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■青海地震とその後
2010年4月14日の青海地震。チベット・カム地方ジェクンド(ケグド、玉樹)は大きな被害を受け、中国政府の公式発表で2690人が犠牲となった。もっとも実際の被害はもっと大きかったようで、現地チベット人は犠牲者数は1万人以上と考えている(関連記事)。
中国政府は被災者救済を名目に数千億円の寄付金を集めたが、実際の使途は不透明で、被災者のために使われた金はごく一部ではないかと疑われている。実際、ほぼ3年が過ぎた今も多くの被災者がテント暮らしを余儀なくされているのだ。
いやテント暮らしが解消されないどころではない。逆に政府は人々の家を奪い取っている。というにも地震を契機としてジェクンドを観光都市に生まれ変わらせる計画が進められている。そのために住民の土地が強制収用されているのだ。
反発したチベット人たちはこれまでに何度も抗議デモを実施している。2012年6月27日には土地強制収用に反対し、ケグ地区の70世帯の住民が抗議デモを行った。この時、デキ・チュンゾムと呼ばれる40歳前後の女性が焼身抗議した(関連記事)。彼女は警官に連れ去られ、今も消息不明のままだ。
■パッサン・ラモの焼身
3日付ボイスオブチベット(VOT)、3日付チベットエクスプレスチベット語版を参照した。中国中央電視台(CCTV)の報道を引用して伝えたところによると、2012年9月13日、北京市の中国住宅・都市郷村建設部前で、62歳のチベット人女性、パッサン・ラモ(པ་སངས་ལྷ་མོ་)さんが焼身抗議していたという。やはりジェクンドの土地強制収用に抗議することが目的だ。
*焼身後、病院で治療を受けるパッサン・ラモさん。
3カ月以上も前の事件だが、これまで全く亡命政府には伝えられていなかった。そのニュースを中国官制メディアのCCTVが今さら報じたというのも不思議な話ではある。VOTによれば、焼身の事実がマイクロブログなどで広がり、事実を隠蔽している政府への批判の声が高まったからだという。
VOTによると、パッサン・ラモがはるばる北京にまで出向いて焼身した経緯は以下のとおり。
ジェクンドの扎曲北路にあったパッサン・ラモの自宅は地震に持ちこたえ、政府の査定によってもこの地区の98%は使用可能という判断であったという。しかし再開発を担当する呉徳軍書記は強制立ち退きの命令を下した。同地区の住民157世帯が共同で9回も請願書を提出したが、意にも介さなかったという。
*パッサン・ラモさんの娘の家。強制収用の現場。
強制収用前のパッサン・ラモの自宅は437平方メートルもあったが、立ち退き後に新たに与えられた家は80平方メートルしかない。。この不当な扱いに対し、パッサン・ラモは中央政府に陳情しようと北京に向かった。しかし、北京では精神病として扱われ、まったく取り合ってもらえなかったという。
追い詰められたパッサン・ラモはついに焼身という手段で抗議したのだった。
■ネットの告発
この事実を当局は隠し続けていたが、最近になってジェクンド州民族歌舞団の副団長であるパッサン・ラモの娘・邢萍がネットで、母親の焼身の顛末を明かした。この告発はまたたく間に広がり、数百万人の注目を集めた。告発は母親の焼身以外にも多くの内容を含んでいる。
・政府が押しつけた不当な強制移住、寄付金の不正流用
・2011年4月10日にマグニチュード4.1の余震が起きた際に再建された放送局ビルが倒壊し多くの死傷者が出たこと
・震度8級(家屋の多くが損傷、一部道路が陥没、地下のパイプが破裂)に対応できる基準で建てられていた病院、学校などにひびが入ったこと。
・その建設にあたっては孫請け、曾孫請けと違法な下請け業者への再発注が行われていたこと。
・強制土地収用に反対したため、家族全員が職を失ったこと。