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中国土地改革のミッシングリンク=書評『中華人民共和国誕生の社会史』(kaikaji)

2012年04月26日

■中国農民はなぜ「土地改革」を受け入れたのか■

*本記事はブログ「梶ピエールの備忘録。」の2012年4月24日付記事を許可を得て転載したものです。


Chinese Village
Chinese Village / Yorick_R



■「脱走」が可能だった前近代中国の農民たち

ここのところのブログ記事を読んでもらえれば、僕が最近明清中国の社会経済史について関心を深めていることには気がついてもらえると思う。これはもちろん、こういった「伝統中国」に関する理解を深めること現代の中国を理解するのに不可欠だという問題意識による。

たとえば、中国農村が封建的な階級対立のアリーナだった、という議論は「農村革命論」という公式イデオロギーの成立に大きな役割を果たした。しかし、先日紹介した足立啓二氏の著作でも示唆されているように、伝統的な中国農村では、貧しい農民が経済的に地主(が経営する土地)に従属するケースはあったかも知れないが、経済外の身分的な制約によって土地に縛り付けられることはほとんどなかった、といってよい。日本の小作農に比べ、逃げようと思えば他の地域に逃げるのは比較的容易であったのだ。

こうしてみれば、確かに民国期を通じて農民間の経済的な格差が拡大したのに伴い、豊かな農家や大土地経営者=地主への怨嗟の気持ちは拡大していただろうが、それが「公式見解」のように貧しい農家が主体となった「階級闘争」につながったとするには明らかに無理がある。というのも農村社会の流動性が高すぎて、「地主階級」が再生産されていくというよりは、むしろ自らの才覚や権力との関係を利用して一代限りの富を築く、というパターンが多かったと考えられるからだ。近年の土地改革に関する実証研究によっても、それが共産党という外部の力によってかなり暴力的に行われたものであり、階級意識に目覚めた農民達が自発的に行ったというにはほど遠い、ということが明らかにされている。


■中国近代史のミッシングリンク
そこで大きな疑問が生じることになる。そもそも伝統的な中国農村では、地主と小作農との間に「階級闘争」のようなものが生まれにくいのだとしたら、なぜ民国期の農民達は共産党の指導する暴力的な土地改革を受け入れたのだろうか?

つまり、中国の伝統的な農村のあり方と、共産党による土地改革の成功という二つの現象の間には、深刻なミッシングリンクが存在しているわけだ。そのミッシングリンクをつなぐものとして本書が強調するのが、抗日戦争、国共内戦という二つの過酷な戦争による食糧と人員の「戦時徴発」の存在である。




■ 国民党の戦時徴発が生み出した疑似階級対立

分析の対象となるのは、特に土地の流動化が進み、不在地主と貧しい小作農の差が歴然としていた四川省である。ここは国民党の「最後の砦」として抗日戦争ならびに国境内戦時にも重要な食糧・兵士の補給地としての役割を果たしたことでも知られている。戦時徴発が厳しさを増す中で、貧しい小作農は次々に戦争にかり出されていった。財力のある者は、身代わりに徴兵されるものを探し出して兵役を逃れることも出来たが、貧しい者は徴兵に応じざるを得なかったばかりか、労働力の不足した地主に小作契約を勝手に解消されたりした。また、せっかく戦争が終わって戻ってきても、彼らを見る村の目は冷たかった。厳しい総力戦を勝ち抜くための戦時徴発は、明らかに農村に於ける富めるものと貧しい者の格差を拡大し、後者の生存権を脅かすまでになった。

そんななかで、生存を脅かされた貧者の怨嗟は身近な搾取者である在郷の地主に向かった。また、農村における郷民代表会、地方議会などの民意をすくい上げる機関の信頼は失墜し、郷村の伝統的な秩序は崩壊した。なぜなら、そういった機関の構成員や議員の多くも地主であり、むしろ、権力に近い者ほどあの手この手で食糧などの徴発から逃れようとしていたからだ。

こうして、過酷な戦時徴発の実施は中国農村における疑似階級対立(本書ではこのような表現は用いていないが)、ともいうべき激しい闘争の原因となり、それが共産党の土地改革を受け入れる土壌を形成した、というのが笹川氏の一貫した視点である。すなわち、「総力戦を遂行するという点においては、富裕層を標的とした階級闘争論や、それにもとづく土地改革を、政策手段として持ち合わせていた共産党の側が、やはり優位に立っていたのである(134ページ)」。

もちろん、批判もあり得ると思うが、上記のようなミッシングリンクをつなぐ議論として、現在もっとも説得的なものの一つであることは間違いないと思う。

思えば、侵略戦争への真摯な反省が、硬直した階級史観による「中国農民革命論」への留保なき支持と直結したことにより、戦後日本における中国理解は大いにゆがんできた。そのゆがみを是正しながら、侵略戦争を批判する姿勢を貫くことの重要性を、地道な実証研究の上に築かれた本書の議論は教えてくれる。


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*本記事はブログ「梶ピエールの備忘録。」の2012年4月24日付記事を許可を得て転載したものです。 

トラックバック一覧

  1. 1. ここは酷い土豪劣紳ですね

    • [障害報告@webry]
    • 2014年04月08日 02:14
    • 中華人民共和国誕生の社会史 (講談社選書メチエ)講談社 笹川 裕史 Amazonアソシエイト by うわぁ、という一言に尽きるお話であった 国民党は勢力を維持し続け、豊富な人口や食糧があった四川省が舞台 辛亥革命から軍閥の跳梁跋扈があって国共内戦や抗日戦争になだれ込む

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