日本に対する制限は益々少なくなり、依存は益々大きくなっている。
このような環境で、すべての日本の政治家、国民が正しく歴史を知り、国からでまかせを言わないように期待することは、恐らくあまり現実的ではない。日本は侵略歴史を直視し、徹底的に反省することが不足している。いつまで経っても贖罪が終了しない状況が長期に渡って存在する。
(3)中国のとるべき選択肢
日中国交正常化以来、中国政府及び民間は、日本社会の残存する、隠れたこうしたデタラメな心理を完全には理解していたと言い難い。しかし現実の中で、いわゆる大局若しくは未来志向型のため、耐えることを選択し、その存在を軽視若しくは直視することを避けてきた。
結果、日中関係の大局は何度もこうした社会心理の逆流と“少数の者”による妨害を受け、傷つけられることとなった。
日本側のこうした社会心理の逆流を軽視し、これからもじっとこらえ続けて、消極的に変化することや消えてなくなることを待ちますか?それとも、それを正視して、主体的に行動し、公開して、最後まで戦っていきますか?その答えは言わずとも明らかです。
私達が心から日中関係とは「友好は双方にとって利益があり、争うことは互いに傷つく」ことであることを信じ、我々が日中関係の起点を、中国が日本を必要とすることを、日本が中国を必要とするより少なくすることに自信を持てばいつの日か、理性により日本自身にこうした馬鹿げた、下品な社会心理に強制的に制約できるようになると信じている。歴史問題に名を借りて波風を立てるこざかしい敵を制約するのにも有効である。
かように「妥協によって団結を求めることは団結を損ね、争いによって団結を求めることは団結を残す」という結果になる。本当に「歴史を鏡とし、未来を見る」ことが日中関係の大局であり、未来である。