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焼身者の遺族と追悼儀礼……厳戒態勢のチベットに潜入取材(後編)(tonbani)

2012年12月28日

■Le Monde チベット潜入取材 後半■


記事「焼身者の遺族と追悼儀礼……厳戒態勢のチベットに潜入取材(前編)(tonbani)」の続きです。

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7、自宅の近くで祈る焼身者の父親と家族。彼の息子は今年11月中に焼身したチベット人の内の14番目であった。11月だけで28人のチベット人が焼身した。ツェリン・ウーセルによれば、焼身者は多様化し、僧侶ではない普通のチベット人が増えているという。


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8、ラプラン僧院で供物を捧げる巡礼者。弾圧にも関わらず、抵抗の精神は強く残っている。「役人たちは僧院に行くのを少し怖がっている」と11月終わりに北京に向かう途中に会った青海省の僧侶は語る。また、「チベット人の政府職員は困惑し、同じチベット人に嫌われることを怖れてちゃんと任務を遂行できないでいる」という。


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9、最近焼身した30歳代の貧しい遊牧民の母親。彼は妻と幼い2人の子供を残した。当局や政府系メディアは、この政治的現象を単なる個人的な出来事として矮小化する。
(記事によれば、「息子が焼身した後、多くのチベット人が遺族の家を慰問のために訪れ、香典をおいて行った。それは数万元にもなった。しかし、(貧しい家庭でありながら)そのお金のほとんどは僧院と学校に寄付した」という。その理由は「息子はみんなのために焼身したのだから」と。)


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10、サンチュから遠からぬところで最近焼身したチベット人遊牧民が残した2人の子供。この事件を弾劾する役目を担う中国の「チベット専門家」は、焼身は「仏教の基本的戒律に反する」とコメントする。
(この2人の子供は誰の子供なのか?ウーセルさんはサンチュ県サンコク(桑科)郷で焼身したチベット人の子供という。サンコク郷で焼身したのは11月26日のトゥプワン・キャプ、23歳と11月27日のサンゲ・タシ、18歳の2人である。この内サンゲ・タシは結婚していないので、彼ではないであろう。一方トゥプワン・キャプは亡命側に伝えられた情報によれば、結婚はしているが、子供についての情報はない。ウーセルさんのいう情報が正しいなら、おそらくトゥプワン・キャプの子供という可能性が高いが、確認できない)


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11、インド、ダラムサラにいるチベット人たちはこの焼身について説明する時、仏教のお経を引用する。特にその中に書かれている1つのエピソードだ。「釈迦牟尼仏陀は彼がまだ菩薩であった時に、一匹の飢えた雌虎に、自分の子供を食べないようにするために自分の身体を生け贄として捧げた」と。


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12、焼身に直面し、政治から引退したダライ・ラマは当惑の沈黙を選択している。もしも、肯定するならば、中国が仏教の伝統を破ったと非難するであろう。もしも、否定すれば焼身者の家族は悲しむであろう。この曖昧な態度が北京をして、間接的に焼身を煽動していると言わせる。


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13、世界中のチベット学者たちは中国の新指導者である習近平に対し、中国内のチベット人の話を聞き、彼らと共に「軍事力に頼ることなく状況を緩和させる解決策」を探り、「チベット人の言語と文化を花咲かせる」ことを求めた。


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14、11月になり、新指導部のメンバーが発表されたが、中国共産党はチベットの危機に対し如何なる開放政策の印も示していない。人民日報にはダライ・ラマは「『政治からの引退』というごまかしにより世界を欺きつつ、実は彼の『チベット独立』計画の新しいページを開こうとしているのだ」と書かれている。

 *本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年12月28日付記事を許可を得て転載したものです。


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