Qinghai architecture / Cory M. Grenier
以下は微博(マイクロブログ)での書き込みとそのコメント欄でのやりとりです。白熱したコメントには、20世紀になって作られた青海省という行政区画の問題。アムドのチベット人のアイデンティティー、あるいはチベット人はVIP待遇の優遇を受けているという漢人のねたみなど、多くの興味深い話がちりばめられています。
■青海省という単位での歴史や文化はない
青海省は1949年に設置された行政区分による自治体で、一貫したひとつながりの歴史やまとまった地域的な方言、地方文化、祝祭日のいずれも存在しない。ゴロクなどの地にただ中国式に「政治的に建てた」だけにすぎないものだ。中華民国政府が1928年に青海省を設けたのは、単にシムラー会議後のチベット情勢に対処するためであり、甘粛省から西寧などを分割し、当時まだ半独立半自治連盟状態にあった環湖蒙藏之青海*(すなわちチベット、モンゴル)を組み入れたことが、この地区の原型にすぎない。
10月12日09:20 サムソン・androidスマートフォンからの書き込み
*(古い言葉遣いなので歴史用語かなと思いそのまま残しましたが、訳出すると「ツォ・ゴンポ/ココノル/青海湖周辺のチベット、モンゴル地域である青海」)
■「歴史がない」と「青海省というまとまりでの歴史がない」の違い
以下はコメント欄。
チベット人名でのコメント「先輩! 省がなかったからといって歴史がなかったとは言えないのではないでしょうか、さらにいえば地方方言や地方文化がなかったとは言えないのではないでしょうか。」
発言主「そうそうそう! 歴史がない、のではありませんよ。私が言ったのは『一貫したひとつながりの歴史』……。いわゆる『青海方言』のたぐいは、1949年以前に青海の区域のどこにあったんでしょうか? それはカム方言、アムド方言、ないし漢語の河州話でしょうか? どんな伝統祭日が全青海省でありましたか…? 国慶節などの類を除けば? 私にはまったくわかりませんね!」
前出コメントのチベット人が再反論「歴史は既に存在するものであり、おのずから昔と今を貫くものであって、文字記録のあるなしが問題なのではないと思います。春節、端午の節句などは省全体の風習ですし」
別のチベット人が横レス「少し学べよ。」
発言主「そうですね、ちょっと勉強しましょう! 春節、端午の節句が省全体的ですって? ジェクンドやゴロクなどの場所でも伝統的だったんですか? 1949年以前の青海とはどの地方を指し、また1928年とはどの地方の歴史を指すのでしょうか?」
別のチベット人がコメント「これは問題の核心部分だ。チベット民族にはロサルがあり、しかして『春節』など断じて聞いたこともない。そのうえ端午の節句があるだって? 端午がどうしたって、端午と私たちの歴史はまったく何の関係もない。」
発言主「ないものはないんです。ないものを『ある』と言わなくてはならないこと、学術の偽造が人心を惑わしているんです!」
■漢民族発言者の乱入
プロフィール欄に広州在住とある中国人が乱入「青海省のチベット系居民はほんの少数。君たちが全省的な春節や端午の節句を祝わないのは勝手だ、誰も気にしないよ」
発言主「そうですね、この大地に先住してきた主民族は、この100年の間にすっかり少数と言われる存在になってしまい、どれだけの風雨と苦しみの変化を受けてきたことでしょう。もとから住んでいた場所で生計を維持することが困難になり、移り住んだ場所では豊かな客人やその子孫に食事を分けあたえ、どれだけのこの土地の土着民族が寛容でまともな待遇を受けたというのでしょう? これは、人にはどれだけの度量があるかを如実に示し、人心の包容力の大きさをつまびらかにするものです!」
広州の中国人「あんたたちは青海省の土着じゃないでしょ、我々漢族こそ土着ですよ。あなたたちはチベット省の土着でしょう、チベットに帰れよ」
広州の中国人(による追加コメント)「隣住する他民族の末裔に寛容に親切に待遇せよといって、あんたはどんだけ種族主義な表現をするんだ? いつ焼身の準備をするんだ?」
■あなたのような人が民族を分裂させているんです★中国人の発言は読んでてムカつくのですが、中国人の典型的な考え方を知る自虐的修行と思って、もうちょっと訳します。
広州の中国人(「人にはどれだけの度量があるかを如実に示し、人心の包容力の大きさをつまびらかにするものです!」に対して)「私はネット上でまだ度量のあるチベット人を1人として見たことがないけどね。みんな十把一絡げのゴミみたいなチビット*民族主義、チビット種族主義者を露わにしている。青海省は現在、あんたたちにVIP待遇の特権を与えているだろう? あんたたちの住んでいる田舎村に、どれだけ異民族の末裔にVIP特権待遇を与える度量のある奴がいるというんだ?」「まだある。私は青海省が経済発展してるかぜんぜん知らないがね、あんたたちはそれにどれだけ貢献してるんだい? 道路建設、電力、工場、鉱山開発、医療、教育、上下水道、牧畜育苗、スポーツ、娯楽……などの建設、維持、運営に、なんで『豊かな客に食事を分けてやってる』と思えるんだろうね?」
*チベットに対し、中国語の漢字表記「藏」ではなく、同じ音で「汚い」という意味の「脏」という漢字をわざわざ当てて貶めている。プロフィルに甘粛省在住とある中国人が割って入る「あなたのような人が民族を分裂させているんです。率直に言って我々漢族の汚点であり恥であり、率直に言って我々漢族の負け組であり、中国のゴミです!」
発言主「まさにこの国土にはあなたのような道理のわからないゴミ残念脳が多すぎます。恥を知らず、自分が天下の主人だと思っている。隣住者に友好的に接しないどころか他人を民族主義だと決めつける。さらには『自分たちこそ主人だ』と言い張り、民族対立のムードを作りだし、民族団結を破壊し険悪にするのはいったいどうしてなのでしょうね?!」
発言主(甘粛の中国人に対して)「そうですね、このようなゴミが民族対立を作り出し、民族分離を刺激するのに気をつけなければいけません。さらに漢民族自身の真相暴露と批判も必要でしょう。もし民族間の相互和解があれば、彼らのような五毛の飯のタネもなくなるわけですし。」
甘粛の中国人(発言者に対して)「私自身は周囲にチベット人の友人がいますし、以前から私が彼らから受けている印象は親切で、純朴で、善良です。思うにあの狂犬病の犬は民族政策が不公平だと思っていて、恨みと羨望から出たセリフであり、ブドウを食べ損ねて『あのブドウは酸っぱい』と言うようなもので、狂犬病の犬が人にかみつくのと同じですから、あれにかまわないでください。率直に言って我々漢族の汚点であり、中華民族の恥です」
■チベット人の歴史観と民族意識
まだ続くかもしれませんが、とりあえずここまで。
発端の書き込みですが、「中秋節」(秋の節句)に「中秋を祝うチベット人」というニュースに反応しての書き込みと思われます。微博には「いつからチベットに中秋の習慣ができたんだ?」「俺は教科書で単語は知ったが、ずっと『何だろう』と思っていたよ」「自分は進学して大学のイベントで初めて知り、そんなことも知らないのかとバカにされたなあ」などの会話がありました。
やりとりからアムド地方のチベット人の歴史観、強烈な民族意識の一端がうかがわれ、勉強になりました。会話には、中国人の罵倒者と理解者が登場しますが、
「理解ある中国人」も、さらっと「中華民族」(チベット人も漢人も含む、政治的につくられた大概念)というワードを出してきます。これを発言者がどうとらえるかも気になるところですが、お行儀よく「黙して語らず」で流しているのが印象的でした。
■☆おまけ☆
単なる罵倒なので割愛したやりとりですが、「日本」が出てきたのでビビりました。チベット人も漢人も互いに「おまえは日本人の息子だ!」と罵りあっているという……。結局「日本」が出てくるのはこういう文脈ですかね、とほほほ(^^;;)
広州人に罵られたチベット人が罵倒し返す「見返したら元々自分のブロック対象に入っている犬だったか。まだ日本人の親父さんは見つからないのかい? かわいそうな奴、狂犬病にかかったのと同じだ。シナ」
広州人が罵り返す「おまえの親父は日本人なのか? どうりでお前はチビ日雑種か! どうりでそんなに中国を敵視するわけだな!」
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和你们的日本殖民台湾进步合理论很像呢(笑