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中国の「オリエンタリズム」に目をつむる御用学者=チベットをめぐる神聖化と妖魔化(tonbani)

2012年07月16日

■ウーセル・ブログ「どちらがオリエンタリズムなのか?」■

*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年7月15日記事を許可を得て転載したものです。



Tibet
Tibet / AAAAlx

チベット人作家ウーセルのブログエントリー「どちらがオリエンタリズムなのか?」。ウーセルの英訳記事を掲載しているブログ「High Peaks Pure Earth」で昨年もっとも読まれた記事の一つだったという。小説「失われた地平線 」が西洋人に今も人気であり、「シャングリラ」とか「オリエンタリズム」という言葉に反応し易いからであろうか?もちろん内容もパンチが効いててすばらしい。

どちらがオリエンタリズムなのか?
ウーセル・ブログ、2011年8月9日
雲南太郎:訳、Chinanews:小見出し 

■西洋人のシャグリラ・コンプレックス……中国人研究者の批判

2008年にチベット全土で抗議行動が起きた時、中国の主流の学者や作家の間にとても面白い反応が見られた。

例えば、専門のチベット研究者ではないという清華大学教授の汪暉、チベット研究者という中国人民大学教授の沈衛栄だ。2人はともに著書などで、西洋には「シャングリラ・コンプレックス」「シャングリラ神話」があり、チベットを神秘化する「オリエンタリズム」に染まっていると批判した。

いわゆる「シャングリラ」の名は、英国人ジェームズ・ヒルトンが70年以上前に書いた小説「失われた地平線」から来ている。この小説は人気を呼び、ハリウッドで映画化され、シャングリラは英語で桃源郷を意味する言葉になった。反義語は地獄で、中国の文化で言えば閻魔殿になる。

奇妙なことに、中国人学者に「オリエンタリズム」と笑われる「シャングリラ」は彼らの目の前で現実のものとなった。雲南省デチェン・チベット族自治州の中甸は2001年、正式にシャングリラに改名した。もちろん権力のにおいが漂う政府の決定だ。旅行業を発展させ、内外の観光客を集めるためだという。

このチベット東部カム地方の一角は元々ギェルタンと呼ばれていた。世の変化に合わせて名前は改められ、半世紀前に中甸となり、今ではシャングリラへと大きく変わった。


■チベットに向けられる視線……妖魔化と神聖化

シャングリラへの改名は紛れもなく他者の空想に迎合する行為だ。チベットを神秘化する西洋の習慣が中国まで広まったとして、汪暉は大いに失望した。これはチベットを妖魔化してきた中国が今になって西洋に迎合し始めたという意味だろうか?または、チベットを妖魔化する中国を西洋がついに変えたということだろうか?

かつて書いたように、チベットは実際、人々が思い描くような浄土ではないし、迷える衆生の住む汚れた土地でもない。世界のあらゆる場所と同じように人間の暮らす土地だ。ただチベットには信仰があり、深紅の袈裟が輝く場所というだけだ。チベットに向けられる最も典型的な態度は二つある。妖魔化と神聖化だ。だが結果はいずれも同じで、チベットを歪め、チベット人を歪める。

あるいは彼ら中国人学者に尋ねるべきなのかもしれない。「最も反動的で、最も暗く、最も残酷で、最も野蛮」という、中国共産党による「旧チベット」の評価を認めるのかどうか?(西洋以上に)中国はチベットに対する「オリエンタリズム」に染まっており、しかもそれはチベットを妖魔化するものと認めるのかどうか、と。

特に2008年に西洋社会がチベット一辺倒になびいたかに見えた時、彼らは考えてみたのだろうか?「解放」からこれほど長い時間が過ぎた後にもかかわらず、なぜ「解放された農奴」が「解放者」に反抗しなければならなかったのか?チベットの大地で街頭に飛び出し、草原を馬で駆け抜けた抗議者のほとんどが、なぜ「解放」後に生まれたチベット人だったのか?


■オリエンタリズムで引用された言葉を覚えているのか

こうした中国人研究者は互いにおだて合い、西洋からの批判に「理性と良識」を示そうとする。しかし、自国や社会、体制によって繰り返されるチベットの妖魔化を一言も批判しようとはしない。彼らは学者であって政治家ではない。だが国家主義的な学者であるため、当然のように盲目になることを選ぶのだろう。

彼らがこれほど「オリエンタリズム」を語りたがる以上、大著「オリエンタリズム」の冒頭でサイードが引用した二つの言葉を必ず覚えているはずだ。一つはマルクスの言葉だ。「彼らは自分で自分を代表することができず、だれかに代表してもらわなければならない」。もう一つは英国の作家の言葉だ。「東洋というものは生涯を賭けるべき仕事なのだ」(引用部分の訳は「オリエンタリズム」(平凡社ライブラリー、今沢紀子訳)を参照)。

2011年7月(RFA特約評論)

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年7月15日記事を許可を得て転載したものです。  

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