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チベット人焼身抗議の後で……警察の取り調べと村民の抵抗(tonbani)

2012年10月11日

■サンゲ・ギャンツォ焼身後のドカル僧院 焼身の背景■

*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年10月9日付記事を許可を得て転載したものです。


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*ドカル僧院前の警察車両

■サンゲ・ギャンツォの焼身と取り調べ

6日、サンゲ・ギャンツォ(27)が焼身抗議した。場所はアムド地方ツォエから10キロ離れたドカル僧院の仏塔前。

ギャンツォが死亡した後、警官と役人が僧院に押し掛け、夜遅くまで尋問を行った。外部に焼身の写真と情報がすでに流れたと知った当局は誰が写真を撮り、情報を伝えたのかを調べ始めた。また、最初に遺体を誰が僧院に運んだのか、家族に誰が知らせたのかを知るために僧侶たちを脅し、詰問した。

翌7日にはさらに多くの警官と役人が動員され、目を付けた数人の僧侶を連行しようとした。しかし、その頃には僧侶を守るため、周辺の村から多くのチベット人が集まってきていた。村人たちは「僧侶たちにはなにも罪がない。もしも、僧侶たちを連行しようとするなら、自分たちは命をかけてこれを阻止する」と宣言し、他の僧侶と村人が一丸となり、連行されようとする僧侶を守ったという。

周辺の村から益々多くのチベット人たちが、僧院を守り、家族に哀悼の意を示すために集まるのを見た当局は家族に対し、直ちにサンゲ・ギャンツォの葬儀を終わらせるよう命令したという。すでに火葬されたかどうか、現時点では不明だ。


■焼身抗議の背景

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*ドカル僧院。

ドカル僧院周辺では2007年と2008年に抗議デモが発生している。2007年、地区の役人が「ダライ・ラマ法王をチベットに呼びたいか?」というアンケートを集めた。その時、地区の村人たちは全員、「もちろん、お招きしたい」と回答した。しかし、役人は上級の役所に対し、「地区の住民はダライ・ラマ法王を招きたくないと言っている」と報告した、ということがその後判明した。これを知って、地区の住民たちは抗議の声を上げたという。

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*ドカル僧院から1キロほどの所にあるサンゲ・ギャンツォの村

また、2008年チベット全域で蜂起が起った時、この地区でも多くの僧侶と住民が抗議デモを行った。その後、軍隊、武装警官隊、特殊警察隊が大勢押し掛け、村々を襲い、家々のドアや窓を壊し、家の中から貴重品を盗み、バイク80台も取り上げられた(盗まれた)。そして、70人が連行され、ひどい暴行を受けた後、1人3000元を払うことで釈放されたという。それ以降、ドカル僧院には当局の管理事務所がおかれ、継続的に愛国再教育が続けられている。

地区に対するこのような弾圧が、今回のセンゲ・ギャンツォの焼身抗議の原因の1つであると思われる。

参照:
7日付RFA英語版、6日付Tibet Times チベット語版、7日付VOT放送分

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*生前のサンゲ・ギャンツォ

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*自宅に安置されたサンゲ・ギャンツォの遺体の前には法王の写真が飾られている。

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年10月9日付記事を許可を得て転載したものです。 


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