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2012年08月28日
Tibet / AAAAlx
2012年8月27日午前8時半ごろ(現地時間)、アムド地方ンガバのキルティ僧院の東門付近で、同僧院の僧侶ロプサン・ケルサン(18)とンガバ県チャ郷ラルワ村のダムチュ(17)が中国政府のチベット政策に対する焼身抗議を行った。
目撃者によると、2人は炎に包まれながら20歩ほど歩き、スローガンを叫んだ後、倒れたという。スローガンの内容についてはまだ伝わっていない。保安部隊が駆けつけ、火を消し、ンガバの病院に運んだが、しばらくしてバルカムに転送した。27日の夜、伝えられたところによれば、2人とも死亡したという。死亡した後、遺体はバルカムに運ばれた。遺体が家族に手渡されたかどうかは不明。
事件が起った後、僧ロプサン・ケルサンと僧坊を共にする僧ロプサン・ペルデンが警官により連行された。僧ロプサン・ケルサンの父の名はツェコ・ドルジェ、母の名はサンゲ・ドン、兄の名はツェコ・タシ。
ダムチュの父の名はドシ・ロベ、母の名はツェポ。両親は離婚し、彼は母と一緒に暮らしていた。彼は僧ロプサン・ケルサンの従兄弟(または甥)である。また今年2月11日に焼身し、死亡したマミー尼僧院の尼僧テンジン・チュドゥンの弟である。離婚後、尼僧テンジン・チュドゥンは父の方に引き取られていたので、世帯は別であった。ダムチュは嘗てンガバ・キルティ僧院の僧侶であった。還俗して後、母と共に遊牧の仕事をしていた。
2人はチベット本土の焼身者としては52人目、53人目にあたる。死亡が確認された焼身者としては42人目と43人目になる。
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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年8月28日記事を許可を得て転載したものです。