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美化されてきた中国のネット革命=中国のネットが輝きを失ったわけ

2012年07月20日

中国のネットは想像されているほど「革命」ではない


青年参考(2012年7月18日付)に掲載された記事が面白かったのでご紹介したい。

先日、日本を訪問した天安門事件の学生指導者・王丹は中国変革の希望はネットにあると話していた。ネットによって中国は大きく変わるのではないかという話しは日本でもときおり話題に上るネタ。一方で畏友・安田峰俊さんは著書「中国・電脳大国の嘘 「ネット世論」に騙されてはいけない」でこうした見方を激しく批判している。


以下に紹介する記事はオーストラリアから安田さんの意見に一票を入れる論文、といったところだろうか。


■「中国のネットは想像されているほど「革命」ではない」

◆美化された中国のネット

今、私たちはネットワークによる情報爆発の時代に生きている。2011年、中国のネットユーザーは4億5700万人に達した。2015年には6億5000万人にまで膨れあがると予測されている。オーストラリアの研究者James Leiboldが理解できないのは、中国のネット・ブログの台頭を紹介する研究者の分析が「デジタル・アクティビズム」と「ネット検閲」ばかりに集中していること。まるでこの「いたちごっこ」が中国ネット言論の精髄であるかのように見られていることだった。

Leiboldは「Blogging Alone: China, the Internet, and the Democratic Illusion? 」(The Journal of Asian Studies, 2011)において、ネット情報プラットフォームにおける、ネットユーザーの中国社会と政治における影響力を議論している。同論文におけるブログとは一般のブログ、マイクロブログ、ネット掲示板を包括するもの。この三者はオープンであり、かつプライバシーを守ることができ、ネット民たちを全国的な議論に参加させることが可能であるあばかりか、同じ趣味を持つネット民たちがネット世界の片隅で楽しみを分かち合うことが出来るものとされている。

欧米におけるネット参加の議論と異なるのは、中国におけるネット革命は美化されているという点だ。ネットの爆発は中国社会の変化にプラスの意味を持ち、中国人民により簡便な市民参加の道を与える。研究者たちの議論はほぼすべてこうした方向に偏っている。

面白いのはこうした見方を唱える学者たちは自らのマイクロブログが封鎖されても、その楽観的な態度を変えない点にある。しかしLeiboldの見方は異なる。一部のソーシャルネットワーク研究者、とりわけアラブ諸国の研究者と同じく、彼はネットをもろ刃の剣と見なしているのだ。「多くの科学技術同様、ネットは中立的なものであり、構築的なものです。」「現在の情勢、社会の状況によって、ネットはプラスにもマイナスにもなるのです」と彼は述べている。


◆ネットの中心は娯楽とコミュニケーション

社会調査と自身の経験から、Leiboldは中国語ネット世界は他国と何も変わらないと考えている。他国と同様、下らない内容や悪質なデマを生み出し、そして無数の閉鎖的で排外的なサークルを作り出している。

ほぼすべての調査で一致していることだが、ネット民たちの主要な目的は娯楽とコミュニケーションだ。政治参加と社会批判ではない。2009年から2011年にかけて実施されたいくつかの調査において、中国ネット民の64%はブログには「個人の感情を書いている」と回答している。「個人の意見を表明」との回答は37%に過ぎない。

ネット掲示板のユーザーでは67%が「同じ興味について語り合うため」と回答。49%が「生活の経験を分かち合うため」と回答した。

中国インターネット情報センター(CNNIC)の最新統計によると、検索を利用するネット民は82%、音楽を聞くとの回答が79%、ニュース閲覧が77%、インスタントメッセンジャーの使用が77%、ゲームが67%という結果だった。娯楽の急成長が続く中国のネットを、ある中国社会科学院の学者は「娯楽ハイウェイ」と呼んでいる。「情報ハイウェイ」ではなく、だ。

Leiboldによると、こうした見方の強力な証左となるのが百度の検索だ。「章子怡(チャン・ツィイー)」「趙薇(ヴィッキー・チャオ)」など女優の名前で検索して得られる情報は、「孫文」「胡錦濤」よりもよっぽど多い。百度掲示板の李宇春(クリス・リー)板のアクセス数は3億6000万回。ある一つのスレッドだけでも280万回に達する。この論文を発表する一週間前の時点で、韓国ドラマ「妻の誘惑」、ファンタジー小説「斗破蒼穹」の検索回数は東日本大震災やリビア内戦の40倍以上という数だった。

実際のところ、アダルトコンテンツが少ない以外、中国のネット空間と米国のそれは大きな違いがない。エンターテイメントが主で、政治などまじめな内容はごくごく一部でしかない。中国のネットにおいてファンとアクセス数がもっとも多いのは、「株神」徐小明、大衆心理学者・蘇芩、マイクロブログの女王・姚晨といった人々だ。

Leiboldはこれらの数字はなぜ中国のネット民の大多数が政治に興味がなく、かつ政府によるネット規制を支持しているかの理由だと考えている。「百度掲示板のトップを眺めると、主要都市の不動産価格下落と行ったまじめなニュースもありますが、もっと多いのが潘霜霜のベッド写真流出第三弾といったゴシップ。残りはキスしたら舌が噛み切られたといった三面記事です。」


◆デマと人肉捜索

一部の中国人学者が懸念しているように、Leiboldもまた、ネットが間接的に中国の青少年の知性を低める「電子のアヘン」になる可能性を否定していない。しかしそれは道徳的な観点ではない。本来ならば思考する力があり、異なる意見を持つ人について考えていた人が、安くて簡単で刺激的な暇つぶしの中で、独立した思考能力すら失ってしまうという危険性だ。

またネットのデマについても懸念されている。米国では陰謀論が盛んだが、中国では「無知、誤解、データの盲信」によるデマが目立つという。SARSでのお酢買い占めから福島原発事故での食塩買い占めまで、地方政府はデマの反論と抑止に大きな力を割いている。しかしネット民の地方政府に対する不信任から、地方政府の行動はデマをむしろ広めるものとなってしまった。

中国特有の人肉捜索(ネット民が共同で個人情報を特定するもの)はネットの混乱を代表するものだ。適切に使われれば、人肉捜索は市民参加と政府の監督にとってはプラスとなるが、多くの場合、人肉捜索はどうでも良い事件に対して、あるいはデマに基づいて発動される。

副担大学の于海教授は隠私法(プライバシー保護法)の監督がなければ、人肉捜索は中国版のリンチ・モブ(
米国の公民権運動期の白人人種差別団体による活動。有罪と判定した黒人を殺害した)になると懸念する。人民大学の張鳴教授は中国のネットは言葉の暴力であふれていると指摘する。「そこには論理もルールもありません。相手よりもうまく罵倒できれば勝利するのです。非理性的雰囲気がこれほど濃い異常、たとえあなたが理性的だと自負していても、引きずり込まれるのは避けられないでしょう。」


◆失われたネット言論への信頼性

こうしたことが続くなか、人々はもはやネットを信頼しないようになりつつある。ある調査によると、ネットの情報を信頼できるとの回答は2003年の52%から2007年には26%にまで減少した。また84%が「ネットは管理されるべき」、85%が「政府はネットの管理者であるべき」と回答している。

Leiboldは中国ネット空間の暴力的傾向に気づいたがゆえに半数近くの人がネットが人々に与える力を信用しなくなったと考えている。むしろそれはGustav Le Bonの著作「The Crowd: A Study of the Popular Mind 」(烏合の衆:大衆心理の研究)で描写されている内容と一致している。

……群衆は真相を望んだことはない。彼らは自分たちの趣味に合わない証拠を取り合おうとしない。むしろ誤りを追いかけ、美化しようとするのだ。こうした誤りが人々を引きつけるようになれば、群衆にすばらしい感情的な幻像を与えられる人間がすぐに彼らの主人となる。幻像を信じるなと説く人間は排斥されることになろう。

論文の最後で、Leiboldはこう問うている。「ネット時代の中国は果たして世界の他の地域と違いがあるのだろうか?一部の研究者の説によると、グーグルは米国人をバカにしたという。ならば、なぜ百度が中国人をバカにしないと言えるのだろうか?」、と。

多くの研究者がネットの賛美歌を唱っているのと裏腹に、Leiboldは中国社会、あるいは全世界におけるネットの危険な一面を指摘している。極言すれば、ある国の社会と政治に与えるネットの影響は長期的かつ全面的なもの。この問題について我々は今後も注目する必要があろう。


■「普通」になった中国のネット

「ネットが独立した思考能力を奪う、グーグルが人間をバカにする」といった「学者の意見」を取り上げている点でちょっと眉唾チックに受け止めてしまうところもあるのだが、中国におけるネットがかつての輝きを失っているとは私個人も感じるところ。

確かに中国においてネットに対する期待値は異常に高かった。それは外国人の研究者発というよりも、中国国内のネット民から生じた期待だったように記憶している。当局の検閲を飛び越え、個々人が結びつき、意見を交換することのできるツールなのだ……、と。

だが、その輝きは次第に色あせつつある。思うに幻滅の要因はネットユーザーの拡大だろう。初期には大学生や一部の詳しい人々の世界であり、狭い世界の中で数少ないトピックについて話し合われていたのが、次第に拡散し、娯楽の世界が比重を高めることになった。これも記事の指摘通り、他国と変わらない話だろう。

本サイトで昨年末にとりあげた韓寒のブログエントリーでも「キーボード民主主義」「書斎革命」なる言葉で、ネットで中国を変えられると考える人々を強く批判していた。世間の雰囲気に敏感な韓寒だけに、「ネットの寵児」というポジションからいち早く鞍替えを計ったのではないだろうか。その意味でたんに一人の作家が書いた記事というよりも、ネットに対する世の中の態度の変化が映し出されたようで興味深い記事だった。


■中国のネットに社会を動かす力はないのか?

一方で、中国のネットはまったく無意味なものでしかない、社会を動かす力にはまったくならないという意見についても違和感を感じる。そも中国で美化されていたネットとは、革命をもたらすものとして期待されていたのだろうか?それとも社会問題について意識を共有するツール?あるいはネット民が「市民」として目覚める場だろうか?いずれも現行の共産党独裁体制に反する要素を持っているが、しかしそれぞれ異なる役割のはずだ。たんに「美化」されていただけではなく、なにが「美化」されていたのかについてもあまりコンセンサスはなかったように感じる。

さて、革命ではないにせよ、社会運動のツールとしてネットは有効だ。ネットを媒介に政府と抵抗する人脈やノウハウが広まったからだ。写真や動画によって悲惨な現状への注目を集めようとする手法、道路を封鎖し大騒ぎを起こすことで地元政府に圧力をかける手法、海外メディアにたれこみ騒ぎを広げる手法。ちょっとネットを検索すれば、こうした手法に対する知識を得ることができる。あるいは力を貸してくれる人の探し方、連絡も便利になった。

また革命、あるいは政府への抗議のツールとしてもそれなりの力を持っている。その理由は第一に中国政府がネットを脅威に感じているため。いわゆるネット世論についても徹底的な封殺という手段を保留しながらも、ある程度の配慮を示している。

一昨年の、いわゆる中国ジャスミン革命についても、一番過敏に反応したのが中国政府。「広場に集まれ」という呼びかけに呼応したのはジャーナリストと警察だけだったという笑える展開ながらも、政府に対して圧力をかけるツールとなっていることは事実だ。

中国政府の過剰はネット規制は懸念か、というとそうとも言い切れない。娯楽とコミュニケーションが中心で作り上げられたネットの回路は、時に別の使われ方もすることがあるという点だ。芸能人のゴシップ話で盛り上がるばかりだった人々が、とてつもなく許せない事件(おなかからでてきた赤ちゃんの遺体が写っている強制中絶の写真やトラクターでひき殺された陳情者の写真)をきっかけに、政治的な話で盛り上がることもありうる。

そうしたことを熟知しているからこそ、中国政府は「ネットの知識とやる気さえあれば乗り越えられる、ぬるい検閲」を実施し、そんなに積極的ではない人々を不都合な情報から引き離そうとしている。先日、四川省徳陽市什邡市で起きた銅モリブデン工場反対デモは、政治的駆け引きから当初、ネットとメディアが検閲されなかったと言われているが、警官が棍棒で人を殴り、催涙弾をぶっ放す動画がネットに広まり、大きな反響を呼んだ。

政府がネット検閲をしなければ、政治ネタもまた盛り上がりと消費の対象になることを示す事件と言えるのではないか。なにせひどい話がごろごろしている中国。検閲がなければ、日本以上に政権批判が娯楽となることだろう。


■普通のネット

中国ネット賛美は違う、かといって意味なしというわけではない。というなんとも中途半端な話となってしまったが、結局のところは政府の検閲があるとはいえ、「他国とそんなに変わらない」ということではないか。

むしろ違っていたのは「世界最大の独裁国家に広がった過剰な期待感」ぐらいだろう。日本でも「ツイッターすげぇ」「フェースブックすげぇ」「グーグルプラスすげぇ」と新しいサービスがでるたびに、その素晴らしさを高らかにうたうエヴァンジェリスト(?)が登場するが、中国民主化シンパのネット期待論も似たようなものという印象を受ける。

ゴシップ話ばかりが読まれたり、あるいはなにかのきっかけで炎上して政府に怒りが向いたり、各地に散らばっている人々が同じ悩みを共有したり、デマが広がったり、一生懸命デマを訂正しても「だまされたい人」には届かなかったり……、といったことすべてを含めて、中国のネットもある意味「普通のネット」でしかない。ただし「普通のネット」も十分に力がありまっせ、ってこともまた抑えておくべきだろう。

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