中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2012年09月23日
という内容の記事「Beijing's Dangerous Game」(The New York Review of Books)をご紹介したい。ただし翻訳ではなく、超ざっくり要点をまとめただけ。しかも中国語翻訳版をあんちょこに使っていることをお断りしておく。詳しく知りたい方は原文を確認して欲しい。
今回の激しい反日デモ。日本が80年前の犯した罪が反日感情を植え付けたのだ。多くの人がそう指摘している。中国官制メディアは言う。1931年からの日本の侵略は、1937年の南京大侵略はいまだに中国人民に鮮明な記憶を残している、と。
だが今の中国で1930年代の記憶を持っている人は少ないし、親の世代から伝えられた記憶もそう強力ではない。というのも毛沢東時代の恐ろしい記憶と居場所を争わなければならないからだ。今、中国で見られる反日感情は別の場所から来ている。
そも1950年代、まだ日本の暴行の記憶が残っていたころ、毛沢東はそれを公に議論することを禁じた。朝鮮戦争、反右派闘争、大躍進といった当時のテーマが議論されたのだ。なぜ毛沢東が南京大虐殺を宣伝しなかったのか?南京が国民党政府の首都であったことから、彼らに同情が集まらないようにするためだったと歴史家は推測している。
毛沢東の死から9年後となる1985年、南京大虐殺記念館がオープンした。中国のメディア、教科書も南京大虐殺をとりあげるようになる。今、中国で見る反日スローガンの多くは1980年からの教育が生み出したもの。1930年代の記憶に由来するものではない。1998年、江沢民は日本を訪れ、侵略を謝罪するよう求めた。反日デモがたびたび起きるようになったのはこれ以来である。
今回の反日デモにしても同様の背景を持っているとみられる。大量生産された横断幕や毛沢東の写真は政府がデモを指示していることを示唆している。また中国のブロガーたちはデモ隊に私服警官が紛れ込み、抗議活動を誘導していたと示唆している。
また各地で行われた反日デモだが、1000人を越える規模は少なかったようだ。1989年の天安門事件は最大100万人を集めたのだ。今回の反日デモの動員力が大きかったとは言えない。中国の抗議者たちは無人島よりも、汚職、汚染、権力の乱用に怒りを感じているのだ。
ただ当局の立場に立てば、報道こそがもっとも重要なものだった。抗議を推進する狙いは「大規模な世論」を作り上げることなのだ。その前例となるのが2008年3月のチベット騒乱だろう。ラサ市の漢民族商店が焼き討ちされるなどの騒ぎもあったが、暴徒の中に中国の工作員が入り込んでいたという説もある。ただ間違いないのは警察は暴動を許し、官制メディアがそれを撮影していたことだ。撮影が終わった後、警察は動き始めた。それから72時間、中国のテレビは問題の映像を繰り返し包装紙、ダライ・ラマという羊の皮をかぶった狼が破壊を扇動したと報じ続けた。事件から20日、若いチベット人が再び抗議のために立ち上がったが、今度はまたたく間に鎮圧された。もう撮影の必要はなかったからだ。
さて、それでは反日感情を推奨し、喧伝することで中国の高官たちは何を得るのだろうか。まもなく政権が交代するなかでその混乱から注意をそらそうとした可能性もある。デモが起きると同時に王立軍事件の裁判が実施された。あるいはたんに注意をそらすのが目的ではなく、権力者たちの政治抗争かもしれない。
どちらにせよ、これは危険なゲームだ。一歩間違えれば自分たちの体に火が着く。中国の権力者たちはその危険性をよく理解している。だが反日感情を煽る危険よりも民衆は政権交代に注目し、権力者たちの腐敗と特権に注目するほうが潜在的な危険はより大きいのだ。反日の扇動と政権交代への注目。2つのリスクを天秤にかけた中国の権力者たちは決断を下した。行動せよ!あの何もない無人島を守るのだ、と。
政府の洗脳した分子としてとして人民を描くな。著者は反日感情に誠実に向き合え。
コメント欄発狂してますね。