中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2012年03月18日
ちょっと疑問なんだが、日本のアニメってなんで相互理解で戦争が終わるの?別にその考え方を否定するつもりはないんだが、あまりにもそれが正しい解答として扱われ過ぎているのはヘンに感じる。確かに日本のアニメって「分かり合える」とか「相互理解」みたいなのを重視しているよね。私もそれで戦争が終わるってのは、いくらアニメでも非現実的すぎるとは思う。日本アニメや漫画の戦いって、互いに分かり合うことがテーマになるよね。ガンダムのNTとか、マクロスの歌とかそういったテーマの象徴だ。これに関しては自分も非常にヘンな考えだと思っていた。世の中には相互理解したってどうしようもないことが多いし、戦争なんてその最もたるものだろう。現実は相互理解じゃなくて相互妥協か相互譲歩だよな。相互の理解で止まる戦争ってのは、双方が戦争を望んでいないという前提が必要だよね。まぁアニメなんかだと戦争には不幸な原因があることが多いからな。それか、戦争の黒幕に明確な敵がいるとか。そういった設定の場合はなんとかなるんだろ。相互理解と戦争って、適用できる範囲が狭い。せいぜいが「誤解」によって生じた戦争くらいにしか使えないでしょ。まぁ、アメリカが「石油と土地よこせ、さもなくば戦争だ。ヒャッハー!」とやって来て、その「戦争の理由」に関して「理解」してもどーしようもないからなーこれは日本が第二次世界大戦で負けたからじゃないか?彼らは理解という道筋で戦争を処理するしかなかったんだろう。戦争というか、戦いに関する感覚が日本は独特だと思う。「理解」もそうだが、敵が味方になったりする。アニメや漫画やゲームに限らず、こういった物語やルールがありふれている。ヘンな話だけど、日本の作品の「戦い」って平和的なんだよね。戦争まで行かなくとも、戦いが理解の手段になっちゃっている所がある。これは日本の歴史上には異文明や異民族との消滅をかけた戦争の経験が無かったからじゃないかな。あるのはせいぜい第二次世界大戦で負けたくらいだし、それにしたってヒドイ展開にはならず、むしろアメリカ文化を「理解」して新しい発展の材料にしているし。そう言えば日本の漫画では殴り合ったあとに友人関係になるというのがお約束になっているね。これについては、日本人は感情を表に出さず自分の意見を周囲と調整するから、殴り合いまで到達してようやく感情や本当の考えが露出するからだという説明を聞いた覚えがあるわ。日本のアニメの相互理解ってのは相手を理解するってだけじゃなく、互いに考え方を転換してみるって部分もあるよ。そこから合意というか妥協点を見出すというのも、一種の「相互理解」じゃないかと。理想主義的すぎるとは思うけど、こういった目標に向かって人類というか周りの人間を変えていこうとする努力は尊重する価値があるんじゃないかね。なるほど。信じるというか、スローガン的なものとしての「分かり合える」という理想は必要だな。そう考えると、アニメの描写もそう悪いもんじゃないのかね。考えてみれば理想主義者が絶対的な作品ってのは少ないし。実際問題、相手を全滅させるまでの戦争ってのも逆に現実的じゃなくなるし、妥協点を見出す上での理想という意味での相互理解ってのは有用か。分かり合えないと言って相互理解を放棄するのもある種の中二病的だろ。「現実はそうじゃない」「子供の考え」というところで全て否定するのもどうかなーと思う。てかアニメの中くらい、理想があってもいいじゃないか……でもさ、戦争系の作品で戦争を終結させるための手段が「分かり合えるから」というのだと、作品そのものが嘘くさく思えてこない?戦争というテーマなのに、そこだけあまりにも理想的すぎると作品から現実に引き戻されてしまう様な気分になって来るよ。ガンダムなんかで富野由悠季は人が分かりあえるってことや、戦争を止められるってことを言っているが、これはやはり日本の過去の影響からなのかなぁ。個人的には日本が敗戦のあとにアメリカに教えられた人道やら人権やらが見て取れるように感じるんだが。現実的には、圧倒的に相手より強くなって戦わずに相手の兵を屈することができるということを背景にしての「相互理解」になるよな。ガンダムも実際は単純なものではないよ。初代~逆シャアまでは「分かり合える」という方向だったけど、SEEDは「分かり合えない」、DESTINYは「正義で統一」、00は戦争介入とコントロールに別種の生命体との接触と単純なものにはなっていない。NTにしてもアムロとララァは分かり合えたけど、ララァは死ぬし、アムロとシャアはその後ずっとララァの死を引きずるしなぁ。カミーユは分かり合いすぎて精神崩壊、ジュドーはハマーンを拒絶しているし。「逆襲のシャア」はわりとシビアに「相互理解」と「戦争」というのを描写していると思うが。かつて希望を抱いていたシャアは地球の人間に絶望、代表的なNTのアムロは分かり合える能力のはずのNT能力を戦闘分野に特化してしまっている。最後にサイコフレームの共振でアクシズを押し返すが、結局二人は行方不明。こういうのがあるので私は少なくともガンダムで描写される「相互理解」については理想主義と笑うことはできないね。「理解」という面から考えると、00が面白いね。刹那は最終的にイノベイターという人類から離れた存在になるし、劇場版の敵のELSはそれまでの一応分かり合える人類とは異なる存在で、それとの「理解」は今までとは異なるレベルの話になってる。てか、富野由悠季は別に相互理解で戦争が止められるとは言っていないぞ。イデオンやザンボット3見ればそれは明らかだろ……あれは見ると非常に憂鬱になるというか、絶望的な気分になったりしちゃうぜ。
油くせぇ強奪民族