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2012年09月09日
中国経済を専門としている私にとって、中国経済で起きていることはすべてゲーム理論で説明できるのではないかと思うことが多いです。今日は、中国経済のさまざまな事象をゲーム理論、とくに囚人のジレンマで説明してみたいと思います。
1.ゲーム理論とは
ゲーム理論とは、複数の経済主体間での利害関係をゲームという形で記述しようとするものです(川西2009)。
一般に経済主体は政府、家計、企業として分析されますが、中国の場合、
政府→中央政府、地方政府、共産党など家計→農民、都市住民企業→国有企業、郷鎮企業、外資系企業
などに細分化することが可能です。そしてそれらが互いの利害をめぐって駆け引き(ゲーム)を行っています。この駆け引き、ゲームを記述することによってどのようなやりとりがあって、どのような結果がもたらされるのか、そして今後どうなるのかといったことが想像できるようになります。
実際中国経済の事象をゲームとして記述するのは、以下のメリットがあります。
①主体間のやりとりの構造やルールがわかる。
②将来的にどのようなことがおきるかわかる。
③ジレンマについてはゲームのルールを変えることによって解決への提案ができる。
そして、ゲーム理論で各経済主体の行動を考える場合、重要なのはナッシュ均衡という概念です。ナッシュ均衡とは、お互いに相手の出方によってもっとも得している(最良の)戦略を採用している状態です。逆にいえば、別の戦略をとると自らが得をしないということになります。
このナッシュ均衡が成り立つためには、各経済主体は合理的に行動すると考えます。もっとも得なように行動していることが前提になっています。個人の意思決定については、必ずしも合理的でない(限定合理的である)ということが経済学ではわかってきていますが、中国の各経済主体が自らの利得のみを考えて行動しているとみることはそんなに不自然ではありません。
話はずれますが、経済学では市場経済がもっともよい状態(パレート最適)になるといいます。これ以上みんなの満足を増加させることができない状態をパレート最適といいます。誰かが自分の満足をちょっとでも増やそうとすると別の人の満足が下がってしまう、そのような状態を指しています。
市場経済が機能するためには,①情報が完全、②多数が参加、③取引費用がゼロ、という状態でなければなりません。市場経済化に向かう中国においてこの3つが成り立つことはありえないといっていいでしょう(日本もアメリカもですが)。
そうすると取引に参加する主体は少数であり、情報が不完全で、何かしらの取引費用がかかる場合には、相手の出方をみながら自分が得するように意思決定することは不思議なことではないと思います。
2.官と民によるゲーム
中国では古くから官が民を支配するという考えがあります。でも民も黙って官に従うわけではありません。「上に政策あれば、下に対策あり」といわれる所以です。これはまさにゲームの様相を呈しています。官が何か政策を実行すれば、民はその中で自分の不利益にならないように行動しようとします。官が政策を実行して民を支配しようする戦略に対して民がその支配から逃れようという戦略をとっています。
これをゲームのマトリックスで示してみます。官は政策を実行するとしないの戦略があるとします。民は対策をとるととらないの戦略があります。そうすると官と民には以下の戦略の組み合わせがあります。
図1 「上に政策あれば、下に対策あり」のゲーム
それぞれのマス目は、官と民の戦略の組み合わせを示します。これによって官と民のやりとりの構造がわかります。これだけでも多くのことがわかります。
<A>上に政策なければ、下に対策なし
官は民を支配するという考えをやめて、民も官からなにも支配をうけなくて対策を講じる必要がなければ、この社会はもっともいいものといえるでしょう。お互いがお互いを尊重しあって秩序が成立しているわけですから、この中国社会は理想的なものといえるかもしれません。官と民が政策も対策もなく、自然のままで秩序ある社会が形成されている状況です。
市場経済化が目指すところはまさにここといっても過言ではありません。官は小さくて(小さな政府)最小限の関与しかしません。民は市場のルールにしたがってそれぞれが勝手に動いているようですが、社会は最適な状態になっていると考えられます。
<B>上に政策あれば、下に対策なし
官が政策を実行して、民が対策を講じないという状況は歴史的にも有能で徳のある王が中国全土を支配し、民はそれに納得して従っている状態といっていいでしょう。中国の理想の政治システムといえるかもしれません。でもこのような状況が中国の歴史でどれだけあらわれたかは疑問です。
現実としては、「上に政策あれば下に対策をとらさない」という状況かもしれません。計画経済時代のように中国政府が計画という政策を実行するとともに、都市部農村部において全面的に共産党の思想教育を行い、ときには政府批判を封じることによって、民に対策をとらさないという状態が一般的であったといえるでしょう。この状態は、中国政府の独裁的な政策が実施されているといえます。
実際の中国社会はこの状態に陥ることが多いといえるでしょう。
<C>上に政策なければ、下に対策あり
ここでは、官が政策をまったく実行することがない中で、民は自らの生活を守ろうとするような状況です。ある一つの王朝が倒れて次の王朝が成立するまでの混乱期のような状況がこれにあたります。官が存在せずあるいは存在しても秩序を提供することができません。文化大革命のような混乱期、無秩序な状態といってもいいでしょう。
民は官の政策がない中でも自らの生活をよりよいものにするためにさまざまな対策をとっている状態です。ただこのような状況はほとんど成立しないといってもいいでしょう。
<D>上に政策あれば、下に対策あり
これが多くの中国の状況を表わしているといっても過言ではありません。官は政策を実行するという戦略が得をします。民は対策を講じるという戦略を採用することによって得をします。そのため、官も民も自分の利得だけで考えれば双方の合理的な行動の結果、このDという状態に陥ることになります(ナッシュ均衡)。
ところがここでは、官は民の対策に直面するため政策の実行効果が下がります。民にとっても官の政策があるせいで対策の効果が下がります。結局、双方にとって得ではないという状態に陥ります。
経済体制でみると中国は移行経済です。計画経済のBから市場経済Aに移行しているといえます。しかし現実は、民の意思決定が自由になり、「対策をとる」ことが可能になったので、Dを通っているといえるでしょう。具体的には、中国の経済体制は「関係」経済になっています(中国の「関係(Guangxi)」経済<岡本式中国経済論36>)。
官が情報を独占しているために、それをもとに儲けようとしています。民はそのおこぼれに預かるべく官と「関係」を構築していきます。
中国の経済をみると「人間関係」は非常に重要な取引ツールになっています。誰かの「つて」や「関係」を頼ってビジネスをした方が、情報の不足や無駄な取引コストを発生させずに無理なく安全に取引を行うことができます。これが「関係」経済と呼ばれるものです。
「関係」経済は市場が充分に発達していない時に安全かつ信頼のある取引を行う上では重要なツールです。しかしあまり「関係」に頼ると、「関係」ない人は市場に参入できない、長期的には良い「関係」を維持するためのコストがかかるなどの問題も発生します。究極的には、官の経済取引の関与(上に政策あり)があるため、民は官にすり寄って(下に対策あり)、不透明な「関係」を生みだし、不正の温床になってしまいます。
3.「上に政策あれば、下に対策あり」は囚人のジレンマ
「上に政策あれば、下に対策あり」という状況は中国経済にとって最適な状況とはいえません。官も民も合理的な行動を選択してはいるのですが、社会としては(官と民という両方の経済主体にとっては)あまり好ましい状況ではないということを示しています。
このような状況を囚人のジレンマといいます。
図2 官と民の囚人のジレンマ
図2は「上に政策あれば、下に対策あり」のゲームを顔文字で示してみました。顔文字の笑顔の度合いが利得の度合いと考えて下さい。笑顔が大きいほど、その経済主体の喜び(利得)を示しています。左側の顔文字は、民のものを表し、右側は官の顔文字です。民も官もどちらもより笑顔になれる戦略を採用します。その結果、右下のところに落ち着きます。
4.官の行動原理
官側の行動原理は、中国の共産党や政府の民間経済生活に関与したがるということです。
図3 官の行動原理
上記図は官の戦略に関する顔文字だけを取り出しています。民が対策を講じようが講じまいが、官は政策を実行するという選択が合理的であることを示しています。
このような行動をとる理由は二つあります。一つは歴史的な影響です。中国政治において、官が愚かな民を統率しなければならない、という思想があります。もう一つは新中国が成立して以降、共産党が目指すのは党に対する忠誠度を最大化させるということにつきます。そのために「国を富ます」、それによって政権正統性を確保する必要があります。
そのため、中国共産党は実際の経済政策に大きく関与してきました。中国共産党は計画経済を採用したために、政府が民間に強く関与することとなっています。官にとって、民が対策を講じてこようがこまいが、政策を実行する主体たろうと振る舞います。毛沢東時代は富国強兵、自力更生の掛け声のもと、急速な人民公社化が行われたり、大躍進政策が実行されました。
最終的に計画経済はうまくいかず1978年から改革開放に転じます。改革開放においても改革を行うのは官であり、開放を実施するのも官でした。現在でも党・政府が社会主義市場経済に向けて改革を実施する主体であり、経済政策を実施しないという行動の選択はありえません。
官による合理的な選択は官自らが富むということです。公用車を自由に乗り回す(公務員とインセンティブ<岡本式中国経済論17>)、灰色収入を手に入れる(灰色収入(岡本式中国経済論9))、腐敗に走る(腐敗が起こるシステム(岡本式中国経済論⑥))、など官のレントシーキングがそれにあたります。
5.民の行動原理
図4 民の行動原理
上記の図は民の戦略に関する顔文字だけを取り出しています。政府が政策を実行しようがしまいが、民は対策を講じるという選択が合理的であることを示しています。中国の民(家計や民間企業)は政府の関与なく経済活動をしてリッチになりたいということです。
民がこのような行動をとるのは自然だと思われます。民は自らの満足を満たそうとする(ある意味強欲的な)経済主体です。民である以上は、豊かな生活を過ごしたい、少しでも満足した毎日を過ごしたいと思う存在です。これが愚かかどうかは別問題として、経済的には自らの満足(効用)を最大化させようとする合理的な経済主体であるといえます。
歴史的に振り返ってみましょう。
中国政府は計画経済を採用します。民衆は人民公社、国有企業に組織され、働いても働かなくても同じでした。その結果、民衆は働かないという行動を選択し、中国経済は低迷することとなります。上に対策あれば下に対策ありの典型でしょう。ゲーム的には、これは「タダ乗り」問題と言われる囚人のジレンマの一種です。
その後、あまりにも貧しくなった農民は、飢餓の危機に直面します。とくに安徽省鳳陽県小崗村の農民たちは、自らの生活を守るために請負制を導入することとしました。村内の土地は人民公社のものであるにもかかわらず土地を請け負って生産する、計画以上のものは自分たちのものにするということにしたのです(農民の土地請負制度とインセンティブ<岡本式中国経済論18>)。生産請負制がうまくいく事がわかると、全国的に請負制が普及することとなり、人民公社は自然消滅していきます。民の対策が官の政策を変えました。
また、農民は農業のみならず都市にも進出していきます。いわゆる出稼ぎ、農民工の発生です(出稼ぎと意思決定<岡本式中国経済論20>)。農民工が発生した理由はまさに豊かになりたいという合理性でした。戸籍制度というしばりがあるにもかかわらず、農民は豊かさを求めて都市部に流入していきます。農民工の安い労働力が中国の「世界の工場」として成長するための大きな要因になったことは間違いないでしょう。
6.官と民の戦い
官の合理的な行動は自らが豊かになろうとすること、民はその官の行動を見ながらも合理的に対策を講じてきました。時には官と民の利益が相反します。
農村では基層政府(県政府)が民を絞り上げます(農民の土地強制収用問題<岡本式中国経済論13>)。都市化と経済開発のために、そして地方財政を充実させるために、政府は農民から安い補償金で土地を取り上げ、都市開発を行い、住宅を高く売ってその収入を地方財政に組み入れます。この結果中国では土地バブルが発生します。
農村の農民、都市に出稼ぎにでた農民工は、企業から基層政府から搾取されるだけの都合のいい存在ではありません。農民は自らの権利を守るべく立ち上がっています。中国では多くの群衆事件(群体事件)が発生しています(農民工はなぜ群衆事件を起こすのか?<岡本式中国経済論34>)。
ネット空間でも、自由な発言をはじめた民とそれを誘導・管理しようとする官が戦っています(言論の自由と五毛党<岡本式中国経済論40>)。(参考:中国のネット世論と政府の監視)
7.民の間のジレンマ
知的財産権問題は中国でももっとも注目される問題です。ここでは二つのジレンマが考えられます。一つは政府が知的財産権保護をうたい、法律を整備した結果、逆に問題が起きているケースです。例えば、iPadの商標権問題です。商標権があまりにも容易に登録されるため、先に登録しておいて海外企業が進出してきたら売りこもうということが発生します。日本企業が中国進出して商売を始めようとしてもすでに商標が登録されていて、ビジネスが始められないということが発生します。
二番目のジレンマは、企業も家計もともに本物がいいにもかかわらずニセモノが出まわってしまうという問題です。企業はブランドを形成し、本物を作る方が信頼を得て長期的には発展できるのですが、短期的にニセモノで儲けたいう誘惑にかられます。費用が安いからです。家計の側も企業はニセモノが多いだろうと踏んでいるので、ニセモノを安く買おうとします。ニセモノを安く買おうとされると、本物を作っても評価されないと企業も思うので、結局本物が出回らないという問題が発生します(中国の知的財産権<岡本式中国経済論①>)。これはレモンの原理ともいいます(ニセモノが本物を駆逐するという現象)。
実は、ニセモノ問題と食品安全も同じ構図にあります。美味しくかつ安全な食品生産にはコストがかかります。企業にとって、コストを減らしできるだけ安く食品を供給したいと考えます。その時に多少の安全を犠牲にしてもいいだろうということで使ってはいけない薬品などが使用されたりします。家計も安全はタダと思っているところがあり、価格が高いと敬遠し、安い食品を買おうとします。つまり企業も家計も安い食品に流れがちで、これが市場としては安全ではない食品が出回るという結果になります(食の安全問題(岡本式中国経済論⑦))。
環境問題は、典型的な囚人のジレンマの問題です。環境対策にも費用がかかります。排水、排気等へ配慮せず生産した方が企業にとっては安上がりです。そのため、自分の企業だけはいいだろうとなり、環境が汚染されていきます。これを共有地の悲劇といいます(共有地の悲劇は囚人のジレンマの一種です)(中国の環境問題<岡本式中国経済論②>)。
こんなにジレンマがあると、多くの人が指摘します。「中国政府は何をやっているんだ」と。そこで中国政府が登場し、さらなる政策実行を国内国外問わず期待されます。その結果官はさらなる経済関与を行うことになるのです。
一党独裁という強い政府があるにもかかわらず、なぜ解決できないのでしょう。
中央政府と地方政府のジレンマです。「上に政策あれば下に対策あり」が政府間でも発生します。地方政府にとって、地方の経済発展は地方の幹部の出世に影響します。となると、企業の負担を減らして金儲けをしてもらい、地元の経済発展に寄与してもらいたいと考えます。中央政府が環境保護、食品安全、知的財産などの取り締まりを実施したとしても、地方政府はそれを遵守するのではなく、対策を講じます。つまり地元の経済発展のために地元の企業活動の多少の違反は目をつぶるということが発生します。これが政府間のジレンマで、中央政府のガバナンスが政策実施現場では弱くなります。
ジレンマが各経済主体間で循環しています。
8.よりよい社会に向けて
中国さまざまな出来事が官と民のジレンマゲームであったとして、そこから何がいえるのでしょうか。将来的にこのジレンマはなくならないのでしょうか。
(1)信頼
「上に政策あれば下に対策あり」は、官と民の間の信頼関係が存在しないということがもっとも大きな原因です。官民の間に信頼があれば、「上に政策なし、下に対策なし」が可能になります。したがって、官と民が協力しあう、信頼しあうというのが一つの解決策です。民は官を信頼しているところがあります(中国の一般民衆(人民)は共産党・政府を信頼している<岡本式中国経済論39>)
ただし基層政府に対する信頼は薄いです。上級政府とくに、省政府や党中央・国務院などへの信頼は高いという結果があります(次号)。
官が民を信頼できるかという問題は残ります。歴史的に高邁な政治的なリーダーが愚民を統治するという伝統的形態をもつ中国で、純粋に「人民」が主役となるのはまだまだ社会の成熟をまたないといけません。
(2)ガバナンス
中国の様々なジレンマの他の原因は、ガバナンスの問題です。上記でも指摘しましたが、
中央政府→地方政府
への圧力があります。地方政府は中央政府が指示してくるさまざまな政策に対応していかなくてはなりません。地方政府には権限はあまり与えられないにも関わらず中央政府の施策を実行しなければならないという義務を負っています。とくに地方幹部は出世に影響するので、多くの指示に対してごまかし、虚偽の報告が行われます。また報告のために民に圧力をかけるということもあります。
官と民の接触する現場というのは下級政府と農民です。この経済主体間のジレンマがもっとも大きいものです。したがって上級下級政府間のガバナンスをどう改善するかによって、ジレンマ解決の一つの方向となるでしょう。
<参考文献リスト>川西諭(2009)『ゲーム理論の思考法』中経出版
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*本記事はブログ「岡本信広の教育研究ブログ」の2012年9月1日付記事を、許可を得て転載したものです。