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「尖閣は日本の領土」人民日報の大チョンボを紹介、大反響の中国ブログを全文訳してみた

2012年08月27日

「中国人がブログで尖閣諸島は日本の領土と発言」というネタが話題になっている。その問題の記事を全文訳してみた。


広東の企業幹部が「尖閣諸島は日本領土」、中国版ツイッターで発言、人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる
MSN産経、2012年8月25日

中国広東省の民間企業幹部が24日、中国版ツイッター「微博」で「1949年から71年まで中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を日本の領土と認めていた」と異例の発言をした。日本領有を示す53年1月の中国共産党機関紙、人民日報の記事や、複数の公式地図など根拠を挙げている。微博では中国国内からの感情的な反論に加え、「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことが分かった」などと賛同する見方も広がっている。

■22年間もの間、中国政府自身に捨てられていた釣魚島
林凡微語、2012年8月24日(当該記事は削除済み)
小見出しはChinanews。

・資料1:人民日報1953年1月8日

多くの人がご存知の通り、日本は「釣魚島」を「尖閣諸島」と呼んでいる。1950~60年代の中国の地図にはなんと「尖閣諸島」と表記されており、日本の領土とされている。1953年1月8日付人民日報の第4版では、「尖閣諸島」を「日本沖縄」の一部と書いている。

琉球諸島人民、米国の占領に反対し闘争(人民日報1953年1月8日の第4版)

20120827_写真_中国_尖閣_1


琉球諸島は中国台湾の東北と日本の九州の西南の間に位置し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、土噶喇列島、大隅諸島など7つの島嶼群から成り立っている。各島嶼群には大小多くの島々が含まれており、合計して50以上の名称のある島と400以上の名前のない島がある。その陸地面積は合計で4670平方キロメートル。

最大の島は沖縄諸島の沖縄島(大琉球島)で面積は1211平方キロメートル。第二の島が大島諸島の奄美大島、730平方キロメートル。琉球諸島は1000キロメートルにわたるが、その内側が中国の東海であり、外側は公開である太平洋だ。


・資料2:1953年地図

1953年の亜光・地学社の中国地図(台湾省、福建省ともに釣魚島を領域に含んでいない)
20120827_写真_中国_尖閣_2


・資料3:1958年地図

世界地図州1958年版(中国本土)。地図中に尖閣諸島と 書かれていることに注意。
20120827_写真_中国_尖閣_3



・資料4:1958年地図

日本右翼によると、中国が初めて釣魚島の主権を宣言したのは1970年12月。日本の実効支配と領有宣言から遅れている。ならば話は簡単だ。1949年から1970年の間に釣魚島が中国の領土であると表明している中国の官制地図があれば、日本右翼の発言はデマだと証明できる。

だが残念なことに1949年の建国後、釣魚島は中華人民共和国政府によって22年もの間、見捨てられてきたのだった。

『1958年中華人民共和国地図集』地図出版社の台湾部分。
以下の台湾省地図を見ると、右側は東経122度30分で切断されている。釣魚 島は東経123度29分に位置し、赤尾嶼は124度34分に位置する(つまり右に向かって100~200キロ進んだところ)。つまりこの地図ももまた釣魚島を中国の領土とみなしていない。
20120827_写真_中国_尖閣_4


・資料5:1960年地図

『1960年 世界地図集』(地図出版社)の日本地図。釣魚島は日本語で表記されている(尖閣群島、魚釣島)。国境線は台湾島沿岸と並行に描かれており、釣魚島と赤尾嶼が日本の琉球諸島に属していることがはっきりわかるようになっている。
20120827_写真_中国_尖閣_5


・資料6:1967年地図

『1967年中国地図冊普及版』(地図出版社)の台湾部分。1958年の地図と同様、台湾省地図は東経122度10分で切られている。釣魚島は中国の領土とみなされていない。
20120827_写真_中国_尖閣_6


・資料7:1972年地図

『1972年中国地質図』(地図出版社)の行政区分略図。1971年、中国地図は新たに測量した。それから3~4年、中国の各種地図は過渡期的な対応をとり、1970年12月の主権声明という政治的事実を反映させている。

その過渡期対応とは
(1)釣魚島と赤尾嶼に①②というマークをうち、ページ下に「①は釣魚島」と注記するようになった(改版が間に合わなかったための措置)。
(2)台湾省の地図は右端を東経125度で切るようになった。つまり右に3度ずらし、2つの島を中国の領土に入れるようになった。

その後、現在にいたるまでの中国の地図は①②という注記を使わず、地図上にその名称を表記するようになった。 釣魚島は1971年になってようやく中国地図上における祖国回帰を果たしたのだ。
20120827_写真_中国_尖閣_7

これでも中国地図と中国政府は「釣魚島は私たちの領土だ」と言えるだろうか?


■解説

産経の記事を読むと、「尖閣は日本の領土」と主張しているブログのように思えるが、それはミスリードというものだろう。むしろ「私たち中国の領土が、中国共産党の怠慢で1949年から1971年まで見捨てられていました」という内容。「釣魚島は古来から中国の領土」という中国側の主張を否定しているわけではない。

つまり中国ネット民の政府ディス、中共政府はいかに怠慢であるかというパターンの一つだ。中国検閲当局がばりばり削除していることもあり、中国ネット民の反応を追えていないのだが、その反応も「尖閣は日本のものだった」というものではなく、「中共、なにやらかしとんのや!」というものだと推測できよう。

ちなみに資料1の1953年1月8日付人民日報だが、このブログ記事ではじめて中国語圏に紹介されたものではなく、たびたび引用されて話題になっていたもの。今年も夏ぐらいに何度か取り上げられていたのを見た。

2006年3月、ブログ「中南海ノ黄昏」がこの記事を取り上げ、初出は2005年4月23日のジャーナリスト・安替のブログかと指摘している(元ブログは消滅。博訊網に転載された記事が残っている)。尖閣についての論争を調べている時、倉庫から信じられないような人民日報記事を発見したと書いているので、その可能性は高そうだ。ちなみに安替の記事は1968年の台湾紙・聯合報も引用し、尖閣諸島は石垣市の一部だと記されていたことを紹介している。

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